住宅をエレメントから考える

窓をめぐる現代住宅の考察

吉村靖孝(建築家、進行)× 藤野高志(建築家)× 海法圭(建築家)

『新建築住宅特集』2016年12月号 掲載

窓のもつ意味を変える

窓から選ぶ現代住宅3作品

吉村靖孝

調布の集合住宅A・B 西沢大良 2004年
「調布の集合住宅B」の外観。小さな引き違いサッシ(約1,200mm角)を並べてファサード全体がつくられている。幅4mの狭小道路の両側に、A棟とB棟、2棟の集合住宅が向き合って建つ。A棟は基本的に無窓のファサードとし、屋内にライトルーム(光室)を設けることで光を得る。
O邸 中山英之 2009年
鉄骨造2階建ての母屋と、両脇の下屋からなる住宅。ファサードは幅2m、高さ7m、厚さ19mmの1枚ガラス。
リビングプール 増田信吾+大坪克亘 2014年
築40年の木造平屋の改修。フロアレベルを928mm下げ、新たな床面をつくる。

吉村:

私は中山英之の「O邸」(『新建築』0912)、西沢大良の「調布の集合住宅A・B」(『新建築』0403)、増田信吾+大坪克亘の「リビングプール」(『新建築住宅特集』1502)を選びました。「O邸」は、屋内から大窓に正対すると正面にどこにでもある民家と電柱が見えて、これは眺望のための窓じゃないと気づくわけです。法規上も窓ではなくガラスの壁という扱いです。もはや窓といえないかもしれないのに、でもなんとなく窓のようなかたちをしてそこにある。見えるけれど行くことはできないもどかしさのようなものも感じさせるし、逆に行けないことで人を窓の反対側に向かわせることもある。とにかく外に開けばよいと、開放的な窓が免罪符のように扱われてしまう最近の風潮に対する批判性を感じました。
「調布の集合住宅」は、道を挟んで向かい合う建物の片方が閉じて、もう一方は開くという役割分担をしています。普通であれば半分ぐらいずつ開けてしまってどちらもなんとなく居心地が悪いものができてしまいそうですが、2棟にまたがる大きなジェスチャーの役割分担で開口のあり方を変えている。
特に面白いのがB棟のファサードで、住宅用サッシの連想窓でつくられています。西沢さんは他の住宅でもかなり意識的にこの引き違い窓を、ある種「住宅」というスタンプを押すように使っていますが、特にこの作品では一面スタンプだらけになっているのです。住宅としては異常なほどの量のサッシを使いながら、住宅特有の引き違いサッシを多用することで、住宅に引き留めている。小さなサッシの開閉により内外の環境制御を細やかに行えるという理由ももちろんありますが、むしろアイロニーも含んだ特殊な意味をまとっている気がします。
「リビングプール」の開口部は既存で、もはや窓自体は新しくデザインすらされていないのですが、もともとあった床のレベルを掘り下げることによってプールのように明るい場所をつくり出している。開口部の意匠に頼らずにそこを使う人と周辺の関係を変えてしまったのです。もともとは床のレベルは窓の下端に揃っていて、背の低い窓に見えていたのでしょう。しかし床のレベルを下げると、急に大きく感じられるはずです。すごく繊細な操作なのに、窓のもつ意味が全く変わっています。

窓を通して住宅のあり方を考える

「西田の増築」(2012年)。上:庭からの外観。既存の1階屋根上に低く細長い部屋を増築する。下:既存部から増築部を見る。
2点提供:海法圭建築設計事務所

吉村:

ではそれぞれ自らの設計における窓の考え方をまじえ、これから住宅がどう変化していくかという視点でお話しいただけますか。

海法:

現代はインターネット社会でもあり、職場や家ではないものにも所属しやすい時代になっていて、この時代の住宅の役割を考えると逆に閉じたものとなることも十分考えられます。私の設計した「西田の増築」(『ja』86)は、L字の戸建て住宅の2階部分に中学生の子供の勉強部屋を増築してほしいという依頼でした。ふたつ残る既存の窓に外付けの窓を重ねることで、単なる増床でも環境的な最適解でもなく、自分で選択できる環境の振れ幅がより増えるようにこのような窓を設計しました。増築部の窓も、中学生の子供が動かしやすい寸法の引き違いの連窓にしています。既存部分から増築部分を見る時に暗闇から明るい場所に出るかたちになっていて、やはり閉じることと開くことの対比による身体的な感覚や安心感を考えています。

藤野:

私は、窓により自分の周囲の広がりが感じられるようにしたい。
今がいつで、ここがどこなのか。ダイナミックに移り変わるものや、ささやかであっても人がコントロールできないものが住宅の周りにあることが、暮らしの豊かさに通じると思うのです。そこで大切なのは、自分とそれを取り巻いているものたちとの距離感です。私の建築に繰り返し登場する縦長窓は、自分の足元から空までがグラデーショナルに全部見える。室内の地面、外の地面、庭や木々、隣家、山、雲、最後は無限大の空まで繋がり、空間の広がりが感じられます。水平横長窓は風景を対象化し、自分とある一定の距離にあるものたちを等価に見せますが、垂直縦長窓は自分とさまざまな距離にある風景が連続して並んでいく順序を見せてくれる。では縦にも横にもすべて開けばよいかというとそうではなく、総ガラス張りのような建築ではむしろ外と繋がりづらいと思っていて、安心できる閉じられた場所とバランスをもつことではじめて、人は外に開こうとするのではないでしょうか。
「貝沢の家」(新建築住宅特集1602)は両親の家の改修で、彼らにとって庭は生活の一部なのですが、これから高齢になるにつれ身体も不自由になり、外に出る機会が少なくなったとしても、精神的に外と連続できたらよいと思いました。

吉村:

縦長窓の理由は分かりましたが、トップライトを用いているのはどうして?

藤野:

窓を通して「空間」の広がりだけでなく「時間」の広がりも生み出したいからです。家の中で毎日目にする風景が日常生活だけに埋め尽くされていくと、だんだん目先の時間しか意識しなくなるかもしれない。そんな時トップライトがあって、太陽や月が家の奥まで光を運べば、人間の身体的な儚い時間と、天体の日周運動といった普遍的な時間が、同一空間に共存することになります。縦長窓が足元から空までの空間の連続性を取り込むように、刹那から永遠までの時間の連続性を保つため、建物の時間軸には注意を払いました。過去を対象化してしまうリノベーションでは、時間的な連続性が断ち切られるので、現在と過去が曖昧な工事途中的な空間とし、時間の広がりが消えてしまわないようにしました。

「貝沢の家」(2015年)。南側外観。
吹抜け越しに庭方向を見通す。
「窓の家」(2013年)。海岸沿いの敷地に建つ別荘。約3.5×4mの窓は東西面で同じ大きさで、道行く人の眺望を確保している。

吉村:

窓は内側に住む人だけのためのものではなく、むしろ街全体の環境にかなり影響します。個別の住宅のエレメントというよりは、街並みのエレメントと捉えるべきで、特殊な色や形を競うようなものではないと思うのです。ですから「リビングプール」のように、すでにそこにあった窓に最大限敬意を表し、かつ関係性の操作で最大限の変化を得るというアプローチは非常に示唆に富んでいると思います。
私が手がけた「窓の家」(『新建築住宅特集』1409)では、住人のためというよりも背後の住宅から海への眺望を守るために2枚大きい窓を重ねました。この建物が建つ入江では海への眺望を守ることがある種の規範として作用していたため、その維持に最大限務めたのです。外側から窓を考えることの可能性を示した事例といえるのではないかと思っています。

海法:

外から見た窓の風景という考え方は、僕も共感します。街を歩いていると、上層階の窓を通してインテリアの上側の部分が見えることが多いですが、たとえば天井面は白い四角形の面の中心に照明がひとつあることが一般的で、インテリアの現れ方が均質的です。窓を通して見える生活と内部の設計がセットで考えられるようになれば、もっと窓回りの風景を豊かなものにする可能性があると思います。

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公開日:2017年11月30日