日本の窓を、考える by LIXIL

デザインに寄り添えば、窓は劇的に進化する

佐藤伸一、宮本進一(LIXIL)

日本で住宅用アルミサッシの生産が開始されてから50年。LIXILの住宅用アルミサッシ(トステム)は、大工・工務店にとって短期間に施工しやすいことに加え、掃除がしやすいといったユーザー目線を取り入れてスタートし、進化をとげてきました。省エネ、断熱など時代が要請する性能の向上とともに、いま、窓はデザインという視点に立って新たに進化しようとしています。

ユーザー目線の開発にこだわった50年

木製建具の発想をアルミサッシに

佐藤伸一、宮本進一佐藤伸一 Shinichi Sato(右)
LIXIL Housing Technology顧問。1948年生まれ。70年入社以降、トステム商品の開発一筋。高度成長時代の新築住宅増加に対応する省施工サッシ、玄関ドアや門扉などのアルミ化商品、アルミ出窓シリーズ、サーマルなど時代を象徴する商品の開発に携わる。2010年「サーモス」でサッシと複層ガラスを一体化。14年から海外、おもにASEANの商品開発をサポートする。
宮本進一 Shinichi Miyamoto(左)
LIXIL Housing Technology商品開発本部長。1957年生まれ。78年入社後、アルミ押出し課の現場に学ぶ。設計課へ異動後はサッシ開発を担当。住宅用基幹サッシ「デュオPG」の大型モデルチェンジ時、開発責任者だった現・佐藤顧問にプロジェクトリーダーを志願。困難を乗り越えた喜びは大きな財産になった。「サーモス」、ビル基幹サッシ「プレセア」などを開発。 撮影:梶原敏英

LIXILが住宅用アルミサッシ(トステム)の生産販売を開始したのは、高度経済成長(1955~73年)が加速していた66年(昭和41)である。「業界で最後発のメーカーでした」と語るのは、70年に入社以来、開発一筋に歩んできた佐藤伸一さん。
それまで日本では、57年頃からスチールサッシメーカー、アルミ材料・製品メーカーなどが、当時アメリカで盛んになったアルミサッシの製造技術を導入し、鉄筋コンクリート造ビル用サッシをつくっていた。木造住宅用サッシには、ビル用の流用や、アメリカの2×4住宅用が応用されたが、日本の木造住宅の開口部には適さず、各社は試行錯誤した。
「トステムの前身は 妙見 みょうけん 屋商店という木製建具の製造・販売店だったので、他社とは違い、木造の開口部と建具の勘所を知っていました。それを開発に生かしたことが、大工・工務店さんから喜ばれ、サッシメーカーとして最後発でありながら、急速に伸びていきました。当時、住宅を建てる際に、サッシのブランドを選ぶのは大工・工務店さんでしたから、彼らが納得する製品が必要でした」。
製品第1号は中空(ホロー構造)の押出し形材を採用し、堅牢化した「D-75」で、翌年改良して「太陽」を発売する。特徴の一つはドライバー1本でサッシ戸(障子)の戸車調整や、クレセント錠の位置調整ができること。木製建具なら建付けに当たる作業だ。
「歪みのある木造に合わせる工夫と同時に、この時代の製品の大前提は、手間が掛からない省施工であることでした」と佐藤さんは時代背景を語る。住宅の急増にともない、熟練者でなくても早く、簡単に施工できることが大工・工務店にとって大きなメリットだった。

D-75(デラックス-75型) 1966年 

木製建具よりも気密性、水密性に優れ、傷みにくく耐久性が高いことが、アルミサッシの特長。住宅にもサッシの時代が来ると予見した潮田健次郎がトーヨーサッシを設立し、製品第1号のD-75を発売した。

デラックス-75型商品名の75はがっちりした枠の見込み75?@から。
住宅用アルミサッシ住宅用アルミサッシで初めて、ホロー(中空)構造の押出し形材を採用し、構造強度を上げた。 撮影:梶原敏英

ホロー構造のアルミ形材で剛性アップ

アルミサッシの押出し形材には、ホロー(中空)構造と、形板タイプのソリッド構造がある。既存のアルミサッシの形材はソリッド構造でねじれる弱点があったため、D-75では中空部分を持ち剛性の高いホロー構造を採用した。

ホロー(中空)構造ホロー(中空)構造のほうが、ソリッド構造よりも剛性に優れる。 撮影:梶原敏英
加熱したビレット加熱したビレット(円筒形に鋳造したアルミ合金)をダイスに通して押出し、形材を成形する。 撮影:梶原敏英

ごみを掃き出せる「階段式皿板」が大ヒット

佐藤さんはアルミの建材開発を志望して入社し、71年発売の「ニュー太陽」から開発に携わった。開発部の新入社員は佐藤さんを含め5人だったという。「当時、木製建具製造時代からの開発部長だった橋爪美直さんのもとで、サッシの敷居に溜まるごみを掃除できる〈階段式皿板〉を開発し、爆発的にヒットしました。橋爪さんは日本の暮らし方に発想が広がる人で、茶の間の窓は掃き出し窓といい、箒でごみを掃き出す習慣があることに目が行くんです」。
またこのとき、潮田健次郎社長(当時)が初めてテレビCMを行い、パチンコ玉が階段式皿板を流れていく映像を制作。それが人々を引きつけ、社名が広く知られるようになった。商品開発本部長・宮本進一さんは金属材料を学んでいた学生時代に、このCMを観て入社を決心したというからおもしろい。
「ニュー太陽」をベースに、70年代はサッシに雨戸、面格子を一体化した「雨戸枠付太陽」「面格子付太陽」など、省施工の新製品を次々に展開した。65年に84万戸だった新設住宅着工戸数は70年に148万戸、73年には空前絶後の190万戸を超えている。この数字からいかに施工性が求められたかが想像される。
76年発売の「出窓シリーズ」は庇からサッシ、カウンターなどの部材をユニット化したもので、多くのバリエーションを生み出し、一世を風靡した。省施工の流れを汲んではいたが、一方で「窓を楽しくして、エンドユーザーが選ぶ消費者商品に近づけたいという思いがありました。サッシが多様化するはしりといえるでしょう」と佐藤さん。80年前後には住宅の供給側も規模が大きくなり、建て主のニーズを意識する時代に入っていった。また、80年代後半から寒冷地向けに、樹脂サッシや、断熱アルミサッシが開発された。

ニュー太陽 1971年 

D-75を改良した「太陽」は?@戸車、クレセント錠の調整機構を組み込んだ。?A寸法、機種を大工さんが使いやすい品揃えに。?B呼称、寸法を尺寸で表した。?C召合せに合掌框を使った。?Dテラス戸の外側に引き手をつけた。さらに「ニュー太陽」で、水密性を確保しながら、ゴミが掃き出せる「階段式皿板」を開発。爆発的にヒットした。

ニュー太陽「ニュー太陽」。外部側に引き手がつけられている。 撮影:梶原敏英
階段式皿板「階段式皿板」をピーアールしたテレビCMのワンシーン。

省施工の時代に応えた製品 

高度経済成長の時代、住宅の急増に対応するため、大工・工務店から、省施工の製品が求められた。出窓シリーズは、多様な形状があり、洗面台を組み込んだ製品などバリエーションも豊かで、窓の楽しさをエンドユーザーに提供した。

出窓シリーズ 1976年出窓シリーズ 1976年
屋根庇、サッシ枠、開き戸、カウンターなどをユニット化。 撮影:梶原敏英
面格子付太陽 1977年面格子付太陽 1977年
サッシ枠の外側に面格子を一体化した。 撮影:梶原敏英
雨戸枠付太陽 1974年雨戸枠付太陽 1974年
サッシ枠の外側に雨戸枠を一体化した。

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公開日:2018年06月30日