Reborn-Art Festival 2017「牡鹿ビレッジレストベース」レポート

公共トイレが複数の役割を担い地域を繋げる

藤原徹平(建築家、フジワラテッペイアーキテクツラボ)

『新建築』2017年10月号 掲載

RAFの会場となる石巻市内、牡鹿半島。作品の展示場所はA?Dの4エリアに分けられる。下記で主な作品や施設を紹介する。

「旧観慶丸商店」。1930年竣工の市内初の百貨店。外壁は多様なタイル貼り。[1]
「DE AU(小林武史×WOW×DAISY BALLOON)」。展示会場である元病院の「Reborn-Art HOUSE」はRAFスタッフやアーティストたちの宿泊場所となっている。[2]
「桃浦ビレッジ」会員制宿泊研修施設。アトリエ・ワン設計のメインハウスと、dot architectsとsatokura architects設計のタイニーハウスで構成される。[4]
「Reborn-Art DINING」。荻浜の外浜に設けられたレストラン。[5]
「起こす(島袋道浩)」。のり浜で倒れている木や石を人力で起こしていく作品。[6]

インタビュー:
今しかできない表現

高須咲恵(SIDECORE)

展示会場である「Onepark」([3])は、木の屋石巻水産という地元の水産加工品メーカーの被災した冷凍倉庫跡地を活用した日本最大級の室内スケートパークです。壁面にはいたるところに津波による傷跡がそのまま残されています。東北エリアには、仙台を中心としてスケートボードなどのストリート・カルチャーが根付いていて、この「Onepark」はそのひとつの拠点として、石巻だけでなく東北エリアのスケートボーダーたちがこの場所に集まり練習をしていました。この会場を舞台に数名のアーティストの作品を展示しています。
実は、RAFの会期が始まる直前、急遽消防法によりこの会場は内部が利用停止となってしまいました。そこで、内部の作品を制作していたプロスケートボーダーの森田貴宏さんは、この状況を逆手に取り、建物の脇の隙間へスケートコースをつくることにしました。スケートボーダーは整備されたパークだけでなく、路上や道路工事現場などどんなところでも遊ぶことができますし、それが彼らのアイデンティティのひとつでもあるので、困難の中でもその場の状況やレギュレーションに対して、表現を生み出せるんだという希望を感じてもらえるとよいなと思っています。
東日本大震災から6年が経過し、なんとなく「震災後」ということ自体を終わらせにかかっているようなタイミングであると感じています。地元に住んでいる人たちが必要としていることと、行政が理想とする地域というもののギャップが生まれてくる時でもあり、それがまさに防潮堤というかたちでも現れているし、「Onepark」をどうしても閉鎖するという決断にも、行政がポジティブな意味で地域をなんとかコントロールして、元に戻したいという気持ちが現れていると思うのです。今この時期にしかできないリアルタイムな展示ができたのではないかと思っています。(2017年8月7日、「Onepark」にて)

「Onepark」の裏側。津波による傷跡が残る。[3]

「line wave(森田貴宏)」。建物の脇につくられたスケートコース。[3]
「oneenergyBlue(BABU)」。震災時の津波と同じ高さの巨大な防波堤のような壁をスケートボードに見立てた漁船が乗り越えようとしているインスタレーション。その他、4組のアーティストによる作品が展示されている。[3]

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公開日:2018年05月31日