パブリック・スペースを提案する 4
「ひとりの居場所」から「人々を巻き込む空間」へ
榮家志保(建築家、大西麻貴+百田有希 / o+hパートナー、EIKA studio主宰)
好奇の目を向ける
2016年、筆者がパートナーを務めている設計事務所o+hで設計をした、《Good Job ! センター香芝》という奈良県香芝市にある障害者福祉施設がオープンを迎えた。障害のある人とともに、アート・デザイン・ビジネスの分野を越え、社会に新しい仕事をつくり出すことを目指す場所である。今振り返ると、「好奇の目を向ける」ことが設計のスタートだった。
山野将志さんの話
2014年、クライアントであるたんぽぽの家が運営するアートセンターHANA(奈良市)でのことだ。打合せをしていると、HANAで活動している山野将志さんが部屋にガチャリと入ってきた。
そしてビシッっと挙手をして「はいっ!山野くんは絵をいっぱい出しています。韓国で展示をしました。京都で展示をしました。……」と流れるような自己紹介が始まった。どう反応したらいいんやろう……と周りの様子を伺っていたところ、「山野くん、それ前も言うてたやん?」というスタッフからの突っ込み、「もっと最近のもあるんちゃうん。」という煽り、「山野くん。邪魔したらあかん。」というお叱り。スタッフのみなさんの華麗な返しに、どっと肩の力が抜けた。その後打合せの度に顔を出しては、いつの間にか注目をさらって言いたいことを言っちゃう山野さんの挙手スタイルを、わたしは設計事務所内で発言したいときに「はいっ!」と踏襲している。
アートセンターHANA
2015年、設計期間中にアートセンターHANAへ何度も通った。そこでは、利用者とスタッフが混じって大テーブルで絵を描いていたり、倉庫の暗がりの一角で作品をつくる人がいたりと、さまざまな場所で創作や仕事に打ち込んでいた。その姿からは、その人の個性や気分が屈託なく表れているように感じられた。材料やつくったものがしまわれている倉庫では、収納箱一つひとつに妙に愛嬌のある見出しがついていて、誰の仕業かわからないけれど妙に信頼できる。
設計をしている《Good Job ! センター香芝》でも、そういった「個人」がひょこひょこと顔を出してくるような気楽さと自由さを保ちたいと思った。
トルコのモスク
2011年、トルコに留学していた頃、街を歩きながらどこか休めるところはないかと頼れる場所を探していると、辿り着くのはいつもモスクであった。わたしは女性であり外国人であったけれど、スカーフを巻きさえすればいつでも入ることができた(女性が入れないエリアはあるが)。モスクは大自然のように、開放的で光が降り注ぐ場所もあれば、ひっそりと薄暗いところもあった。ふかふかのカーペットやひんやりしたタイルに身体をあずけて、ぼんやりしたり、本を読んだり、訪れる人を眺めたりした。イスタンブールのスレイマニエ・ジャーミィでは、地元の人も観光客も小さな子どもも混じり合って過ごしていたし、ミフリマー・スルタン・ジャーミィでは、ママ友と話しながら子どもをあやす人と壁に向かって祈る人が同時にいた。そこはいつ来ても様子が違っていて、いつ来ても受け入れてくれる空間だった。そこで過ごしている人たちは、「いつものわたし・あなた」といった感じがして、わたしはとても安心して過ごすことができた。そういった個人の日常的なふるまいが集まり、来訪者を巻き込んでしまう空間の力に、パブリック・スペースとしての魅力を感じた。
ひとりからの拡がり
片手が不自由な人と対話をし生まれた製品が、子どもを抱えているお母さんにも使いやすい製品になる、というような拡がりがあるという★1。一人ひとりの思いや切実な希望は、同時に周縁の誰かの救いになる。個人に目を向け、一つひとつを形にしていくことで、周縁が重なり合いながら全体へと繋がっていく可能性があるのではないか。そしてできれば、その拡がりがほんの少しでも大きくなるよう創造できないか。
《Good Job ! センター香芝》
2019年、竣工から3年が経った。創作に集中する人の脇で、ソファに腰掛け休憩する人がいて、その壁の裏では経理に集中するスタッフがいる。昼食時間には、大テーブルに集まって食事をする人もいれば、カフェで頼んだホットドッグをオフィスの自席で頬張る人もいたり、落ち着いた別棟の北館へとお弁当を持ってお出かけする人もいる。近所の方かひとりの女性がカフェでコーヒーを注文し、来訪者である私が、買い物をしながらその風景を眺めている。
パレードしたくなる空間
昨年の12月に、Good Job!センター南館全体を使い「状況のアーキテクチャー」パフォーマンス公演が行われた。これは、Good Job ! センターで活動しているメンバーやスタッフと、京都市立芸術大学のみなさん、contact Gonzoさん、Shing02さんが、身体や声、ことばのワークショップに取り組んできた成果を発表したものだ。
この発表のために、Good Job ! センターの壁のあちこちに鏡が取り付けられ、カラフルな照明によって空間全体がミラーボールのようになっていた。空中の壁には映像が投影され、オフィスエリアにブランコが吊るされ、吹抜けの向こうから渡されたロープに沿って、意味深な書道が中空を横断していくという、自由なふるまいがこれでもかと凝縮されていた(詳しい様子は、★2、3の記事や動画をぜひ見ていただきたい)。
ここで私が一番注目したいのは、フィナーレに小さなパレードが起こったことである。ラップが披露されるなか、台車や施設にある植物、サインスタンドなどを思い思いに掲げながら、音楽に乗せて建築のなかを練り歩く。どこからがスタッフでメンバーで観客でアーティストなのかわからない。思い思いをやっている究極の姿のようで、それが表現となり、観る者を巻き込んで祝福する。「ひとりの居場所」から始めた空間が、パレードできる空間、したくなる空間へと展開したのは、とんでもないことかもしれないと思った。
巻き込む空間
《Good Job ! センター香芝》は、いろんな大きさの壁がわらわらと集まってできた建築である。この壁は千鳥状に積み重ねることで、居場所をつくることとそれらを繋げることを同時に生み出している。壁や床の密度によって明暗をつくり、壁の角度によって視線や動きを誘いながらずるずると場を連ねている。歩いていく度に、向こうに新しい場所があることを見つけ、先へ先へと巡ることができる。
また、カウンター高さの壁や空中を横断する壁など、家具スケールから土木(のような)スケールまでが横断して存在しており、触れたり、遠くの山を指差すように「あの壁のところ」といって場所を伝えたりすることができる。そして「あの壁のところ」からは、こちらを見渡せる。
こうした、ひとりの居場所を連ねながら道のような空間があることや、ひとつの場所に対してたくさんの視点があるということが、パレードできる空間へと展開するきっかけだったのではないか。
ほんの数センチ
《Good Job ! センター香芝》でみつけた、そこに通う岡村雄介さんが書いた文章は、パブリック・スペースへのヒントにも感じる。パブリック・スペースの豊かさが人にもたらしてくれるのは、「すこし楽に生きられること」で、それは「ほんの数センチ」によって生み出せるのかもしれない。
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公開日:2019年12月25日