住宅をエレメントから考える
〈キッチン〉再考──料理家と考えるこれからのキッチンのあり方(中編)
樋口直哉(料理家/作家)×浅子佳英(建築家)×榊原充大(建築家/リサーチャー)
『新建築住宅特集』2019年10月号 掲載
『新建築住宅特集』ではLIXILとの共同で、住宅のエレメントやユーティリティを考え直す企画を掲載してきました。「玄関」(JT1509 & 1510)、「床」(JT1603)、「間仕切り」(JT1604)、「水回り」(JT1608 & 1609)、「窓」(JT1612)、「塀」(JT1809 & 1904)と、さまざまなエレメントを取り上げました。機能の側面だけではなく、それぞれのエレメントがどのように住宅や空間に影響をもたらしてきたのかを探ります。今回は住宅の「キッチン」を取り上げ、その現状と今後の可能性について、分析を中心とした前編(JT1909)、リサーチからなる中編、「これからのキッチン」のあり方への提案を行う後編の3本立てでお送りします。
※文章中の(ex JT1603)は、雑誌名と年号(ex 新建築住宅特集2016年 3月号)を表しています。
縦軸に「対象(個⇄コミュニケーション)」、横軸に「機能の度合い(ミニマル⇄充実)」を取るマトリクスを用意し、「前編」では「これまで」から「これから」のキッチンを考える上でポイントになるトピックを挙げ、鼎談を行った。「中編」では、前編で検討した事例を入り口に、マトリクスの各象限を個々に掘り下げていく。「後編」の提案に繋げるため、具体的な事例の収集や取材、プランの検討なども行っている。もちろん、「これからのキッチン」を考える上で、フードテックの高まりを背景とした装置やプロダクト、外部サービスとの連携は外せないため、事例は建築的・空間的なものに限らない。興味深いのは、ひとつひとつの象限をより深く検討していくにつれ、その対極にある象限との接点が見えてきたことだ。前編で想定した2次元的なマトリクスが、実は3次元的なものとなる、という見立てだ。ひとつひとつ紹介していきたい。
(榊原)
「これからのキッチン」:第2象限
個×ミニマル
「世帯」の変化、「個」の多様性
国立社会保障・人口問題研究所による2018年推計の「日本の世帯数の将来推計(全国推計)(図2-1)」によれば、1980年には世帯の42.1%を占めた「夫婦と子」からなる世帯も2010年には27.9%となり、2035年には23.8%まで減少するとされている。対して、1980年に19.8%だった単独世帯は2010年に32.4%となっている。すでに逆転が起こっているわけだが、この単独世帯が、2035年には38.7%まで拡大する予測が立てられている。他に増加するのは「夫婦のみ」「ひとり親と子」とされており、「世帯」のイメージは40年前に比べて圧倒的に違ってきている。
前編において「これまでのキッチン」を「主婦が家族のために料理をつくる場所」と定義したが、「主婦」と「家族」という関係性自体が単独世帯(上記推計によれば、30代以降の男性、40代以降の女性の、とりわけ高齢者の独居率が増加する)にとって代わられようとしている。その現実は、「これからのキッチン」とその課題を考える上で前提となるだろう。
『住まいと家族をめぐる物語──男の家、女の家、性別のない部屋』(集英社、2004年)の著者である西川祐子氏によれば、全国の都道府県で住宅の戸数が世帯数を越えた1976年に日本初のワンルームマンションとともに「ワンルーム」モデルが創出されている。その後、投資対象ともなりこのモデルは急増するわけだが、最小限のシンクとコンロのセットからなるキッチンは、生活文化を専門とする研究者澤島智明氏による調査(2013年)でその狭隘化が課題として指摘される場面もあったようだ。しかし現代においては、テクノロジーから食のイノベーションを目指す「フードテック」によって「完全食COMP」「All-in PASTA」などのプロダクトが誕生、また「Uber Eats」「ワタミの宅食」などのデリバリーサービスが充実し、むしろ必要最小限のキッチンが「適切」な設備として捉えられるようになりつつあるのかもしれない。いわば「食の外部化」だ。日本ではコンビニが家庭の冷蔵庫の役割を担う場面も一般的になり、サービスの台頭によって食の外部化はますます進んでいる。
東南アジアの都市を研究対象とする林憲吾氏(東京大学生産技術研究所)によれば、こうした食の外部化は「流通」の問題と密接に関わっている。インドネシアでは慢性的な都市渋滞などによって物流が十分に発達していないため、大量製造と流通によってどこでもコンビニが冷蔵庫代わりになるという日本のような状況にまだ達していない。しかし東南アジアは食の外部化が日本より進んでいる。それを可能にするのがインフォーマル経済を背景とする屋台である。近年は「Grab」などの配車アプリと融合し、屋台食のデリバリーも広がっている。共働き世帯の多いインドネシアではファミリーマンションであってもキッチンが日本のワンルームマンションのようにミニマルな事例や、部屋が狭すぎるあまり、キッチンに洗濯機など他の家電が並ぶといった、調理の効率性に重きを置かない暮らしぶりも中間層の住まいに現れている(図2-2)。
ここで忘れてはいけないのが、キッチンを使う「個人」の多様性だろう。個人の暮らしの多様化に伴い、その「必要最小限」もまたそれぞれに特有のものになる。身体的特性の異なりがより顕著になる高齢者や、ハンディキャップを持つ固有な存在も、もちろんその対象である。車椅子での生活を送る単身者の活動から割り出された寸法体系によってミニマルなキッチンを設計した早稲田大学入江正之研究室+D.F.I.による「住居700」(JT0505、事例2-1)はその一例となる。システムキッチンなどの規格合理化方向とは異なるかたちで今後も検討が続けられるべきだろう。
(榊原)
「これからのキッチン」:第3象限
コミュニケーション×ミニマル
削ぎ落とす豊かさ
たとえば、バーベキューコンロは「焼く」という調理に特化した設備であり、他者とコミュニケーションを取りながら調理し食事もできる。必要最小限の設えとミニマルな調理方法でありながら、コミュニケーションも誘発する。それがこの象限で追求する「キッチン」の方向性である。
取材したのは、スープ作家の有賀薫氏が独自に開発した「ミングル」(事例3-1)。小さいながらも360度どこからでも複数人がアクセスできる、ミニマルかつコミュニケーションについて考えられた「キッチン」だ。950mm角の作業台の中心に置かれたIHコンロ、コーナーのひとつに設置された流し、食器の収納を兼ねた食洗機といった必要最小限の構成要素がひとつひとつ検討された上で配置されている。これまでのキッチンは主婦という「ひとりの人」が使うことが前提とされ、それゆえ「使っている人」とそうでない人との間で格差が起こっていた。嫁姑、夫婦間に起きがちな主従の関係性を解放するためのトライアルがミングルであるとも言える。当然この設備でつくれる料理には制約があるが、「Oisix」などのミールキットサービスを活用する、中食と組み合わせる、などによって、多忙な若年世代や高齢者のライフスタイルにもフィットするだろう。小さくても他者とコミュニケーションを取る方法として、落合正行氏の「上池台の住宅〈いけのうえのスタンド〉」(JT1710、事例3-2)のように外部と接触する場に設けるもの、ツバメアーキテクツの「『しかく』いキッチン」(事例3-3)のように可動するものなども、その可能性を秘めている。
また、ミングルの重要なポイントはスープというメニューに特化して調理のハードルを下げている点である。冒頭のバーベキューもそうだがメニューがミニマルなのだ。そもそも、見ず知らずの人といきなり深いコミュニケーションを取ることは難しい。最初は他愛のない話から徐々に深いコミュニケーションを取ることができるようになる。また、コミュニケーションを取りたいと思っている人同士は放っておいても深くなる。難しいのはコミュニケーションを取りたくないと思っている人達をいかにして巻き込むかだ。料理も同じで、難しくめんどくさいと思われている限り、人は料理をしないだろう。だからこそ、簡単で楽しいものでなければならない。
そして、料理は時に言語さえ超える。かつてのように隣人だけでなく、現在では世界中の多種多様な人びととコミュニケーションを取ることが可能になった。一緒にテーブルを囲むだけで、たとえ言葉は通じなくとも、コミュニケーションが取れたような気持ちにさせる。料理を共にすれば、コミュニケーションはより深まるだろう。このように、コミュニケーションから考えた際にも料理や食はとても大きな力を持っている。冷静に考えてみれば、小さなスペースの中で、ひとりで煮魚も天ぷらもカレーも中華もつくらなければならないという家庭のメニューやキッチンはあまりにも無理があった。複雑になってしまうと、誰かとの協働も困難になる。メニューやキッチンがミニマルであることは、実はコミュニケーションを取るためにも重要なのである。
(浅子)
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公開日:2020年12月23日