対談 2
パブリック・トイレからはじまるまちづくり ──
「希望の営繕」へ向けて
内田祥士(建築家)× 藤村龍至(建築家)| 司会:浅子佳英
除却するという選択肢
浅子:
最後にトイレの話題から離れてしまうのですが、お二人に伺いたいことがあります。これからの日本は人口が減少していくことはもはや避け難く、しかもそれは、20年前にはすでにわかっていたことですよね。しかしこの間最も増えた住宅のタイプがタワーマンションでした。すでに首都圏には800本を超えるタワーマンションが存在し、住戸数は約2万5千戸。1世帯あたりの人口を1.87人だとすると、約45万人という1つの区に匹敵するほどの人々がタワーマンションに住んでいるという計算になる。一方で、オフィスに目を向けると、今後、品川や東京など、高速の移動手段がある場所に比重が移っていくことは避けられないでしょう。この2つの現象を重ねると、現在はあまり議論には上がっていませんが、今後大きな問題になってくるのが、まさしく大宮のような、池袋駅以遠の、鉄道沿線とセットで開発された住宅地の問題ではないか。そうした人たちがタワーマンションに住んでしまうと、その周辺部ではどんどん空き家率が増えていく。ようするに、国内人口が減少することがわかりはじめたまさにその時に、数十万人規模のタワーマンションが建ち並んだという矛盾が生じている。タワーマンションを丸ごと否定する気はないのですが、とはいえ政策としてこれで本当に良かったのか。このことについて、お二人はどのような考えをお持ちでしょうか。
内田:
タワーマンションの問題は私も相当深刻だと思いますし、そしてある意味で手遅れだと思っています。ちょっと難しい段階にまできてしまった。ひとつの「丁目」を与える規模の巨大なマンションというのは、都市を内包した建築として存在しているわけですよね。言い換えれば、本来なら道路側にある上下水道や電気や電話といったインフラを建築設備として内部化してしまっているわけです。建築が共用部分に公共性を、区分所有者が共有せざるをえないという状況が生まれていて、その負担は一戸建ての住宅よりもはるかに高い可能性がある。
例えば、そうした複雑な資産に含まれている問題がきちんと認識されないまま、広告だけでタワーマンションが売買されているのが実情のようにも見えるわけです。われわれが唯一できることがあるとすれば、購入者に向かって「人生をかけて広告を信じてみようとする覚悟が必要ですよ」と問いかけることぐらいです。
タワーマンションもまた、「希望の建設」を糧としてつくられた建物です。先述の通り、新しいものこそが常に良いものであるはずだという認識は、戦後の実績としてたしかに存在していましたし、そのような時代があった。僕らがもっている今のストックはじつに、その希望によってつくられた。にもかかわらず、それを維持していこうという方向へは、なかなか変われない。依然として「希望の建設」を糧にしてしまう。例えば昔のビール瓶は、ラベルを張り替えて何度も使いまわしていました。アルミ缶だと少し凹んでいれば、レジですぐに交換を要請されるかもしれませんが、瓶の場合はちょっと傷がついても平気で再利用してきたわけです。日本の建築もこの瓶のようなモノとしてかなりのレベルまできたわけです。新品の輝きを期待しがちな精神とは違う、したがって「壁は白くなければならない」などとは言わない、ちょっと傷がついていたほうがむしろ雰囲気があるだろう、むしろ健全な品質までたどり着いたのにそれを建て直そうとしてはいないか、そう考えてみてはどうか。
藤村:
内田さんがおっしゃるとおり、営造と修繕の摩擦は今日的な課題としてあると思います。それと同様に大都市郊外や地方都市においては「除却」の問題も出てきていますよね。もはや修繕でも対応できなくて、ストックそのものを減らさなくてはいけない状況がある。
ここに2010年のJR高崎線沿線の都内通勤率を示したグラフがあるのですが、上尾市と行田市で2回ほど通勤率が急激に低下しています。都内からさいたま市内までは都内通勤率40%以上の「安定通勤圏」、熊谷から先は都内通勤率が10%以下の「地域通勤圏」、その間にある上尾から行田までのエリアを「変動通勤圏」と名づけました。このエリアでは、一度拡大した通勤圏がもう一度縮まる事態が起こり、おそらく大量の住宅ストック、特に分譲マンションが余っていくだろうということが予想され、空き家や高齢者世帯関連の社会課題が集中するはずです。埼玉県住宅課の資料によると県内にはおよそ8,000棟の集合住宅があるのですが、建て替えに成功している戸数は県内にまだ数例しかないという状況です。
事業性の低い「非事業性マンション」を除却するのにかかるコストを一度試算したところ、1,770億円超だということがわかりました。埼玉スタジアム約3個分の建設費用です。これらの余剰住宅ストックの問題は、基本的には私有地で区分所有された個人の資産の問題ではありますが、廃墟マンションの乱立はゆくゆくはエリアに外部不経済をもたらし、公共の問題になってしまうと予想されます。「除却」は営造と修繕とはまた違うカテゴリーの問題で、これまでになかった課題です。
内田:
たしかに取り壊さないと、ある種の廃虚がそこに残ることになります。しかもコンクリートの耐用年数は極めて長いので、そこに建ち続けるような事態が起こりえます。
僕は一般論として、一定以上の割合の空き家(空き家の意味にもよりますが)を抱えた区分所有型マンションを建て直すことはできないだろうと思っています。例えばそこの居住者がローンを払いきって年金生活に入っていたり、貯蓄で生活していたとすれば、難しいですよね。場合によっては、ほかの人がいなくなってもどうしても最後までいたいという人がいたりもするでしょう。そうなったときに、先ほどの住宅地の話と同じですが、彼らが自立した個人としてマンションを買ったという事実は尊重すべきだと思うのです。そういう人たちに手を差しのべるなという意味ではなく、適切な差しのべ方があってしかるべきだという意味です。
仮にほかのマンションに移動する決意をされた場合、彼らはマンションの修繕の難しさをよく知っており、いわば目利きであるはずなので、自分の見識で良質な既存ストックを探し出すことができる可能性が高い。一方、マンションの区分所有部分は償却済み資産ですが、区分所有分の土地の権利は資産としてもっているわけです。だから同等の中古マンションからの移動は、公共側の適切な配慮さえあれば、動くこと自体は金額的ストレスがなくてもできる社会も夢ではないんですね。ただし、除却は公共が負担しないといけない。再開発を前提としない除去作業はデベロッパーではなく、行政が公式にやる以外に術はないと考えています。そのようなやり方は、戦後の良い意味での自立した個人主義がきちんと機能し、公共精神が生かせれば、かなりの整合性をもって実現できると私は思っています。医学と同じ、しかも逆の意味で、かなりの手間がかかるでしょうけれど、やはりそちらの方向へ向かう必要がある。もちろん具体的な行動と成果に評価軸を向けすぎると消耗してしまうでしょうから、これくらいでいい、というつもりで取り組んでいただけたらと思います。
浅子:
内田さんと藤村さんのお二人に共通しているのは、都市を俯瞰的に、静的な地図のように見る目線から、ある種の生き物のように、動的なものとして捉えているところだと思います。藤村さんの大宮の空地の利活用の取り組みもそうですし、内田さんからは、これからの設計は医療がかつて生命医学に取り組んだような歴史的転換とともに生じる摩擦を超えなければいけないというお話がありました。
ただ、内田さんがおっしゃることもよくわかるのですが、あえて悪役を引き受けると、これから人口が減るのはどうしようもない事実であり、タワーマンションが建ち並んでいる現実もくつがえすことが難しい状況にある。そのときに、埼玉スタジアム3戸分のコストをかけて不要になった集合住宅を除却することが本当に是なのかというと、僕はそれもどうなのかと思ってしまう。その点についてはいかがでしょうか。
内田:
少なくとも周囲に人がいるときには整備する必要があるという話であって、人がいない所に関してはそのまま残っていても良いわけです。
藤村:
ヨーロッパやアメリカの大都市郊外の状況を見ていると「そんなものは放置しておけばよい」と楽観していられないと思いますけどね。行政側は具体策どころか、私たちが指摘するまで「変動通勤圏」なるエリアがあることすら認識されていませんでした。空き家の問題は「全国に800万戸!」とマクロなデータが出てきたあとは個別のリノベーションの話になってしまい、立地や市場など都市的なスケールの議論が抜けていています。当然政策の対象化もされていないので、これからの課題です。
民間側の前向きな取り組みの具体例としては「新狭山ハイツ」での取り組みが挙げられます。専門家とともに修繕計画を見直して、一回一回の修繕のクオリティを上げ、大規模修繕のスパンを18年に延ばし、除却までの修繕回数を1回減らすかわりに、除却が完了するまで管理費を値上げしないで確保しています。ストックの価値をある程度イメージしたうえで除却までの費用を積み立てている点で、未来を見越した、適切な取り組みだと思います。
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公開日:2017年08月31日