対談 2
パブリック・トイレからはじまるまちづくり ──
「希望の営繕」へ向けて
内田祥士(建築家)× 藤村龍至(建築家)| 司会:浅子佳英
ニュータウン、住宅地を公共化していくことは可能か
藤村:
大宮のように、商業地のなかで商業施設を模範としながらトイレのあり方を考えることは自然な流れといえますが、それとは別に住宅地をどのように維持していくべきかということにも現在は関心があります。例えばニュータウンのような分譲住宅地をみていると、意外と人々が集まるための交流空間がなかったりする。そのなかで生命線となるのが緑地や公園です。ニュータウンを平日の午前中に訪れると高齢者の方々が緑道で散歩に励んでおられ、ベンチで会話を楽しんでおられます。そうした場所にカフェやキッチンカーを導入できればもっと滞在時間を伸ばせてより楽しい空間になるのではという話をよく聞くのですが、現状では緑道にも公園にもトイレ機能のような最低限のインフラが用意されておらず、滞在時間が伸ばせないのが現状です。けれどもそこに恒設のトイレをつくろうとすると、今度は維持管理の問題がでてきてしまいます。この問題が大きいのですね。
ニュータウンのような商業的でない場所で、水場があるコミュニティ施設を維持するための再投資の仕組みをつくろうとすれば、大宮のケースとはまた違う論理が求められることになるはずです。例えば指定管理者制度をアレンジしたり、街づくり会社をつくるといったやり方なども思い浮かびますが、内田さんはこの問題についてどのようにお考えでしょうか。
内田:
街づくり会社の捉え方にもよると思いますが、空き家を利用する場合、住宅地のように所有者と居住者がおおむね一致している場所では、所有権と使用権が一致しているということが課題になると思います。例えば人が住んでいる家にトイレを借りに行けるような仕組みづくりも、商店街なら積極的に取り組めるかもしれませんが、住宅地ではつらいですよね。そもそも住宅地というのは、ある程度自立した個人のための生活空間としてあるわけで、そこに公共が不用意に踏み込めるかというとおそらく難しい。公共の側が踏み込む場合には、所有権と使用権の調整から始めなければならない。僕の意見としては、できればそのままの状態を維持するほうがよいと思いますが。
もちろん、住宅地を公共化していく方法として、きわめて重要な文化財が出土した場合、将来一帯を史跡公園にしていくような時に用いられる公共化の方法があります。ただしこれは、かなり長期的な作業です。こうした手法を援用しつつ、例えば100戸の住宅が並んだ住宅地の10戸だけを徐々に公共的な空間に変えていくといったような方法があるかもしれませんが、適切な密度に向けて計画的に誘導するのは、相当時間がかかるでしょうね。住民に受け入れられるよう摩擦なく実現するためには、数十年単位の相当長いスパンを要することになります。そのぐらい時間をかけ、住民が追い立てられたり損をしたりすることがない、無理のないやり方を採用しなければ、摩擦なく住宅地を変えていくことは難しいと思います。
藤村:
住宅地の変化の動きを見ながら、少しずつプランニングを定めていくようなやり方が求められるわけですね。
内田:
そうです。不確定な要素も多分に含まれていますからね。無理矢理動かそうとすると、住民に不要な負荷がかかる。高齢化が進みつつある住宅街に大きな負荷を強いると、なんとか保たれている自立やその意欲が奪われてしまう。だからゆっくり進めていかなければならない。そのくらいの気持ちでやらないと難しいでしょうね。
無料の公共のトイレではないまでも、管理者を設けて住宅地のトイレを使用できるようにするやり方は、いろいろ考えられるとは思います。例えば文化的な価値の高い旧家を部分的に公開しているところなどもあります。ほぼ自由に入館できるけれども、維持していくために少しだけ入場料を課しているような場所です。そういう場所であれば、ほとんどの場合トイレが使えるようになっていますね。
けれどもやはり、時間はかかると思います。性急に実施すると、その場所では上手くいっているように見えて、じつはいろいろな所にしわ寄せがいってしまうことも考えられます。長期的できめ細やかな計画が必要でしょうね。
公的サービスとしての「トイレット・カー」?
藤村:
私空間を開いた公的サービスのあり方を考えていったほうがよいということですね。私としては、例えばキッチンカーをそこに導入することで、一種低層の住宅地でもコーヒーを飲んで憩えるような即席の交流空間がつくれたりするのではないかと考えています。その点ではキッチンカーに付随して「トイレット・カー」とでも呼ぶべきインフラも設ける必要があるのですが、この考えについてどう思われますか。
内田:
そうですね、トイレット・カーもちょっとデザインしてみたいと思いますが、それだけを個別でつくると入りにくさの問題もあるでしょうから、もしやるとすればキッチンカーと連結したかたちにしたいね。ですが、そもそも住宅地にそのような回遊の場をつくる目的は何なのでしょうか。
藤村:
例えば住宅地のなかにある空き地を、持ち主の許可を得てコミュニティガーデンにするようなやり方があるのではないかと考えているのですが、キッチンやトイレがないままだと人を集めにくいので、キッチンカーや仮設トイレがあればテンポラリーな人の集まる場をつくることができます。そのような「弱いインフラ」とでも呼ぶべき、仮設と本設との間にあるようなものが、超高齢社会を維持する際には必要になってきているのではないかと感じています。
内田:
僕は、そういう場合は既存ストックを上手に使っていただきたいと思う側ですね。僕には、住宅地というのは、個々人が自立して生活を営んでいる場所であるという認識が強いんですね。苦しい状況にある人も含め、人々が自立した生活を送っている。その独立住宅群に手を入れて、何か積極的に変化させていこうという気持ちはあまりないんですね。仮に公共的なものを導入していく場合でも、相応の時間をかけて臨まないといけないし、計画をする際には、今後どのような変化に見舞われるかわからないという不確定な雰囲気を受け入れた良い加減の計画(これはもちろん良い意味でですが)がいいと思っています。
住宅地で一番顕在化している建築的な問題は、やはり空き家ですね。空き家問題は共有できているはずなので、そこに公共が何か提案できる可能性はあると思います。
ただ、繰り返しになりますが、良い企画が複数積み上がると、結果的に不可思議なものができてしまうというようなことが結構あるように思うんですね。そのへんはどう考えていますか。
藤村:
若いときは「自立」だと言えるのですが、人は年齢を重ねると自立度が下がります。本当は依存が必要なのに自立を強いられている高齢者たちを、若い時に分譲住宅地という「自立」を選んだのだからと放置するのは酷ですし、ほんのわずかな公共投資で自立度の低下を予防することができ、医療費を抑制できるなど経済効果も期待できるならば、分譲住宅地のエリアマネジメントに公共も積極的に介入するべきだというのが私の考えです。それは公園にキッチンカーが横付けできて最低限のベンチと覆い、トイレの設備があればよい、というくらいのささいなものです。私有地を公的な目的のために改造するのはハードルが高いのですが、公有地の改造のほうがハードルは低いと感じられるからです。
一般的に建築のプロジェクトは、一方の極に公共の予算で公共の土地に新しい建物を建設する、いわゆる「公共施設」のプロジェクトがあり、それと反対の極に、完全にプライベートな予算で私有地に建設する「民間施設」があります。そのなかで私が各地で手がけていている最近のプロジェクトは、両者の中間に位置づけられるような種類のものが多い。例えば、自治会を法人化して国から補助金を受け、複合施設として建て替える自治会のための会館だったり、個人が補助金を受けてつくる公的な施設、店舗として建設された民間施設を公共施設にコンバージョンするものなどがそれに該当します。
でも実際に公共的な目的でできたストックを民間が使ったり、民有地を公共的な目的で使おうとすると、現状ではなかなかハードルが高いですね。旧来の法律と矛盾してしまうような局面に出くわすことがしばしばあります。例えば住宅地をカフェに改造する場合、建築基準法では「店舗併用住宅」としてOKでも、保健所では専用のトイレやエントランスが2つずつなければいけないと言われたりします。食品衛生法でそのような文言は定められていなかったりするので、あくまで地域ごとの保健所の運用の問題なのですが、少しずつ詰めていくかたちで妥協点を見つけ、実践を重ねています。現在のような変革期には、制度論のはざまでこのようなある種の運動論が求められていると感じています。
「営造」と「修繕」を乗り越えるために
内田:
僕は、住宅地には、新しいものを導入するよりも、むしろすでにそこにあるものを再利用していくことのほうにリアリティを感じるタイプなんだろうと思います。こういうテーマの時にいつも話すのですが、僕らはずっとモノをつくってきた。かつては間違いなく新しいモノのほうが良かった。建て替えることが良いことだった。けれども今は、建て替えが必ずしも現状よりも良いことだとは言えない時代になった。少なくとも、どちらが良いかわからない時代になった。だから既存のものを使えないかと、まずは考えよう。
戦後のバラックしか建っていなかった時代には、修理するよりも建て替えのほうが良いものになるということは、明確な事実だった。たしかに、建て替えることで建物の量も質も上げていくことができた時代があった。私が「希望の建設」と呼んでいる時代です。それが、どう努力しても思ったようには上がらない時代が来てしまった。私は、それを「希望の建設」の成果が一定の品質を確保するまでに至った証と捉えています。既存建築の質が一定のレベルに達したと考えるわけです。僕たちはどうするかを考えなくてはならない。
少し別の視点から話をしましょう。近代科学は新しいものをつくりだすことを、ほぼ例外なく是としてきましたが、そのなかで、つくることをまったく考えてこなかった専門分野がありました。少なくともそう考えられてきた分野がありました。それが医学です。医学はとにかく人体をひたすらメンテナンスすること、修理することに心血を注いできた。しかし、その医学が突然、私たちは生命をつくりだすことができると言ったときに、多くの人は震え上がった。おそらく、とりわけ近代においては、何ものかを維持存続させていくことと、新しく何ものかをつくることの間に、あまりに大きな溝ができてしまっていたからなのだろうと思うんですね。医学は今、その溝と向き合っている。同じように、建築が何ものかをつくることから、今あるものを修理しながら何とか維持することへと変わっていくことにも相当の摩擦と葛藤があると考えるべきだろう。現代建築も「営造」と「修繕」のあいだで生じる大きな摩擦を超えなければいけない。おそらく、われわれは大きなストレスに晒されるはずですが、それでもそのことを受けとめなければいけない。僕が最初にこの問題を考えたとき、日本はバブル期でした。1981年に新耐震基準が施行されたこともあって、建て替えの議論はまだ強い説得力をもっていました。建て替えという言葉がもつ説得力は、「医療の進歩によってこの病気は治りますよ」というのと同じくらい強かった。
それが資源の枯渇や地球温暖化の話題が出てくるようになって、ようやく維持存続する議論が始まるようになりました。けれども一気に維持の方向性に持っていくのはあまりに大きなストレスがかかるので、徐々にやっていかざるをえない。急ぐとうまくいかない。なにより消耗してしまう。強いストレスや摩擦は、それこそ戦前のように悪い方向性を生んでしまうことのほうが多いので、良い意味での可能性を見出すためには、消耗しないように進める必要がある。
場合によっては、建て替えや開発を推進しようとしている人たちがある瞬間に前言を翻し、ストック活用を促すようなことが起こりうる。君子豹変ですね。ある意味日本的な傾向ともいえますが、彼らが変わったとき、それは大きな転換期になるだろうとは思うんですが、それを待っているとどうしても転換が遅くなりすぎる。
浅子:
なかなか耳が痛い話ではありますが、内田さんがかつて「定常化社会の建築──生産から維持へ」(『at プラス』2011年5月号、太田出版)で書かれていたことも、まさしく「転向」についての話でした。それによると、戦後の住宅の大量供給は、戦後間もない頃に工業化の啓蒙に励んでいた建築家たちの手によってではなく、木造の在来工法や鉄筋コンクリート造という、戦前から連続する技術が実際にはその量を担っていたとのことでした。やがて1970年代以降に実質的な住宅の工業化が開始する頃になると、工業化を喧伝していた建築家が掌を返すようにして、「在来木造のモノをつくらなければならないのだ」と主張し始める。内田さんはこうした点について歴史的な矛盾であると指摘されています。
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公開日:2017年08月31日