穴が開くほど見る
── 建築写真から読み解く暮らしとその先 (第8回)

青木淳(建築家)×鈴木理策(写真家)

『新建築住宅特集』2023年7月号 掲載

第8回 青木淳(建築家)×鈴木理策(写真家)

「穴が開くほど見る──建築写真から読み解く暮らしとその先」と題して、史上に残る名建築の建築写真を隅々まで掘り下げて読み取ります(第1回はJT1802、第2回はJT1803、第3回はJT1808、第4回はJT1902、第5回はJT1908、第6回はJT2003、第7回はJT2210)。1枚の写真から時代背景、社会状況、暮らし、建築家の思いなど、読み取る側の想像も交えながら細部まで紐解くことで、時代を超えた大切なものを見つめ直し、未来に向けた建築のあり方を探ります。
第8回目となる今回は、青木淳氏と鈴木理策氏のおふたりにお話しいただきました。

  • ※文章中の(ex JT2212)は、雑誌名と年号(ex 新建築住宅特集2022年 12月号)を表しています。(SK)は新建築です。

青木:

中学・高校生の頃本屋で建築雑誌を見ていた時に、多木浩二さんが撮った篠原一男さんや伊東豊雄さんの建築を見て、ほとんど白くて、何も写っていないような写真に衝撃を受けたことを覚えています。建築家の作品は、ほとんど写真を通して見るものですよね。雑誌に載るそれらに、当時は建築を見ていたのか写真を見ていたのか分からなかったけど、漠然とすごい世界があると感じました。自分の建築を撮ってもらうことが始まると、「もう少しこう撮ってもらえないかな」と思うことも出てきました。それは、写真家が僕がつくったものを分かっていないというよりも、僕がやっていることが写真には撮りにくいのか、撮ろうとしていることと合わないことをしているんじゃないかなという気持ちでした。しかしなぜ写真に撮りにくいのかを考えると、近代建築は1枚の写真でその建築の本質が分かるようにつくられているからだと思ったんです。そして、1枚の写真でその建築の本質を撮れるということのふたつがぴったり合った時、いい建築、いい建築写真だといわれる。ただ、そもそも建築というのは1枚の写真で分かるようにつくるべきかという問題があるはずです。僕は、そういうことではないと思うんです。

鈴木:

写真には、記録だけを目指すか、そうではないものも目指すかという境界があると思います。建築と写真を比べると、写真の方が長生きするんですよね。その建築がどんなものだったか、その証拠として建築写真は機能します。だから1枚の画面の中にできるだけ情報を盛り込もうとして、撮れる位置やタイミング、光の具合を選択していくわけです。ある意味、場所や対象に撮らされる状態が建築写真にはどうしても起こる。しかし実際人はそんなふうに建築を見ていないですよね。写真には、その場の経験を伝えることもできるという思いがあります。たとえば僕が青木さんの「青森県立美術館」(SK0609)を1冊にする写真を撮った時、そこで感じた居心地を写真にできると面白いと思いました。最終的には写真として断片になるから、それを繋ぎ合わせなきゃいけないんだけど、「青森県立美術館」は決められた動線がないから、撮っている時は楽しいんだけど、でき上がったものをどう扱うかということの苦労がとてもありました。楽しい苦労でしたけど。

「ポール・セザンヌのアトリエ」Sensation 09, C-96

「ポール・セザンヌのアトリエ」(フランス)Sensation 09, C-96 (2009年)©Risaku Suzuki Courtesy of Taka Ishii Gallery

青木:

まず僕の1枚目は、鈴木理策さんが撮ったポール・セザンヌのアトリエです。本人を目の前にしていいづらいけれど、鈴木さんの写真は室内も室外のものもあるけれど、室内だけど室外であるという写真が特に素晴らしいと思って選びました。セザンヌは晩年、エクサン・プロヴァンスというフランスの丘陵地帯にアトリエを構えていて、そこから少し歩くとサント・ヴィクトワール山が遠望できるレ・ローブの丘という場所があって、晩年亡くなるまでそこで過ごしました。だから今もセザンヌが活動していたそのままの状態が残っています。室内を撮った写真は、セザンヌの絵の中に出てくる事物が多く映っているのですが、これはそうではない。写真に映るのは北側の大きな採光窓で、そこから外を見ているのか、外が見えている写真だと思います。ではどこを見ているか、もしくは見えているのかというと、この写真は中央右手前の木にピントが合っている。そして左にいくにつれてピントが外れていく。風が吹いていることが分かり、見上げた写真なので、開口の枠の歪みからその大きさと共にアトリエから見た感覚、自分が今どこにいるのか、奥行きとその場の雰囲気が感じられます。これは1枚の写真だけど、対象物を映しているのではなくシーン、ここにいた時どういうことを感じられるのかが映っていると思うのです。

鈴木:

ガラスが昔の手漉きガラスで歪んで見えるから、枝葉が風で動いた瞬間ふたつが合わさった状態を見て、これをセザンヌも見ていたのかなという経験を追っかけている感じが嬉しかったです。写真を撮る時に目指していることは、何を撮るかというよりどう見ていたかが伝わることです。説明的に撮ろうとするとピントをもっと深く、手前から奥まで合わせますが、それよりも自分がその場でものを眼差した様子をとらえようとしています。その眼差しを写真を見る人の眼差しにすり替えるという、イリュージョンとして成立させたいというのがひとつ目標です。絵もそうですが、僕ら人の目は全体を見られないんです。部分でしか見ることができない。部分を統合していく視覚的な経験をしているので、それを利用してシーンが生まれるように撮っています。ただ、そこでフレーミングを意識すると、写真の表現である構図を意識することが起こります。そのバランスを取ることが難しいです。

青木:

おそらくセザンヌ自身も同じような矛盾を感じていたと思います。だから鈴木さんの写真集のタイトルでもある「知覚の感光板」という言葉をセザンヌは残した。人間はありのままの現実を見ることはできないけれど、セザンヌは絵を通した表現で、判断せずに知覚が感光板に映るように描けないかと考えたのだと思います。それがいわゆるスーパーリアリズムみたいな絵にはならず、色の配置しか見えていないんだということがすごい。鈴木さんに「青森県立美術館」を撮ってもらった時に印象的だったのが、鈴木さんはカメラに対して仲間や兄弟のように接していて、自分でファインダーを覗いて自分で撮るというより、「カメラさんがんばって撮ってね」という感覚だとおっしゃっていた。しかしそこに矛盾があって、シャッタースピードを選択する必要があるわけだから、選択するということは無垢の現実を描くことも、撮ることも、見ることもできないというところがありますよね。

鈴木:

そうですね。あるがままを引き受けるというのは不可能です。何かものを見るというのは常に記憶を重ねていて、思い出しているのか、今見ているのかの区別がつかないことがあります。しかしカメラを通すとそれができるかもしれないという期待があるんです。カメラ自体は光をコントロールしているだけの装置なので、意図せず潜んでいるものが写真に現れてくることがたくさんあって面白いです。だから、この写真はこう見えるように撮るんだと決めて撮るよりも、その写真を見る度に何か発見、出会いがあるものが面白いと考えています。

青木:

建築にも同じことがいえますね。建築はある感覚をそこに与えることはできるかもしれません。空間を考える時、そこにどういう気持ちをもってもらうかを考えることはよくあることですよね。ただそれがそのまま実現することが「いい空間」であるとは思いません。そこで思わぬことを感じたり、思わぬ行動が起こったりする方がいいはずで、建築自体が強制しない空間がつくれないだろうかと思っています。そういう意味では、写真を撮った時に建築の世界観をはぐらかしたいという思いはあるかもしれません。

桂離宮「桂」古書院二の間南面・一の間と囲炉裏の間を望む

「桂離宮」(17世紀、京都府京都市)「桂」古書院二の間南面・一の間と囲炉裏の間を望む(1981~82年)©高知県、石元泰博フォトセンター

鈴木:

僕が選んだこの石元泰博さんが撮られた桂離宮の写真は、写真を撮っている者からすると、とても心地いい写真なんです。4×5インチのフイルムでビューカメラに三脚を立てて撮っているのですが、撮影する時、石元さんは逆さまに像を見ています。カメラ内部にピントグラスがあって、そこに格子状に線が引かれていて、そこに被写体を合わせていきます。特に建築を撮る場合は、その線が画面の中にあるのでそれに建築の中の線を合わせて構図を決めていきます。また、写真は外の枠もひとつの線です。画面の中にある線と、実際にはその外側にこんな世界がありますよ、でもここまでにしておきますね、という外郭の線とのやり取りが撮る側の判断の中に生まれます。その絶妙なやり取りが、この写真には明確に生まれています。まず最初に、真ん中の黒い柱がビシッとくる感じ。これは空間が歪まないように部屋の高さの中心にカメラを置き、おそらく90mmのレンズで柱に対してピントを絞っていった。その時石元さんは、この写真が印画紙にプリントされる時のことも考えたはずです。デジタルカメラの場合、撮った後でモノクロやカラーにする選択ができますが、フイルムは撮る時にはどちらかに決まっているので、モノクロの場合はグラデーションがどのくらいのトーンになるか判断します。モノクロプリントは黒から白までの階調の再現が魅力なので、たとえば右の襖の唐紙の桐の文様が、プリントをする際にすごく効いてきてそそられます。畳の目のピントのよさも心地いい。石元さんはこの構図が決まった時はきっと嬉しかったと思います。僕はこの写真のオリジナルを見たことがあるのですが、手触りまでも感じられるそんな素晴らしい写真でした。

青木:

石元さんの桂離宮の写真集は2冊あって、1冊が1960年に出た『桂』(造型社)、もうひとつが1983年に出た『桂離宮―空間と形』(岩波書店)です。
石元さんはアメリカでモホリ・ナギが設立したニュー・バウハウスで勉強していて、いうならばシカゴ派で完全にモダニストです。初期の写真は、外から屋根を写さず縦横のグリッドだけが写る写真としてトリミングしていて、丹下健三さんが序文を書いています。鈴木さんが選んだ写真は1983年の写真集に掲載されていて、磯崎新さんが序文を書いています。中がこれだけ明るく写っているのに、外構もしっかり写っているというのは、手前にバウンスさせたストロボの光によって可能になって、障子と奥の景色がフラットに見えてくる。その辺のことを、磯崎さんが桂離宮をモダニズムではなく、ポストモダンといったことと、この写真が面のレイヤーの重ね合わせでできていることがシンクロした感じがあります。その後石元さんは、両方の時代の写真を使って決定版のような桂離宮の本をつくっています。つまり、石元さんにとっては、両方を含めて桂離宮のあり方を考えていたんだなと思います。鈴木さんが桂離宮を撮ったらどんな写真になるかな?

鈴木:

桂離宮は石元さんの写真でよいのではないかと個人的には思います。磯崎さんが序文にも書かれていましたが、アメリカから来た異邦人として撮った時と、その後カラーフイルムで撮った違いが大きくあって、その25年の間に桂離宮の建築的な意味も変わりながら、桂離宮であり続ける力ももっていた。その桂離宮と石元さんの出会い方が特別なのだと思います。

「ファニャーノ・オローナの小学校」アルド・ロッシ

「ファニャーノ・オローナの小学校」 アルド・ロッシ(1975年、イタリア) Fagnano Olona (1987年)©Eredi di Luigi Ghirri

青木:

先ほど選んだ鈴木さんの写真も窓を写したものだったので、もう1枚も窓を写したルイジ・ギッリの写真を選びました。ギッリは、1980年代にアルド・ロッシの建築を撮っています。他の写真家がロッシの建築を撮った写真は好きではなかったけれど、ギッリが撮った写真はすごくいいと思い興味をもちました。「ファニャーノ・オローナの小学校」は、ロッシの初期の作品です。ロッシは建築をつくり始めたのが遅く、1975年の時の47歳なので、初期といってもだいぶ円熟しています。『ルイジ・ギッリ─アルド・ロッシ』(ELECTA、1996年)という写真集には、ギッリがロッシについて宛てた手紙や、ロッシがギッリに宛てた手紙を読むことができます。選んだ写真に限らず面白いのは、写真の色が、実際の建築よりとても色褪せて見えるところです。初期のロッシは、ディテールがオーソドックスでこだわりがありません。ただ、この写真を見て気がつくことは、とてもシンメトリックで、真ん中に中心線があり、正方形の窓が十字に切られて4つのグリッドでできていて、その向こうに煙突が真ん中に写っていて、床にはピンコロ石がシンメトリーに敷き詰められています。しかしよく写真の下端を見ると、左より右が明るくなっていて、右には階段のようなものも見えます。おそらく階段のところに開口があるということで、つまり一見写真はシンメトリーに見えますが、この建築の動線はシンメトリーではないということです。もし「ファニャーノ・オローナの小学校」が対称形だったら、写真の真ん中からこの部屋に入ってくるはずです。対称形ではないこの部屋に、窓の向こうにある煙突を利用して対称形であるように見せているという写真なんですね。そこを歩いている時の経験と、写真に写されているものが違うことから起こる不思議な感覚があります。それから、なぜギッリがロッシの建築をこの時期数多く撮ったかというと、ギッリ自身がロッシの建築を非常に気に入っていたということが写真集の文章から分かります。ギッリは、イスファハーンというイランの古い町にある不思議な泉が、小さな声で話したり指をパチンと鳴らすと、7つの音でこだますることを引き合いに出して、ロッシの建築は見るたびに違うものを思い出させると魅力を述べています。ギッリは、写真について現実を捕まえるもの、つまり実際にあるものを写真というものの中にもうひとつコピーするというとらえ方をしています。たとえば、街にたくさんあるポスターを撮る時、それを撮る自分も映るように背後の風景を自分も含めてガラスに反射させて撮っている写真が多いです。そこに、ギッリがロッシの建築に感じた記憶の存在と繋がるものがあると思います。この写真集の最後は、ロッシの模型写真が掲載されていて、そのことからも複製されたものを撮ることに興味をもっていたことが伺えます。だからギッリにとってこの建築の窓は舞台であるといえるのではないかと思うんです。窓の向こうに見えているのは舞台の中で演じられているもの。実際この建築には同じ窓がいっぱい並んでいて、それぞれ見えている景色は違います。それはすべての窓の外側に見えるものが、全部演劇のセットとしてあるように、取り替え可能ないろいろなキャラクターが出てくるということ。そのキャラクターを扱っているという感覚が、ギッリのロッシに対する感じ方だったのかと思います。ロッシという建築家は、類型的建築といって、あるひとつのかたちの中に、実はいろいろな集合的記憶、都市に生活してきた人間としての記憶が重なっていると考えていて、近代建築がそれを消し去ったといっています。そして、もう1回その記憶の重なりを建築に表現しようとしていました。その試みとギッリの写真がシンクロしたという意味で、この写真は面白いと思います。

鈴木:

確かに外の風景を2重化して、もう1回フレームするということをやっているんだけど、明らかに撮っている人の立ち位置、視線を示していますね。アメリカにウォーカー・エヴァンスという1930年代以降に活躍した写真家がいます。ドキュメント写真はある程度目的が決まっているものだけど、エヴァンスは撮った人がその写真に現れるように撮っていました。ギッリはエヴァンスから影響を受けていて、撮り方や色の反応の仕方が似ています。でもこの写真は、枯れた感じの、何かを語って伝えているんだけど他人ごとのような距離感があって不思議です。昨日撮ったといわれても、30年前の印象をもつような、思い出して喋ってるように感じられる写真です。

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公開日:2023年10月30日