食と建築 1

ガストロノミーから建築を考える

正田智樹(食と建築の研究者、竹中工務店東京本店設計部)

ガストロノモ(美食家)たちによるスローフード運動

私は大学院在籍時、イタリアのミラノに留学しスローフードと出会った。スローフードは、伝統食品の保護、消費者と生産者のネットワークの形成や教育活動を行っている運動である。なかでも、テッラマードレと呼ばれる2年に一度トリノで行われる食の祭典が代表的な活動であり、そこではおよそ80カ国、5,000人以上の人々が5日間集まり、出店、展示、講演会を行う。生産者から調理人、流通業者、消費者まで多くの人が伝統食や持続可能な食を守ることを目的に集結する。

Salone del Gusto 2016」トリノのヴァレンティーノ公園での様子

「Salone del Gusto 2016」トリノのヴァレンティーノ公園での様子
引用出典=Slow Food Image Library(http://imagelibrary.slowfood.it/)

そもそもスローフードとはどのような経緯で起こった運動なのか。 1980年代、ローマのスペイン広場にマクドナルドが出店する際、郷土料理を出すオステリアやバールで働く人々、生産者たちが、ファストフードの波が押し寄せることを危惧しデモを起こした。それをきっかけに、伝統食の保護や食に関わる人々のネットワークを形成するためにスローフード運動が始まる。

スローフード運動の創設者であるカルロ・ペトリー二は、「ガストロノモ(美食家)とは感性を研ぎ澄まし、自分の舌を肥やすことから、その食べ物がどんなものでどのようにつくられたかを視野に入れている人間なのである」と言う★1。彼らの「美食」への探求は皿の上にのせられた料理だけでなく、調理方法、流通方法、生産地の気候風土や生産者や原材料、テーブルから生産地まで遡る。まず、食の美味しさを体験し、知ること、それが持続可能性や伝統的な食品生産を守ることにつながるということである。

テッラマードレでは、まさにそのことを追体験できた。美味しそうな生ハムやレモン、チーズなどは、必ず生産工程とともに紹介されており、食がつくられる背景や物語には自然と興味が湧いてくる。ワインの栽培には風通しや日照条件を整えるためのパーゴラ、生ハムやチーズなどカビを湿度を高く保ってカビを生やして長時間熟成するためのレンガ室、ニンニクの乾燥など風通しをよくするためのガラリ窓など、美味しい食品の工程を観察していると、建築と食の間には自然資源を生かすための工夫がある。

ガストロノミーから建築を考えると、自然と建築の関係性を語れるのではないか。そう考え、イタリアのスローフード運動が保護する食品生産の調査をすることにした。

今回は2021年8月号、11月号、2022年2月号の連載テーマ「食と建築」のうち、イントロダクションとして、自身の体験からスローフード運動によって保護される食生産と建築の密接な関係をご紹介したい。

イタリアでの戦後から1980年代の動向

第2次世界大戦後、イタリアでは共通農業政策による生産増大、集約化、機械化によるアグロインダストリーを推し進めてきたが、1985年には農業を守るための最低人口の保持と、都市と農村の交流、地域の自然環境保全を目的としたアグリツーリズモ法が施行される。このアグリツーリズモ法は農家の建造物の修復費も、農業宿泊体験施設として運用すれば、全額が補助される★2。

戦後イタリアの農業についての年表

戦後イタリアの農業についての年表
植田曉「イタリアにおける都市・地域研究の変遷史──チェントロ・ストリコからテリトーリオへ」(陣内秀信+高村雅彦編『水都学III──東京首都圏 水のテリトーリオ』[法政大学出版局、2015]をもとに筆者作成)

また、都市計画学の分野では、戦後、ボローニャ市にはじまり、コモ、パヴィア、ヴェネツィア、ローマやトリノで建築類型学を用いた都心部の旧市街地におけるチェントロ・ストリコの復興と流入人口に対する都市計画の手法が行われた★3。1970年代には地質、地形、土壌、植生から風景を類型化するなど、都市と田園の風景を一体的に計画するテリトーリオへと移行する★4。

このように、農業地域の活力が再生され、伝統食や地域固有の食品が守られ始めるスローフード運動が発足した時期は★5、都市計画学や建築計画学が自然との関係のなかで計画を推し進めていた時期とも重なっているのである。

食─建築─風景

スローフード運動がイタリアで保護する約350種の食品は、伝統的であること、持続可能な生産方法であることが認証の大きな指標となっている。調査をしてみると、ワイン、ニンニク、酢、生ハムやチーズなど数種類の食品生産において、自然と建築の関係が見られるものがあり、今回はそのなかからバルサミコ酢の生産をご紹介したい。

モデナのバルサミコ酢の生産を見てみると、ぶどうの苗からぶどうの実になり、酒になり酢になるという状態変化に対し、栽培、圧搾、発酵、発酵・熟成という工程に分けられる。食料の状態を変化させるには、温熱環境的な変化や、潰す、切るなどの物理的作用による変化があるが、その工程には適切に設えられた空間がある。そのなかで、光、風、熱や水といった自然との関わりが重要な工程に着目してみると、栽培と発酵・熟成がそれに当たる。

バルサミコ酢の原材料の変化と工程

バルサミコ酢の原材料の変化と工程
筆者作成

栽培はセメント杭に鉄線を張り、垣根仕立てと呼ばれる方法でぶどうをTの字に伸ばすことで風通しや日当たりをよくする。その後、収穫したぶどうを圧搾し、ステンレスのタンクで温湿度を整えながらアルコール発酵させた後、木樽に移し、2階の熟成室に移動させる。大きな木造の小屋組の下にある内倒し窓を開け放つことで、外気の環境を取り込んでいる。夏は熱による発酵と蒸発、冬は冷気による休息と熟成を行い、毎年違う樽に少しずつ移し、発酵と熟成のプロセスを12年間繰り返すことで、バルサミコ酢は完成する。

このように、バルサミコ酢の工程では、栽培と発酵・熟成の工程において、自然を活用することで、食品の状態変化を促していることがわかる。

バルサミコ酢の原材料の変化と工程

バルサミコ酢のアイソメ図
筆者作成

さらに、斜面地に配された垣根仕立てのぶどう畑や風通しの良い2階部分にある発酵・熟成室は適切に自然を活用するために配置されることで、モデナのバルサミコ酢の生産風景を形成しているのである。このようにスローフード運動が保護する食品生産の工程を見ていくと、地域固有の風景が、自然やそれを活用する建築、伝統的に守られてきた人々のスキルなどとの強い関係性のなかで成立していることがわかる。

バルサミコ酢の風景

バルサミコ酢の風景
引用出典=https://acetaiasereni.com/en/

風景を維持・更新する──食品生産工程のブラックボックス化に抗って

かたちだけの風景でなく、人々がその土地で住まい、食品を生産することで形成される地域固有の風景を捉えるためには、建築、地形的特徴、自然や人々のスキルが食品生産の工程を中心に連関していることが重要である。では、それらを維持・更新していくためには何を考えればいいのだろうか。調査したなかから2つ例を挙げ、本稿を締めくくりたい。

アマルフィのレモン栽培は、栗の木で作られたパーゴラにより風通しを良くし、石積みの段々畑は水はけを良くし、太陽の光を反射させ、レモンにより多くの光を届けている。アマルフィはレモンの一大産地であると同時に観光地であるため、レモン産業と観光業を同時に成立させる必要があった。そこで、共同事業体を立ち上げ、一般の民家(多くは別荘)に植えられているレモンの栽培を彼らが行い、収穫したレモンはレモンチェッロ(糖度の高い果実酒)となる。このように、人々のライフスタイルが変わっても、制度や条例によって連関を維持し、固有の風景を守る方法がある。

アマルフィのレモン畑と民家のある風景

アマルフィのレモン畑と民家のある風景
筆者撮影

一方、ボルミダ渓谷という寒冷地で行われているワイン生産は、石積みの段々畑が昼間に吸収した熱を夜間に放射することでぶどうを冷気から守っている。戦後の人口流出により畑は放置され荒れ果ててしまったが、また石積みを整え直すことで、ワイン生産を復活させた。

ボルミダ渓谷のワイン畑の風景

ボルミダ渓谷のワイン畑の風景
引用出典=Slow Food Image Library(http://imagelibrary.slowfood.it/)

このように、食品生産の工程を中心とした連関は、人々のライフスタイルや求める食品の品質や数量、頻度などの需要の変化、環境の変化などとともに移り変わってしまう★4。伝統的な生産方法をすべて守り抜こうとすれば無理が生じてしまうだろう。しかし、スローフードが守る食品生産を観察すると、何を維持し、何を更新するべきかが見えてくる。工程によっては機械が導入されたほうが効率が良いし、美味しさをコントロールできる。そのなかでも、自然を活用する建築は、人々の営みとともに、実践のある風景を維持・更新する骨格となると感じている。

一方で、安定的で集約的なアグロインダストリーによって自然や伝統的な人々のスキルが必要なくなり、食品生産の工程が工場で完結する状態をブラックボックス化と呼んでみよう。ブラックボックス化してしまった食品生産では、工場のような地域固有の資源から切り離された無個性な風景に帰結してしまうだろう。しかし、そこでの地形的特徴や身の回りの自然資源をつぶさに観察し、ある工程に自然を活用する建築を挿入することはできないだろうか。ブラックボックスをもう一度開くことで、地域固有の風景を形成する建築を設計できるのではないか。

食品生産のブラックボックスを開き建築により風景を更新する図

食品生産のブラックボックスを開き、建築により風景を更新する
筆者作成

身の回りの美味しい食がどこからきてどのような工程を経て自分の元へたどり着くのか。それらを調べ、知ることから、建築やその風景を考えることは始まっているのだ。次回は食を扱う実践者を交え、日本の食生産を事例に食の美味しさと建築の関わりについて対談をしたいと考えている。



★1──Carlo Petrini, Buono, Pulito e Giusto, Slow Food, 2019.
★2──宗田好史『なぜイタリアの村は美しく元気なのか──市民のスロー志向に応えた農村の選択』(学芸出版社、2012)
★3──陣内秀信『イタリア都市再生の論理』(鹿島出版会、1978)
★4──植田曉「イタリアにおける都市・地域研究の変遷史──チェントロ・ストリコからテリトーリオへ」(陣内秀信+高村雅彦編『水都学III──東京首都圏 水のテリトーリオ』[法政大学出版局、2015])
★5──文化的景観学検討会『地域のみかた──文化的景観学のすすめ』(文化的景観スタディーズ01、奈良文化財研究所、2016)

正田智樹(しょうだ・ともき)

1990年千葉県生まれ。転勤族の父とともに、フランス、インドネシア、中国、ベルギーを高校卒業まで転々と移り住む。2014〜15年には東京工業大学塚本由晴研究室にて『WindowScape 3──窓の仕事学』(フィルムアート社、2017)で日本全国の伝統的なものづくりの工房の調査を行う。2016〜17年イタリアミラノ工科大学留学。現地ではSlow Foodに登録されるイタリアの伝統的な食品を建築の視点から調査。2017年東京工業大学建築学専攻修士課程修了。2017〜18年Slow Food Nippon 調査員として、日本の伝統的食品生産を調査。2018年〜竹中工務店東京本店設計部在籍。

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公開日:2021年08月25日