インタビュー 3
『BRUTUS』と『Casa BRUTUS』が建築にもたらしたもの ──専門誌はどこへ向かう?
西田善太(『BRUTUS』編集長)浅子佳英(建築家、プリントアンドビルド)
建築をキーワードに世の中が動く
浅子
西田さんが振り返るなかで、『Casa BRUTUS』の印象的な建築の特集を教えてください。
西田
まず1冊目は「安藤忠雄×旅」(2002)ですね。発売3日で書店から姿を消しました。表紙はコンクリート打ち放しの壁の写真で、立体感のある「ちぢみ」という印刷加工を施しています。1冊980円の雑誌なのにこの加工だけで数十円かかるという、つくり手側からすると採算が取れないようなことをやっています(笑)。どうしてもやりたくて、えいやっと決めてしまった。編集部に勢いがあったんですね。
企画の内容は、安藤さんの事務所に相談に行く新幹線の車中で決めました。安藤さんの特集をすることは決まっていたけれども、作品紹介は『太陽』などで詳細にやり尽くされているので、衣食住・旅を掲げる『Casa BRUTUS』なら旅だ、と。安藤さんに「ついて行っていいですか?」とお尋ねしたら「面白いこと言うなあ」ってスケジュール表をご覧になって、2カ月後の4月にヨーロッパに行くから来い、となってつくったのがこの特集号です。
ローマ、ミラノ、パリ、ニューヨーク、テキサスとほうぼうを回り、一緒にいいよ、という時は打ち合わせも見学させてもらいました。向こうの人は安藤事務所のスタッフだと思っていたんじゃないですかね。かばん持ちもしてたから。フランソワ・ピノーの私設美術館の打ち合わせは写真はNGと言われていたんですけれども、1枚だけならいいよ、と先方を説得してくれたりして。
思い出深いのは、レンゾ・ピアノのローマ音楽堂のこけら落としですね。ヨーロッパ中の文化大臣やVIPが集まる警備厳重な入り口で、安藤さんがおいでよと言うので同行させてもらったんです。レンゾ・ピアノが安藤さんに気づいて壇上から降りてきて、抱擁する貴重なシーンが撮影できました。
この号は安藤建築のカタログも載せていますが、パリやイタリアの都市の建築の成り立ち、ル・コルビュジエなど建築家の歴史を巡るストーリーでもあるんです。例えばローマなら、安藤青年が建築家になろうと決意したパンテオンから始まるイタリアの建築の魅力が語られ、安藤さんの言葉を通した建築入門書になっている。
2冊目は「建築×ファッション」(2001)です。ファッションの世界では、国内外の大物建築家を起用して東京にブティックを建てるようになったのがこの時期なんです。フューチャーシステムズが《コム・デ・ギャルソン青山店》(1999)を、レンゾ・ピアノが《銀座メゾンエルメス》(2001)を手がけたり。
とくに表参道は建築家の見本市のようになっていて、ヘルツォーク&ド・ムーロンの《プラダ青山店》(2003)、MVRDVの《GYRE》(2007)や伊東豊雄さんの《TOD'S表参道ビル》(2004、現ケリングビル)が。ファッションに限らなければ安藤さんの《表参道ヒルズ》(2006)や、山下和正さんの《フロム・ファーストビル》(1975)、黒川紀章さんの《日本看護協会ビル》(2004)、ザハ・ハディドの《ニール・バレット青山店》(2008)など、建築作品のショーケースのよう。
ファッションブランドの建築の魅力は、なかなか見に行けない住宅と違って、誰でも普通に有名建築家の建築を見に行けて体感できることなんですね。2005年には「スーパーシティ東京総力特集。」と題して、ブティック建築最大の巡礼地として東京を取り上げたこともあります。
建築家がファッションの店舗をやるようになった背景にはまずひとつ、バブルが弾けて地価が下がったことがあります。もうひとつはブランドビジネスが育ってきて、海外で買うのではなく、日本でも買えたらという消費者心理を受けて、ブランドが代理店や商社を通さずにジャパン社を立ち上げ、自分たち直営のブティックを持とうとした、それが90年代後半という時代なんですね。この状況が建築家という存在と結びついた。雑誌の特集の企画を左右するのは「気分」なんです。どうやら“建築”をキーワードに世の中が動いているぞ、と気づいたからこその企画ですね。
浅子
個人的に商業建築について研究しているので、当時の気分はよくわかります。
西田
そして、建築家というよりはプロダクト・デザイナーですけれども、柳宗理さんとつくった「SORI YANAGI A Designer──日本が誇るプロダクトデザイナー、柳宗理に会いませんか?」(2001)が思い出深いですね。当時はバタフライスツールしか知らない人もいたなかで、テーブルウェアからオリンピックの聖火台までデザインしてきた柳さんを徹底的に網羅しました。ご本人が存命(2011年逝去)だったのでインタビューもできて、そうすると編集の掘り込みにも深みが出る。いま新しいデザインはこれだ、流行っているこういうものを買おう、というのではなく、安藤さんにしても柳さんにしても歴史がある人達を再構築するのが強いんです。取材相手に徹底的に信頼されるまでの関係を築くやり方は、このあたりの時代に身につけたような気がします。編集者である自分にとって建築というジャンルに出会い、深く入り込んで仕事ができたことは得難い経験でした。
浅子
改めてお話を聞いていると、数々の特集を通じて、建築と家具やファッション、インテリア、作家に対するブームを『BRUTUS』と『Casa BRUTUS』がつくっていった感があります。
西田
雑誌がブームをつくった、という言い方には違和感があるんです。やはりそれは、建築という世界が盤石なつくりであったことが大きいのではないでしょうか。学問としての幅が広く、教育システムもしっかりしていて、そのトップに建築家がいるわけですよね。大学に根を張り学生を育てたり所員として教育したり、行政や国と仕事をする人がいる。ちょうどその頃、建築家たちが世代を問わず、社会に対して開き始めていたのだと思います。だから、僕らのような一般誌を受け入れてくれるようになった。建築家側も僕らの試みを面白がってくれる余裕があったのでしょうね。
違うジャンルの例でいえば、『BRUTUS』は1996年からワイン特集をよく組むようになったんです。ワインって高級な嗜好品ではなく、もっとポップで面白いものだという編集方針で、始めた当初はワイン界も様子見という感じで全面協力ではなかった。けれども回を重ねるうちに話題になり、ワインの消費量も鰻登りになって、1998年に3号連続でワイン特集を行った時は、ソムリエの方々が全員休みをとって取材に協力してくれたものです。
その時の編集部内の立役者のひとりが、『Casa BRUTUS』の2代目編集長の吉家千絵子さんだったのですが、彼女が思い出したように言っていたのは、ブームをつくったのが嬉しいのではなくて、2000年代になって、和食店に行ってもお寿司屋さんに行ってもワインが置いてあるようになったのは、1990年代後半の動きのおかげだよね、ということ。ブームのあとに定着する、というのが編集者の喜びなんです。
建築というジャンルでの『BRUTUS』『Casa BRUTUS』も同じことなんですね。安藤忠雄さんが東京大学で教えていらした頃、学生が専門誌を読まないから「『Casa BRUTUS』ばかり読んで、もうおしまいだー!」って僕をいじめるんですけれども(笑)、それは専門誌が良い悪いということではなく、誰も使っていなかった架け橋に僕らが手を入れた、ということなんですね。言い替えれば、易きに流れるということでもあるのですが。読むのが大変なものをカッコよく魅せてくれて、ワクワクできるほうが誰しも手が伸びるものでしょう。それにそもそも僕たちは建築的な意味や学会的な流れの外の世界にいますので。
ブームをつくるのでは雑誌ではなく、読者のリテラシー
浅子
とはいえ、少なくとも90年代後半から2000年代、『BRUTUS』や『Casa BRUTUS』が専門外の人々を巻き込んで建築デザインが盛り上がった時代があったわけですよね。
西田
建築やデザインに対して、読者のリテラシーが上がっていた時期でもあったのだと思います。安藤さんとヴェネチアに行った時、地元の土産物屋のおばちゃんに日本から何しに来たのか尋ねられたことがあるんです。安藤さんと一緒に来た、と言うと、「タダオ・アンドウは素晴らしい、ところで新しく架かったカラトラヴァの橋はどう思う、あんなのはダメだ」なんて語るんですよ。イタリアでは新築は珍しいから、誰でも見に行くんですよね。
これと同じことが当時の日本で建築デザインに対しても起こっていて、雑誌が読者のリテラシーを上げているのではなく、建築や建築家に関する知識が広まってきたからこそ、一般誌でも掘り下げた特集がつくれた。世間が育み始めた建築のリテラシーに後押しされたのが『Casa BRUTUS』の一連の建築特集だったのだと思います。時代のニーズというと大げさですが、ファサードやアプローチなど、専門誌の世界で使われていた建築の言語を一般の人も理解できるようになるのは、雑誌だけの力ではないと思います。建築家たちも世間に向かって対話し始めた時代だったのでしょう。
一般誌ならではの建築の見せ方とは
浅子
もうちょっとだけ食い下がらせて下さい。リテラシーが上がったと西田さんはおっしゃいましたが、やはり専門外である読者を惹きつける魅力が『BRUTUS』や『Casa BRUTUS』にはあったのだと思うのです。専門誌とは違う、一般誌ならではの誌面の見せ方というものはあるのでしょうか。
西田
それまで写真だけだった誌面構成に平面図を入れるようにしたので、平面図を読める読者を育てた、という自負はあるんです。あとはアクソメですね。空間は3次元なので2次元の平面図よりも立体的なアクソメのほうがわかりやすい。
ひとつ思い出したエピソードがあります。「安藤忠雄があなたの家を建ててくれます。」特集では、当初は入れていなかったんですが、僕がアートディレクターと打ち合わせしている時、編集長の斎藤さんがきてじーっと僕が描いたラフレイアウトを見て、「面白いね、面白いね」って言うんだけれども、「西田、悪いけど全部に図面入れて」と、50軒以上の図面をつくって全面的にレイアウトし直しました。言われたときは頭が真っ白になったけれど、図面を入れたのは絶対に正しかった。「家を建てるんだ」という気持ちの本気度につながったんです。
あと編集技術的な話になりますが、「安藤忠雄があなたの家を建ててくれます。」は、施主募集のハガキが前に入っているって先程言いましたが、その後の10人の建築家のページのつくりは全部同じなんです。インタビューと実作1件、作品リストとそれらの建築データというセットの繰り返しです。何か面白いことをやっているわけではなく、いわばカタログのようなものなんですね。
カタログって、車やコンピューターや家電など、もらっても興味なければ読む気がしないですよね。けれども車を買おうと思い立ったらスペックまで詳細に見比べるじゃないですか。この特集では、本当にこの建築家たちが家を建ててくれるの? と思ったとたんに、平米数、建坪、総面積、工期、値段、予算といった建築データが輝いてくるわけですよ。
浅子
なるほど! 今の話は無茶苦茶面白いですね。僕は一般誌だからいかに建築を易しく伝えるか、ということが鍵なのかと勘違いしていました。たしかにカタログはそうですよね。データが輝いてくるというのは名言です。
西田
一般化はわかりやすく言うことではなく、本気にさせること。工夫はしてますよ、この号では巻頭の応募ハガキがキモで、出落ちなんです(笑)。ハリウッド映画風に言えば最初のシーンが爆発から始まるようなもの。建築家へのインタビューも、普通なら建築のポリシーや哲学を聞くのでしょうが、あなたは施主とどう対峙しますかという話しか聞いてないんです。
専門誌・紙媒体の衰退は止められない?
浅子
僕が今、憂いているのが専門誌の衰退なんです。僕が学生だった時に比べると、廃刊になったり発刊ペースが落ちていたり。
西田
そうですか? 世界の建築を紹介している雑誌って、スペインの『El Croquis』と日本の『a+u』だけで、いまだにやり続けているのは偉業ですよ。建築誌の編集者の方たちと交流していると、とくに30代40代の若手編集者って、一般カルチャーにも詳しいし、Netflixも観れば、食べることも好きで、いろんな話題をもっているから話していて楽しいですよね。それがひとたび建築の話になると人が変わったように熱意をもって、かつ、わかりやすく説明してくれる。こうした若手編集者と接していると、建築専門誌のノウハウは連綿と引き継がれているなぁと感心しちゃいます。
浅子
僕は建築専門誌が数多あった時代を知っている世代の最後の人間ですが、専門誌の情報や批評はもとより、カルチャー誌・ライフスタイル誌であるにもかかわらず内容の濃い『BRUTUS』や『Casa BRUTUS』からも多くを学びました。これから建築を学ぼうとしている学生たちにとっては専門誌自体が限られているし、それこそ建築の情報を得る媒体がPinterestやInstagramだけになってしまうことに危機感を覚えています。もうひとつ気になっているのは、『BRUTUS』や『Casa BRUTUS』はかつて建築との蜜月な関係がありましたが、最近は建築の特集が組まれる頻度が減ってきていませんか?
西田
『Casa BRUTUS』については現在、語れる立場ではないのですが、『BRUTUS』ではインテリア主体ですが、建築としての視点もある「居住空間学」特集は毎年コンスタントにやっていますよ。
建築には紙媒体でしか表現できない編集がある
浅子
紙媒体とインターネットの関係についてはどのようにお考えでしょう? 今は実空間よりもインターネットに人々の欲望や時間が費やされている時代です。紙媒体の専門誌は新たな取り組みをするべきなのか、淘汰されてしまう前にネットに移行するべきなのか、ご意見をいただけますか。
西田
紙媒体には紙媒体にしかできない強みがありますよね。『BRUTUS』の2021年10月1日・15日発売号は村上春樹さんの特集で、隈研吾さんが設計した早稲田大学内の「村上春樹ライブラリー」も取り上げています。僕は誌面のレイアウトを見た時、これらの写真だけでは1階と2階の関係性がわからない、平面図なりアクソメを入れるべきだった、とクレームをつけたんですね。ただ担当者には言い分があって、ここでは建築を紹介するのではなく、ライブラリーに置いてある本を中心に見せたかった、建築の空間構成は実際のライブラリーで理解してもらえばいい、と。そういうことなら……と、腑に落ちました。
建築写真には、その1枚でその建築のすべてを表現する写真というものがありますよね。新建築とLIXILの共同企画「穴が開くほど見る」という連載では、とある建築の1枚の写真を現代の建築家たちが写真のアングルに始まり、テーブルに置かれているケーキのブランドまで徹底的に検証するユニークな試みが行われています。
というのも、1枚の写真に写真家・建築家の意図が込められているように、編集という作業は、伝え手である編集者の、「ここをわかってほしいんだ」という意図を強調できるんですね。建築家がこの家でどうしても表現したいことはこういうことで、それに対して編集者はこのように価値を見出した。だから構成の始まりはファサードではなく窓から見える景色にして、ディテールに入り、最後に引いて街並みとの関係を示そう、といった編集行為が雑誌ではできるんです。つまり読者は無意識に編集者が敷いたレールに乗って物事を見るんですね。それは非常に大事なことだと思っていて、インターネットではその構成をつくりにくいんです。
浅子
編集行為ができない、ということでしょうか?
西田
できますけれども、好きなふうに拡大・縮小されてしまうかもしれない。またVRでウォークスルーで好きなように歩きまわれたら、その人の感覚で建築が判断され、建築家や編集者が込めた意図は伝わらないかもしれないですよね。
もちろん紙媒体だから建築の意図が100%伝わるというものでもありませんし、最終的には実際に自分の目で確かめることが大切なのだと思いますが、建築家が表現しようと思ったこと、見せたかったこと、施主がやってほしかったこと、施主が実際に思ったことを伝える方法は、じつはリニアな後戻りができない編集のなかにこそあると思うんですよ。VRでウォークスルーして、あたかも住んでるかのごとく体験できたり、ネットのように写真4〜5枚だけを並べる、ということとは認知が異なると思うんですね。
これからの時代、建築をどのように伝えていくか
浅子
ちなみに『BRUTUS』ではウェブにはどのように取り組みをしているのでしょう。
西田
2021年9月にリニューアルしてさらなる成長をめざしています。「デイリーブルータス」というミニ特集を平日に出してスタッフは大忙しなのですが、どこでも見られるニュースが流れているようなサイトにはしたくなくて。
紙媒体の雑誌は、少なくとも自分の目の黒いうちはなくならないとは思いますが、そもそも、なくなるかどうかなんて、誰にもわからないんですよ。書店だってさまざまな工夫を始めているし、熱心な読者だっています。ただ情報源が雑誌一辺倒だった時代とはまったく異なった状況を迎えているのも事実です。そもそも若い世代には、雑誌を読む習慣がなかったり、20代半ばで初めて本を1冊読んだ、という人だっているでしょう。
浅子
はい、ただ僕は雑誌から本当に多くのものをもらったので、その楽しみを下の世代にも少しでも届けたい、という思いが強いのです。それこそノスタルジーなのかもしれませんが……。
西田
雑誌って不要不急の楽しみを啓蒙するものでいいと思っているんです。なくていいけれども、面白いものって山のようにあるんだよって。淘汰の競争なのだから、なくなるものはなくなってしょうがないけれど、雑誌という文化はいまだに成立しているので、なくなるような方向で考えていてもしょうがない気もします。
ネットの比重は増えるでしょうが、紙の雑誌は出せるだけ出していく。これからどう建築デザインを伝えるか、みんなで考えていけるといいですね。
浅子
建築という誰もが使うものであるにもかかわらず、ほとんどの人々にとって普段はそれこそ生活や暮らしの背景だったものが、90年代のある時期にそれがコンテンツとして輝き始める。そんな時代がたしかにあったのだということを本日お話をお聞きして改めて思い出しました。
そして、ちょっと僕は肩に力が入りすぎているというか、建築に対する思いが強すぎて空回りしている部分があるなと気づかされました。とくに最後の「楽しみを啓蒙する」というお話は本当にその通りだと思います。僕もこれから建築雑誌の創刊を準備していくところなので、まさに建築の楽しみを啓蒙するような雑誌をつくりたいと思います。本日はありがとうございました。
[2021年9月27日、マガジンハウスにて]
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公開日:2021年11月24日