穴が開くほど見る
── 建築写真から読み解く暮らしとその先 (第6回)

石上純也(建築家) × 保坂健二朗(東京国立近代美術館主任研究員)

『新建築住宅特集』2020年3月号 掲載

第6回 石上純也(建築家)×保坂健二朗(東京国立近代美術館主任研究員)

「穴が開くほど見る──建築写真から読み解く暮らしとその先」と題して、名作住宅の建築写真を隅々まで掘り下げて読み取ります(第1回は新建築住宅特集1802、第2回は同誌1803、第3回は同誌1808、第4回は同誌1902、第5回は同誌1908)。1枚の写真から時代背景、社会状況、暮らし、建築家の思いなど、読み取る側の想像も交えながら細部まで紐解くことで、時代を超えた大切なものを見つめ直し、未来に向けた建築のあり方を探ります。第6回目は、石上純也氏と保坂健二朗氏のおふたりに公開対談でお話しいただきました。

石上:

僕の学生時代はインターネット黎明期だったので、今のようにスマートフォンなどで写真を大量に見られる時代ではなかったから、国内外の建築雑誌を本当によく見ていました。当時の建築家にとって雑誌は、自分の建築を表現できる唯一のメディアだったから、相当な緊張感を持って写真を選んでいたと思います。今のように、自分の意図しないところで、自分の意図しない価値観とシチュエーションを伴った写真が拡散されることもない。建築家が選び抜いた写真は設計の集大成と言っても過言ではなく、大変メッセージ性の強いものだった。誌面からもその緊張感がひしひしと伝わってきて、自分はそこから何を読み取れるか、自分ならどうしただろうか、と強く意識して穴が開くほど写真を見ていました。保坂さんは学生時代、建築雑誌はよく読んでいましたか?

保坂:

大学は美術史の専攻だったのですが建築は好きで、建築雑誌よりも、全国各地の見るべき建築が載った図鑑のような本を読みながら、実際に見に行っていましたね。アートとしての写真に慣れ親しんでいた立場から正直なことを言うと、建築写真は当時の僕には地味に見えて、あまり興味がもてませんでした。しかし、自分で建築展を手掛けるようになって考え方が変わりました。建築写真の場合、構図的な面白さよりも情報量の多さが重要で、同じ写真でも関心の持ちようで見え方が大きく変わってくるのが面白さなのだと分かったんです。アートの写真も解釈の幅は広いですが、建築写真のほうが、対象自体はシンプルなのに、ディテールに注目したり生活の視点から考えたりするなど幅広い見方ができると思っています。

人と暮らしに即した巧妙なディテール/「ボルドーの家」 レム・コールハース

「反住器」 毛綱毅曠「ボルドーの家」 レム・コールハース(1998年、フランス、ボルドー) 撮影:Hans Werlemann 提供:OMA

石上:

僕が選んだ1枚目の写真は、レム・コールハースの「ボルドーの家」です。僕はレムの建築の中で住宅が突出して好きです。非常に高い密度のあるデザインがどのような思考のもとでつくられているのかに興味があって、住宅にこそ彼の哲学が反映されていると思うからです。この「ボルドーの家」は、僕が学生の時に計画段階として雑誌に発表されてとても注目していて、1998年に竣工した後に訪れる機会がありました。建主の夫婦は新聞社の元オーナーで、レムに依頼する8年前から自分たちの住宅を構想し、当初はシンプルなデザインをする建築家を探していたそうです。しかしその間にご主人が交通事故にあってしまい、半身不随の生活を余儀なくされた。階段や段差があるアメリカの古典的な住宅は車椅子生活の彼らには厳しい。「牢獄のような住宅から解放されたい」とレムに依頼したそうです。
この写真は、この住宅の構成がいちばん分かる1枚です。しかしそれでも理解しきれない謎がたくさんある。この写真を見てもエントランスがどこなのかも分からないでしょ。写真中央に遠く夜景が見えるように、敷地はボルドーの街全体を見渡せる丘の頂部。3層の構成で、写真の一番下のフロアはグランドレベルから見ると半地下で埋もれるようになっていて、円弧を描いた車寄せからアクセスします。レムは1階を「洞窟のような空間」と言っていますが、中央の半透明のガラス横に見える白いポールを倒すように引くとこのガラスが開く。不思議なのがエントランスを入るとすぐにキッチンなんです。2階はグランドレベルで写真の反対側の丘と連続し、透明感のあるリビングやテラスがあります。3階は寝室で、夫婦の部屋と子供部屋に別れ、ふたつの部屋は繋がっておらず別々の階段からアクセスします。窓が小さくて暗いように感じますが、EVコアの上部のトップライトによってEVコア自体が光庭のようになり寝室にも光が届きます。この住宅の一番の特徴である3層を貫く4×3.5mのエレベーターはご主人の生活空間で、彼は各階を自由に移動する。『錯乱のニューヨーク』(筑摩書房、1995年)でレムは、エレベーターの発明が建築のスケールを変え、都市の計画に大きな影響を与えたと述べていますが、この哲学と障害を持つ住まい手の生活が奇跡的にマッチして実現したプロジェクトと言えます。
この住宅は写真の人のスケールからも分かるように、豪邸でありながら天井高が2,100mmと低く手で触れられる高さで、広い天井面が空まで連続していくような水平性と住宅の親密性が強調されています。レムの住宅は、構成やディテールが共に奇抜で独特の雰囲気を持っているのに、実際それが住む人たちの理にかなっている。この住宅も一見巨大な機械であるエレベーターや大きな梁があるのに、ここに住む人間のスケールや暮らしに合っていて違和感がない。僕が聞いた話では、OMAの新入りスタッフはここを訪れてディテールを勉強するそうです。たとえば1階のFIX窓に対して2階の窓は少しガラスが外に飛び出すようにずれていますよね。普通この平面同士を同じ面内に納めるはずですが、少し外側にはみ出すことでこのボリュームの独立感が強まっています。また、玄関ドアのハンドルやシャフトドア上のカーテンレール、写真右の巨大な回転窓のレバーなどメカニカルで舞台装置のようなものと生活感漂う空間が共存している。発明品のようなレベルまでつくり込まれたディテールが巧妙にプランニングに組み込まれていて、この住宅はレムの要素が凝縮した、エキシビションと言えるかもしれません。

保坂:

写真をよく見ると、中庭に背を向けて椅子が置いてありますよね。これはボルドーの街を見渡すためのものですね。

石上:

そうです。中庭に面した階では家政婦がキッチンで働き、中間層では家族が団欒し、最上階からは謎の光が無数の穴から漏れ出ている。夕刻の暮れゆく陽と建築内部が等価な明るさの中ですべての空間を浮かび上がらせると同時に、それぞれの全く異なる世界を並列している。アンドレアス・グルスキーの撮る写真のように無関係の無数の世界が隣り合わせに、しかも、一見無関係に共存しています。脚の自由が奪われたこの住宅の住まい手のために、すべての世界をここに人工的に構築した。そういうレムの哲学をこの写真から感じます。

アルコーブ型キッチンで目指した暮らし/「住宅 No.3」 池辺陽

「オルタ自邸」 ヴィクトール・オルタ「住宅 No.3」 池辺陽(1950年、東京都新宿区) 撮影:平山忠治

保坂:

今の僕は建築写真を見る時、そこから読みとれる暮らしや文化的な背景が気になります。また、美術史を学んだからか、作者の意図を理解するためには違う作家の作品と見比べた方が理解が深まると思っているので、今回は僕がキュレーターを務めた「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」展のカタログで並べて掲載した2枚の写真を選びました。いずれも日本が朝鮮戦争特需で好景気の最中にあった1950年代初頭の住宅で、ふたつともキッチンをとらえています。住宅のキッチンを建築家がどう扱っているのかを見ることで、彼らが何を見据えて住宅をつくっていたかが浮かび上がってくると思います。
1枚目は、1950年に竣工した池辺陽さんの「住宅 No.3」で、L型キッチンを見た写真です。左からコンロ、流し、配膳台、テーブルと椅子と続き、キッチンからダイニングにかけて流れのある構成であることが読み取れます。よく見るとテーブルは取り外し可能で、キッチンカウンターは黒砥ぎ石です。当時ステンレスは一般住宅に普及していなかった一方、施工者の人件費が安かったという時代背景が感じられます。また、流しには蛍光灯、梁の側面には白熱灯が付けられています。蛍光灯は1950年代に一般家庭に普及し始めたばかりで、これをどこに設置するかは設計のポイントだったのかもしれません。また当時はキッチンとダイニングを連続させて計画する場合、キッチンを少し凹ませたスペースに設えるか、フラットに連続させるかの2通りがあったようで、ここで池辺さんは少しアルコーブに近いかたちを選択しています。だから玄関をセットバックさせたのだと想像できます。窓を見ると、台所は横づかいの滑り出し、リビング側は幅が狭めの縦の滑り出しです。異なる向きとプロポーションの窓を使ってリズムをつけながら空気や光を取り入れようとしたことが読み取れます。
少し時代背景を話すと、1949年、建築家の浜口ミホさんが『日本住宅の封建性』を著し、それまでの封建主義的な住宅からより民主的な住宅と女性の地位向上を目指して、仰々しい玄関や床の間の文化を廃止することを提唱しました。その観点からこの写真をよく見ると、床に敷いてあるマットから、玄関に対してすぐ横にキッチンがある。当時キッチンは女性の場所と考えられていたから、このキッチンだったら来客時にわざわざ移動しなくて済むし、玄関自体も非常にシンプルです。キッチン台は、流しがあることからも結構奥行きがある。上部の棚からクラシカルな計りが覗いて見えますし、すぐに取りたいものは流し上部の棚に、隠したいものは戸棚にと収納もとても機能的にできています。
もうひとつこの写真で気になったのは、撮影時にどこまでつくりこんでいるのかということ。テーブルのポットの横に容れ物が置いてあります。工芸に詳しい人に聞いてみたのですが、1950年代の技術ではセラミックにこのようなラインをうまくつけられなかったはずだから、素材は缶なのではないかと。となるとお菓子の缶でしょうか。あるいは、旅館で目にする茶櫃のような茶碗をスタッキングして入れる容器だったのでしょうか。いずれにしてもこの椅子式のダイニングが団らんする場所であることを示すために置かれたのでしょう。場所の用途を示す記号として撮影時に用意したのだと思われるのですが、置かれ方は結構ラフな感じです。

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公開日:2021年04月21日