「ユクサおおすみ海の学校」水回りユニット「ライフコア」レポート

廃校利用の可能性を広げ小学校はより公共的な場所へ

川畠康文(Katasudde 代表、大隅家守舎 代表、プラスディー設計室 代表)×
石井健(Kadasudde 役員、ブルースタジオ 執行役員)+大島芳彦(Kadasudde 役員、ブルースタジオ 専務取締役)×
白井康裕(LIXIL)

新建築』2018年9月号 掲載

南からの俯瞰南からの俯瞰。錦江湾に面したロケーションであることが分かる。
「ユクサおおすみ海の学校」のロビーで行われた座談会の様子。「ユクサおおすみ海の学校」のロビーで行われた座談会の様子。左から大島さん、川畠さん、白井さん、石井さん。

鹿児島県・大隅半島の錦江湾沿いに建つ2013年に廃校となった旧菅原小学校は、体験滞在型宿泊施設「ユクサおおすみ海の学校」へと生まれ変わり、2018年7月15日に開校日を迎えました。
「ユクサおおすみ海の学校」の事業主として事業計画から設計、運営まで携わっているKatasuddeの川畠康文さん、同様にKatasuddeの役員として事業に関わっているブルースタジオの石井健さん、大島芳彦さんと、今回「ユクサおおすみ海の学校」で初めて導入された水回りユニット「ライフコア」の開発を担当したLIXILの白井康裕さんを交えて、廃校小学校の利活用による地域活性化の可能性と、それを広げる自由な水回りユニットのあり方についてお話を伺いました。(編)

「小学校」という地域に根付いた環境を再生する

──「ユクサおおすみ海の学校」のプロジェクトがスタートした経緯についてお話いただけますか。

大島芳彦(以下、大島)

ここ鹿児島県鹿屋市は、実はブルースタジオ代表取締役の大地山博の出身地で、ブルースタジオを設立した大地山と石井と僕は学生の頃からの家族のような付き合いで、鹿屋市には何度か訪れたことがありました。10年以上前に初めて訪れた時の鹿屋市の中心市街地は閑散としており、大地山の故郷ということもあり、日々日本各地で地域再生、不動産再生の仕事をする僕らが、自らの事業として地域再生に取り組むとすれば、それは鹿屋をおいて他にないだろうという認識がずっとありました。その後、2015年1月に鹿屋市でリノベーションスクール鹿屋が開催され、その時僕たちと共にスクールのマネジメントに関わってくれた川畠さんやその仲間たちに出会ったことがひとつのきっかけだと思います。川畠さんとはスクールの7年ほど前に鹿児島で開催されたリノベーションシンポジウムで出会い、彼がこのあまりイメージのよくなかった鹿屋市で、自分で建築デザインもやりながら、不動産やイベントもやり街に積極的に関わっていこうと行動しているのを知って仲良くなり、鹿屋市でいつか何か一緒にやろうよという話をしていました。鹿屋のリノベーションスクールでその環が一気に広がった感じでした。

川畠康文(以下、川畠)

元もと僕は建築設計を勉強していて、29歳の時に地元である鹿屋市に帰ってきて設計事務所を立ち上げました。僕の母が不動産をやっていたので、設計事務所の仕事をやりながら不動産にも関わっていました。当時、設計事務所を立ち上げたものの、こんな田舎の街で住宅の設計を頼んでくる人はあまりいなかったので、仲間と一緒に市内の再開発ビルの1フロアで雑貨屋さんを集めたデザインマーケットを主催して、その中で建築のブースもつくっていろいろな人に見てもらおうということを始めました。それがどんどん規模が大きくなって、場所を商店街の空き店舗へ移し、来場者も増えて商店街の人からも感動され、そこからなかなか街づくりから抜けられないような状況にありました。そこで、改めてちゃんと街づくりの勉強をすべきだと思い、リノベーションスクールに参加しました。
ちょうどそのリノベーションスクールが終わるタイミングで、鹿屋市に廃校となる小学校が3つあるという情報が入り、ブルースタジオのみなさんと一緒に実際に見に行きました。

大島:

この旧菅原小学校を訪れた時に、桜島と開聞岳が同時に見え、錦江湾が一望できるロケーションにいたく感動しました。また、この旧菅原小学校は創立から120年という長い歴史があり卒業生がたくさんいます。卒業生がたくさんいるということはそれだけ地域に根付いているということでもありますから、「小学校」という器は地域再生にとって非常に理想的な環境でした。ホールや地域センターという建物も街にとっては重要だと思いますが、小学校はみんな誰しもが自分の郷愁をそこに湧き立たせるような要素を持っていて、かつフラットな場所でもある。そこでこの旧菅原小学校を、地域資源である豊かな自然と、地域のみなさんと連携したさまざまな体験を通して楽しみながら過ごせる宿泊施設として再生し、大隅半島における滞在体験型観光の発掘・促進とすることを考えました。

川畠:

その頃、市の方でもこの廃校をどうにかしたいということで利活用策を公募していて、さまざまな企業から研修施設や保養所、老人施設として使いたいという案があったようです。しかし、市としてはこの場所を鹿屋の観光拠点としたいという思いがあったようで、そこに僕たちの提案がピタリと一致して選んでいただいたという経緯があります。

大島芳彦大島芳彦
川畠康文川畠康文
石井健石井健

当事者として参加しやすい仕組みづくり

──「ユクサおおすみ海の学校」はどのように運営されているのですか。

川畠:

このプロジェクトの事業運営主体は「Katasudde」という新しくつくった現地法人で、Katasuddeが鹿屋市から旧菅原小学校の校舎と敷地を借り受けています。Katasuddeはブルースタジオの役員と僕らが鹿屋市でまちづくりを行っている大隅家守舎という会社の役員の合計7名で構成されていて、事業の運営資金は、その7名の個人出資と、ブルースタジオの会社としての出資、また、民間都市開発推進(MINTO)機構からの出資で成り立っています。

石井健(以下、石井)

また、クラウドファンデングも実施しました。これは単純な資金調達のためではなく、これから運営していく中で、当事者として関わってくださる仲間集めのためという要素が大きいと考えています。その最初のきっかけとして、グラウンドに面する場所にみんなでバーベキューができるテラスをつくる資金をクラウドファンデングで募りました。地域の食材や食文化に敬意を払い、それを繋いでいくということも本プロジェクトのひとつのコンセプトでもあるので、このバーベキューテラスはひとつの心臓部でもあるのです。500万円という目標を立ててクラウドファンデングをスタートし、おかげさまでたくさんの共感を得て、最終的に700万円の出資を得て実現させることができました。これからも、みなさんがこの場所に関わっていく中で、だんだんと自分の場所であり地域の愛すべき対象であると思ってもらえるようになると、「こんなものがつくりたい」「こういうことがやりたい」といった意見が出てくると思うので、それを実現させていくための手段としてクラウドファンデングは非常に適していると思っています。

1階廊下から元もと昇降口だったロビーを見る。1階廊下から元もと昇降口だったロビーを見る。
2階宿泊大部屋2階宿泊大部屋。団体での宿泊が可能。
グラウンドから校舎棟を見る。

グラウンドから校舎棟を見る。左にクラウドファンディングで建設資金を募ってつくられたバーベキューテラスが見える。

──「ユクサおおすみ海の学校」にはテナントがいくつか入っているのですか。

鹿児島Fun Ride体育館に設けられたスポーツ自転車ショップ「鹿児島Fun Ride」。奥に校舎棟が見える。

川畠:

Katasuddeの役員に鹿屋市で障害者支援施設を運営している大山という者がいて、彼がこの「ユクサおおすみ海の学校」ができる時に本格的なチョコレート工場をやりたいと言ってくれて、カカオ豆の焙煎から製造までの全行程を自らの工場で行い販売をするチョコレート工場「kiitos」が1階に入り、そこでは障害のある人が働いています。障害のある人の雇用機会の創出や地域社会との接点としての役割も担っています。
また、体育館にはスポーツ自転車ショップ「鹿児島Fun Ride」が入っています。鹿屋市の鹿屋体育大学自転車部が全国的に非常に有名なのですが、その自転車部をメカニックとして支えられていた方がオーナーの、非常に本格的な自転車ショップです。

大島:

大隅半島は、「ツール・ド・おおすみ」というロングライドのサイクリングイベントが開催されていたり、鹿屋体育大学自転車部が強かったり、自転車を乗る人たちにとって非常に走りやすい環境があるのも特徴なのです。地形が多様で、海が見えるコースや山岳コースなどさまざまなコースもつくることができ、本格的な自転車ロードレースの聖地となっています。ですから、この「ユクサおおすみ海の学校」を是非自転車部の合宿にも利用してもらいたいですし、サイクルツーリズムの拠点になるとよいなと思っています。

見えないインフラ整備が必要となる廃校利用

──改修にあたって、建築的に苦労したポイントはありますか。

川畠:

廃校利用は、実は見えないところに非常にお金がかかるのです。たとえば、デザイン上はほとんど変わりませんが、今回全部屋に排煙窓を新しく設置しました。小学校を不特定多数の人が使う施設へと用途変更するには、防災上の規制が異なるのです。小学校は、昼間にしか使われないですし、引率する先生がいてクラス単位で動くことができ、また防災訓練もしている前提の施設なので、消防や避難に関して緩和されている部分がかなりあります。それに対して、宿泊施設は不特定多数の人が集まり、昼間だけでなく夜も人がいて宿泊しますから、小学校の対極にある施設と言える。ですから、排煙窓や内装制限、スプリンクラー、消火栓など、小学校では緩和されていた箇所について、宿泊施設に適した仕様へと変更しなくてはいけませんでした。

石井:

また、この地域は下水が整備されていないため、浄化槽が必要となります。既存の小学校の浄化槽がありましたが、それは小学生たちが昼間過ごす間使用する量で計算されているのでとても小さいものでした。それを今回は宿泊施設だけでなく店舗や食堂なども入る複合施設へと変更するので、かなりの量を見込まなければいけませんから、大きな浄化槽が必要になりました。また、浄化槽が大きくなると設置する場所も限られるので、以前とは反対の海側へ設置しました。そのため、地中を通る下水管はすべて逆勾配に引き直さなければいけませんでした。

大島:

このように、設備などの見えないところに注力する必要があったため、建築全体の隅々にまで手を掛けることはできませんでしたが、結果として、空間が小学校然としているからこそ、地域のみなさんも訪れた方も愛着を持ってくださる施設になったと感じています。また、防災上の規制や消防に関わる仕様については、行政の方たちと一緒になって協議を重ねて実現しています。つまり、自治体の協力があってこそ成り立っているプロジェクトでもあります。

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公開日:2019年04月26日