INTERVIEW 024 | SATIS
「家電」がきもちよく感じる家
設計:中山英之/中山英之建築設計事務所 |建主:Nさま
この家はたった38㎡の小さな一人ぐらしのNさんの家です。中山さんはこの家の設計にあたり、小さいがゆえに、動かせないもの、場所が決まってしまうものの位置を、ものが最も機能を発揮しやすいように設計したと言います。それは人間にとって使いやすいということとは違います。ものに意志があるとするなら、もの自身が気持ちよく過ごせるようにと。たとえば浴室です。浴室には給水や排水があります。できるだけルートが短く、わかしたお湯がすぐに出てくるようにとか、冷蔵庫や家電製品が整然と置かれていること。そして堂々と自信をもって存在しているようにと考えたと言います。住み手の人間はその住宅設備や家電に従うようにそのまわりを動くことになります。家電の気持ちというこの比喩が、この家の設計の特徴を表しているようでした。もちろんそうしたプロセスの結果、人間にとっても使いやすい設備配置にもなっているのですが、アプローチの方法がユニークです。また、その家電をおくための棚も機器のスペースを確保するために、薄い鉄板でつくっています。ぎりぎりの寸法です。このぎりぎりを攻めるために、どんな機器を納めていくかも前もって検討し、すべてを計算し尽くして設計をしているのです。その意味でも、機器は主役として、機器が先に選ばれていくというのもこの家の設計の仕方が通常の設計とは異なるのです。
アドレスを決めないこと、動かせること
この家のベッドとテーブル、そして照明はほとんどが動かせます。小さいがゆえに、目的に合わせて動かせることは重要です。照明は、今は廃盤になったヤマギワ社製で、高さも場所も自由に動かせるもの。他の照明もスタンド式でやはり動かせます。この写真のダイニングテーブルの場所は、普段はできるだけ何もおかないで開けておくことを想定して、片側の足に車輪をつけ、簡単に動かせるようにしています。建主のNさんは、まさにそうした使い方をしていて、友人とこの場所でダンスをして楽しんでいるそうです。この小ささでも、テーブルを動かしてベッドを壁に収納すれば、たしかにそれなりのスペースが確保できそうです。
ものが少ないこと
この家にはものがとても少ないのです。でも、暮らしを感じないということはありません。
少ないものが、それぞれ大切におかれているのです。その意味では設計の考えに呼応するように暮らしの中のものたちも気持ちよさそうにおかれているのです。この家の建主は、ものを厳選するというより、ものを買わない、なにかしらの理由で手にしたものを、長く使うこと、長く使うことで、そこに意味をつくり出すことを大切に感じているのだそうです。
高価なものを選んでいるのでなく、手にしたものをできる限り長く使う、学生の時に手にした服でも30年近く使い続けているそうです。
意味のないこと、釣り合い、スケールを壊す、外観を無表情に。
今回の家の取材は家自体の説明というより、この家を通して中山さんの設計に対する考えを聞く絶好のチャンスでした。この家につづく気持ち良いベランダのテーブルでお話を伺いました。
意味のないものなのに、意味を見出してしまう不思議
人間は意味のないものを見ると、そこに意味を見出そうとしたくなるものだと。お寺の庭石を見て、そこに自然や宇宙を見出そうとします。意味のないものにこそ、意味を生み出す力があるのかもしれません。しかし意味のないものでも、そこに「釣り合い」をつくるだけで疑問は生じない、とも。たとえば、重さの違う二人の子供がシーソーで遊ぶとき、乗る位置を変えて水平に釣り合ったときに、そこに不思議と感動が生まれるとか、月と太陽の大きさが違うのに、距離が違うことで、同じ大きさに見えるということを理解した時にも人はそこに納得するということなど、「釣り合い」には人の心に安心感を作る仕組みが潜んでいます。またもうひとつ「スケール」について、スケール感を感じさせないようにすることも視点として組み込むそうです。
スケール感は人間に距離や大きさを認知させてしまいます。このことが人の想像力を掻き立てない要因となります。昔、月に着陸した宇宙飛行士が近くに見えた石の塊まで歩こうとしたけれど一向に近づかない、理由はその石は巨大で、はるか彼方にあったからです。その意味で建築はそこに窓や扉があることで、またまわりの景色があればなおさらその大きさがすぐにわかってしまいます。中山さんはそのスケール感をなくさせることを意識します。特に家の中においては階段が最もそのスケール感をつくるものだと。以前、中山さんの「弦と弧」で階段をみせないようにしたり、また床面がいつのまにかテーブルになるようにしたりと、スケール感と同時に水平面への錯覚も意図的につくっていることを思い出しました。(取材記事:INTERVIEW 007 「ピクニックをするように暮らす家」)
また外観について、庭をできるだけ庭らしくないように、家と外部を分ける境界線は饒舌にならないように、そして周りの土と、無表情な外観が、まわりの敷地からでている数少ない単語で整えてまわりの土に溶け合っていくようにと言います。饒舌にならないように、目立たないように、地球の一部になるようにと心掛けるそうです。
意味のないこと、釣り合いをつくる、スケールを壊す、庭を地面のままにする。この4つは中山さんの建築を理解する糸口になりそうです。
プロダクトデザイン
さらに続けて、日常ということを意識しながら建築をデザインしてきたのが近代の建築だといいます。量産や一般解としての建築ともいっていいでしょう。中山さんは、この長い歴史の中での建築家やデザイナーの積み上げた努力に敬意をはらいたいと言います。多くの人が慣れ親しんだトーネットは、ノックダウンという方法で、日常に使える安価で価値のあるデザインをつくりました。車もそうです。あらゆるプロダクデザインというのは、そうした量産へのチャレンジであり、歴史の堆積なのです。そのデザインが現代の景色をつくりました。そのことを考えると、建築をつくるときに、そのプロダクトデザインを、敬意をもって使いながら、その使う場所や組み合わせを変えて魅力的に見せることで、見える風景をかえてもみたいとも思うそうです。あくまでも今までの歴史を否定せずに、そのことを楽しんでいます。そこはいたずらっ子のような雰囲気を感じました。
中山さんは、音楽家の多い家系に育ち、自身も芸大の建築家へ、高校生の時にザッハ・ハーディットのグラフィックの展覧会をみたのが、建築家を目指すきっかけだったと言います。ただただかっこいいと。その後彼は、かっこよさについて、独自の視点で自分の建築との立ち位置を丁寧に分析しながら進んでいるようにも思います。繊細で大胆、こまやかでおおらか、こうした両義性を建築という行為に埋め込めながら、しかしその説明は極めて明快に説明をしていく彼の態度と建築が一体になるような感覚の取材でした。そして彼の建築がつくりだす、意味のないものに意味を読み込ませようとする、いたずらっこのような「わな」に、見る人が魅了されるのだとも思いました。
ミニマムなトイレ
このトイレ寸法は究極のサイズです。トイレの壁をすこしだけ斜めにして廊下幅を稼ぎつつ、座る場所には十分な大きさを確保できました。そうしたぎりぎりに対応したのが今回のサティスSタイプ(ピュアホワイト)。
この白いプロダクトデザインの便器は、日常的なもの、洗練された普通さを感じるものとして選ばれたようです。
ものが喜んでそこにいるという表現をつかうなら、トイレが喜んでそこに収まっているというにも見えました。
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公開日:2022年03月29日