フランク・ロイド・ライト生誕150周年記念

帝国ホテルの「インペリアル タイムズ」を支える「LIXILものづくり工房」の仕事

『コンフォルト』2017 August No.157 掲載

  • ※「ものづくり工房」は、2021年7月1日より施設名称を「やきもの工房」に変更しました。

フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル旧本館のデザインと、戦後日本の文化を並行して振り返ることができるスペースが、帝国ホテル内に生まれた。ライトの煉瓦はその昔、常滑でつくられており、そのものづくりスピリットは現在も常滑に生きている。

帝国ホテル旧本館「ライト館」

日比谷にあったころのロビー・ホール。彫刻を施した大谷石と、スダレ煉瓦を組み合せた陰影に富む造形。3層吹抜けの空間の左右には、大谷石とスダレ煉瓦、透かし入りのテラコッタを用い、内部に照明を組み込んだ「光の籠柱」が立ち上がる。(写真:村井修)
客室棟のエレベータタワー外壁。スダレ煉瓦で覆い素材感ゆたかな表情。中央部分は特殊形状のスダレ煉瓦。際立つデザインであると同時に、雨水の通り道に。
(写真:村井修)
スダレ煉瓦のディテール。博物館明治村で撮影。

誰も見たことがなかったライトの「スダレ煉瓦」

20世紀近代建築の三大巨匠の一人、アメリカの建築家、フランク・ロイド・ライト(1867?1959年)は、日本では1923年(大正12)東京・日比谷に竣工した「帝国ホテル」を設計し たことで、その名が知られるようになった。日本を代表するホテルとして、多くの国賓級の人々を迎えたが、老朽化などにより、1967年(昭和42)に惜しまれつつ解体。 玄関部分が愛知県犬山市の博物館明治村に移築保存されている。今年(2017年)はライトの生誕150周年にあたり、「帝国ホテル東京」ではロビーに常設展示スペース「インペリアルタイムズ」を新設した。四隅には「ライト館」と呼ばれた旧本館のロビーと宴会場を彩った「光の 籠柱 かごばしら 」を再現。平面図や模型、椅子や煉瓦など当時の品々をライトの誕生日の6月8日から公開し、価値ある歴史を伝えている。
再現された「光の籠柱」で大谷石とともに使われたスダレ 煉瓦 れんが とテラコッタは愛知県常滑市のINAXライブミュージアム内にある「LIXILものづくり工房」が復原成形、焼成を行った。じつは帝国ホテル旧本館の建設にあたっては、1917年(大正6)常滑に直営工場「帝国ホテル煉瓦製作所」が設立され、色や面状が特殊な煉瓦づくりにINAX(現LIXIL)の前身、伊奈製陶の創業者が尽力していたのだ。
ライトの建築を大きく特徴づける幾何学的なデザインと、陰影の深い造形を実現するためにライトが求めた材料は、彫刻を施す石材と、黄色(淡黄色)の「スダレ煉瓦」だった。この名称は、当時の回顧録「帝国ホテルのスダレ煉瓦」(※)に用いられており、煉瓦の表面を引っ掻いたスクラッチ模様のことをスダレと言っている。ライトはアメリカ産の煉瓦の見本を提出したが、総支配人・林愛作をはじめとする関係者にとっては「何れもわが国においては いま かつ て見たことのない品物ばかり」だった。

※「帝国ホテルのスダレ煉瓦」は、元帝国ホテル衣糧部主任の牧口銀司郎が『月刊日本クリーニング界』に寄稿(1964?66年)した。牧口は「帝国ホテル煉瓦製作所」所長として常滑に派遣され、後年、常滑での4年半を書き残した。

ライトが「ベリーグッド」を連発

ライトが要求したスダレ煉瓦は250万丁。さらに軽量化のための部材として「穴抜き煉瓦」(中空煉瓦)150万丁、計400万丁という想像を超える数量だった。輸入すれば建設予算の6割が費やされるとわかり、国産化が決まったという。だが当時は赤煉瓦が主流で、黄色の煉瓦の当てがない。重役会議で村井吉兵衛が京都に建てた別荘「長楽館」に黄色の化粧煉瓦を使っていると語ったことから、製造した常滑の窯業家、久田吉之助の名が浮上した。ここで常滑の地とライトの帝国ホテルがつながった。しかし久田の製造は思うように進まず、結局ホテル直営の「帝国ホテル煉瓦製作所」が設立される。半年後に黄色い発色を得る焼成法にたどり着き、スダレ煉瓦の見本を林愛作に届けた。それを見たライトは「オーベリーグッド、ベリグッド」を連発したという。
同製作所は常滑で工場を借り受け、原土粉砕機や土練機などの設備を導入し、従業員を雇い入れ、運営者、技術者が協力して膨大な数量の煉瓦製造を開始した。このとき請われて技術顧問となったのが伊奈製陶の創業者、伊奈長三郎と父・初之烝だった。当時、二人が営んでいた伊奈製陶所はアメリカから製造機械を導入し、土管の大量生産工場を運営していた。そのノウハウを帝国ホテルの煉瓦製造工程に活かし、製造の指導にも当たった。
ライトはその後、テラコッタ、敷瓦(クリンカータイル)もオーダーし、製作所ではそれらの成形にも試行錯誤を重ねた。1921年(大正10)に「帝国ホテル煉瓦製作所」は製造を終え、設備と従業員を伊奈初之烝に譲り渡した。同年、匿名組合伊奈製陶所が設立され、3年後に伊奈製陶に発展した。帝国ホテルの建築材料を手掛けたことで、常滑では建築陶器製造の気運が高まった。スダレ煉瓦は人気を呼び、その後の建築でスクラッチタイルが流行した。
伊奈初之烝、長三郎が築いたやきものの技術力は今日まで受け継がれている。その精神性を色濃く宿し、活動しているのが「LIXILものづくり工房」なのである。

取材・文/清水 潤 撮影/梶原 敏英(特記をのぞく)

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公開日:2018年03月31日