対談 1

清潔なトイレ、パブリックなトイレ

青木淳(建築家)× 中山英之(建築家)| 司会:浅子佳英

浅子佳英:

昨年「住宅のユーティリティ再考──水回りのレイアウトから見る現代住宅」(http://www.biz-lixil.com/column/architecture_urban/future/vol20/)と題し、過去30年間の日本の住宅作品における水まわりのあり方を、主にそのプランから読み直してみました。膨大な資料にあたりましたが、その結果、ほとんどの住宅は、トイレなら1畳(約90×180cm)、お風呂なら1坪(約3.3m_)とサイズも、廊下に面して並べるという配列もほぼ同じで、水まわりのあり方について考えている住宅はごく僅かだということがわかりました。そのようななか、青木淳さんの《L》(2000)や、中山英之さんの《O邸》(2009)は、水まわりが住宅における主題のひとつになっています。

青木さんは、場所とプログラムの関係からトイレの質のようなものを考えていることがうかがえます。それは、トイレへ行くまでの経験であったり、タイルの質感であったりと、図面だけでは伝わらず言語化が難しいものです。

中山さんも、やはり「トイレの質」について考えているように見えます。昨年竣工した《石の島の石》(2016)というパブリック・トイレは、建築としても素晴らしいのですが、どうしても汚れてしまうトイレという空間を清潔に保つためのデザインもされています。

今日はパブリックな場所や住宅において、お二人がつくっている「トイレの質」とはどのようなものなのか、言語化が難しい、それらの背景にある考えをお聞きしたいと思っています。よろしくお願いします。

青木淳《L》(2000)

青木淳《L》(2000)平面図(提供=青木淳建築計画事務所)

中山英之《石の島の石》(2016)

中山英之《石の島の石》(2016)平面図(提供=中山英之建築設計事務所)

トイレの起源

中山英之

中山英之(なかやま・ひでゆき)
1972年生まれ。建築家、東京藝術大学准教授。中山英之建築設計事務所主宰。主な作品=《2004》(2004)、《O邸》(2009)、《石の島の石》(2016)、《弦と弧》(2017)ほか。著書=『中山英之/スケッチング』(新宿書房、2010)、『窓の観察(建築と日常別冊)』(共著、2012)ほか。

中山英之:

せっかく青木さんとお話しできるので、今日は思い切って大きな構図から考えはじめたいなと思って来ました。例えばトイレの起源ということで考えてみると、ひとつには人間が都市生活をするようになり、排泄物を自然に還すことができなくなったということがあるでしょう。野生動物の場合は排泄も生産的な行為になりますが、都市に暮らす人間の場合は行為の終着点という側面が強くて、自然のなかでは循環できない。だから平安時代には都市計画に下水道計画が取り入れられていたようですし、それどころか、紀元前から当時の先端的な都市生活のなかでは河川に通じた下水がすでにありました。とりもなおさずパブリック・トイレでも、住宅のトイレでも、トイレは建築プランニングの対象であると同時に、都市のインフラストラクチャーの入り口です。そういう意味では、建物単体のなかでトイレをどうレイアウトするかという話というよりは、それぞれの建築に設置されたトイレを、都市スケールで整備された下水道まで含めた構図のなかで、もっと言うとトイレが社会空間のなかでわれわれをどう映しだすのかという、より大きな視点で議論を始めるほうが意義がありそうな気がするのですが、どうでしょうか。つまり、社会生活者として、特に都市生活者としての人間という視野からトイレを眺めてみたいのです。

日本の場合、かつて厠は生活の場からなるべく離れた場所に位置していたわけですね。現在はインフラを通じて排泄物を外に流せるようになったことで、トイレはプランニングの対象として、ユニット化されたプロダクトとして、例えば狭小住宅のなかでもさまざまにレイアウトできるようになりました。いま私たち建築家は、基本的には建物のなかでのトイレのレイアウトや質感を工夫する術を求められるばかりの存在です。しかし、それは長い技術的な歴史の枝分かれのなかでは、比較的最近のお話にすぎないのかなという気もします。

青木淳:

中山さんの話を聞いて、ドゥニ・オリエというジョルジュ・バタイユ★1の研究者の『ジョルジュ・バタイユの反建築――コンコルド広場占拠』(岩野卓司ほか訳、水声社、2015、〈原著〉1993)という本のことを思い出しました。この本は、ポストモダニズム全盛期に出版され、とくにベルナール・チュミをはじめとして、アメリカの建築界に大きな影響を与えました。

その英語版でオリエは序論として「人生の日曜日」というエッセイを書き足しています。そこでオリエはバタイユの建築論に触れて、バタイユにとっては、建築はコメンダトーレだった、と言っています。コメンダトーレとは、モーツァルトの有名なオペラ「ドン・ジョヴァンニ」に出てくるコメンダトーレ、つまり騎士団長のことです。このオペラでは、ドン・ジョヴァンニが放蕩の限りを尽くした結果、かつて自分が殺した騎士団長の石像に地獄へと引きずり込まれてしまうのですが、建築とはその騎士団長だというのです。そして、騎士団長をさらに言い換えて、「社会的に承認された超自我」だとも書いています。超自我というのは、ジークムント・フロイト★2の、エス/自我/超自我の「超自我」のことですから、建築とは、エスを抑圧する内面化された倫理価値基準ということですね。エスの暴走を禁じ、罰するものです。だから、バタイユは建築の起源を監獄に見た、というのです。

こうしたバタイユの論をもとに、オリエは「人生の日曜日」で、チュミの設計した《ラ・ヴィレット公園》(1979)を、騎士団長から逃亡するドン・ジョヴァンニ的建築、つまり建築による反建築、と一応は持ち上げるわけですが、そもそも屠殺場だったラ・ヴィレットを美術館のような公園に整備すること自体が、汚辱を清潔という型に嵌める騎士団長の振る舞いではないか、と批判します。ここでも、オリエはバタイユの『ドキュマン』を引いて、都市におけるテーマとして、「屠殺場」と「美術館」という区分を導入しています。「屠殺場」は、動物が殺戮される醜い場所なので、忌避され、隠されます。一方の「美術館」は、浄化され、生き返るための場所で、好まれ、顕わされます。そうして、都市というのは、ずっと「屠殺場」を「美術館」に、不定形で醜いものを抑圧し秩序立てる方向に進んできたというのですね。

たしかに都市において屠殺場のような場所は忌避すべき場所として隠されていく。加えて、そうした「清潔さ」に対する感覚は時代を後戻りできません。例えば2000年前の洞窟にもわれわれはたぶん住むことができますが、水まわりだけは昔のものに馴染めないでしょう。公衆衛生の課題は、前時代より清潔なものをつくらなければならない点にあります。と同時に、われわれのなかにはそういう後戻りできないことに対して引っかかりのようなものがある。だから、屠殺場は現代の供儀の場であり、その醜さの核に聖なるものがあり、美術館はその聖なるものの核に醜さがある、というようなバタイユの言葉を聞くと、ハッとするわけです。トイレについて考えるときには、こういうアンビヴァレントな思いを意識せざるをえません。

青木淳

青木淳(あおき・じゅん)
1956年生まれ。建築家。青木淳建築計画事務所主宰。主な作品=《青森県立美術館》(2005)、《杉並区大宮前体育館》(2014)、《三次市民ホール きりり》(2014)、《十日町ブンシツ》(2016)ほか。主な著作=『原っぱと遊園地』(王国社、2004)、『JUN AOKI COMPLETEWORKS |3 | 2005-2014』(2016、LIXIL出版)ほか。

中山:

清潔感だけはかつての状態に戻ることはできない、たしかにそうですね。昔、美術批評家の布施英利さんが「都市を歩いていても、指ひとつ落ちてない」とおっしゃったことがあります。たしかに自然では、動物の亡骸があるのはあたりまえですよね。布施さんの言葉は、「死」のような人間の本質性が隠される存在として扱われる「都市」という不思議に向けられたものでした。

建築家というのは、指が転がった屠殺場的な場を上手に隠し、それを美術館的な場に設えていくことを要求されざるをない職業ですが、どこかでそのことに対する後ろめたさ、つまり監獄の隠蔽を求められる職能そのものへの割り切れなさのようなものもあります。

青木:

ぼくたちは糞尿を醜悪なものとして意識するわけですが、それはそもそも身体のなかにあったものであるわけです。そして身体のなかにあるときは、それをあまり醜悪なものと意識していません。では、時系列的に言ってそれはどこから耐えられない醜悪なものと意識されるのでしょうか。また、どこから先で醜悪さが見えなくなるのでしょうか。どうもその地点は固定していなくて、時代とともにだんだん変化していますね。

例えば今日はトイレの話ということだったので、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』(中公文庫、1975)を家から持って出て、電車のなかで読み直してきました。「陰翳礼讃」には、薄暗いけれど清潔な廁のことが賞賛されていたはずですから。そうしたら、この中公文庫版にちょうど「厠のいろいろ」という格好の随筆が収められていて、そちらのほうに、川沿いのうどん屋の話がありました。そこのトイレは川原の上空高くに突き出ていて、「私の肛門から排泄される固形物は、何十尺の虚空を落下して、蝶々の翅や通行人の頭を掠めながら、糞溜へ落ちる。その落ちる光景までが、上からありあり見えるけれども、蛙飛び込む水の音も聞こえて来なければ、臭気も昇って来ない。第一糞溜そのものがそんな高さから見おろすと、一向不潔なものに見えない」のだそうです。

これが1935年当時の清潔感です。昔は、糞尿の存在が見えていても、体から距離がありさえすれば、また臭いが届かなければ、不潔には感じられなかった。たしかに、ぼくが高校生の頃、つまり1970年代前半の頃ですが、小田原の国府津に住んでいたのだけれど、いつも乗る東海道線の車内トイレは、排泄物が線路にぶちまかれる仕組みになっていました。

身体のなかで生まれた糞尿が排泄され、落下されたり流されたりして、肥やしとなったり、風化や浄化されたりする「流れ」に、さほどの変化があるわけではありません。しかし、その流れのなかで、意識に上らないように隠される部分が拡大してきました。

中山:

なるほど。一方で、いまもって東京で大雨が降れば、下水の水位が河川の水位を超えてしまって逆流が起こりますね。そこはまだ制御しきれていない。そういう意味では、屠殺場的なものが都市レベルで顕在化する瞬間は依然としてあって、そのときだけわれわれは美術館化されたはずだった都市の、ある意味では本質を目撃することになる。じれったいのは、そういう瞬間を私たちにもたらすものが、大雨や、もっと大きな災害の時ばかりだということです 。

浅子:

たしかに。都市生活者が必ずしも、深層レベルの本質を知りたいとは思っていないということも考えられますね。そればかりか、昨今の健康への過剰な欲望を見ていると、体内ですら浄化の対象になりつつあるのかもしれません。とはいえ、青木さんが言われたようにわれわれはもう後戻りできないですよね。

浅子佳英

浅子佳英(あさこ・よしひで)
1972年生まれ。建築家、デザイナー。2010年東浩紀と共にコンテクスチュアズ設立、2012年退社。作品=《gray》(2015)、「八戸市新美術館設計案」(共同設計=西澤徹夫)ほか。著書=『TOKYOインテリアツアー』(共著、LIXIL出版、2016)、『B面がA面にかわるとき[増補版]』(共著、鹿島出版会、2016)ほか。


★1──ジョルジュ・バタイユ(Georges Bataille)
1897-1962年。フランスの作家、哲学者。未開社会における贈与、祝祭的蕩尽の経済学、聖なるもの、快楽、エロティシズムなどを思考の起点にした社会学、美学を提唱する。思想誌『ドキュマン』編集長を務める。秘密結社「アセファル(無頭人)」に参画。主な著書に『呪われた部分 有用性の限界』(中山元訳、ちくま学芸文庫、2003)、『眼球譚』(生田耕作訳、河出文庫。2003)、『エロティシズム』(酒井健訳、ちくま学芸文庫、2004)ほか。
★2──ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)
1856-1939年。オーストリアの精神科医、精神分析学者。「エス/自我/超自我」はフロイトによる精神の構造的審級。「エス」(ドイツ語の中性代名詞「es」)は快感原則における前論理的・非時間的な衝動、「自我」は個人の意識級、「超自我」はエディプスコンプレックスが放棄される=去勢の審級を示す。主な著書に『自我論集』(竹田青嗣編、中山元訳、ちくま学芸文庫、1996)、『モーセと一神教』(渡辺哲夫訳、ちくま学芸文庫、2003)、『夢解釈』(金関猛訳、中公クラシックス、2012)ほか。

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公開日:2017年06月08日