INTERVIEW 019 | SATIS
ギャラリーのある家
設計:海法圭/海法圭建築設計事務所|建主:Iさま
建主は夫婦共にものづくりが好きで、家の構成は玄関から半地下の家族全員の寝室、半階上がった1階に大きなギャラリー(アトリエ兼ギャラリー)、2階にリビングとダイニング・キッチン、バスルームという日常の生活空間、下の半地下は寝室、子供たちの勉強スペース、クローゼット、トイレという3つの階層から成り立っています。建築面積は3.9×5.2mのとても小さな家です。半地下と2階の2つの住空間に挟まれた1階のギャラリーがこの家の大きな特徴であり、そして様々なできごとや気づきを与えてくれる不思議な装置となっているようです。この家は、玄関からまずギャラリーに入るので住居だとは想像がつきにくいのです。その階を挟んで住居空間があるので、どうしても不思議な感じがしてしまうのです。
ゼロリセットのための余白
ご主人は彫刻家です。この1階のギャラリースペースで創作活動もします。大学にもアトリエがあるそうですが、小さなものはここでもつくるそうです。そして奥さまは刺し子のワークショップをされたりします。もちろん家族みんなも、勉強をしたり、趣味のことをしたりと、ここを使うことはありますが、ルールはここを出る時は何も物を置いていかないということ。常にゼロにリセットするということだそうです。たしかにこうした家の中に何も置かない場所、ゼロの空間が常にあるというのは暮らしにある種の秩序が生まれます。子供の頃の記憶でどの家にも整然とした客間があって、そこにいくと何かかしこまった気持ちになるのと少し似ています。私たちの現代の暮らしにはそうした余白ともいうべきゼロ空間が少なくなってきたようにも思います。
この家の設計において、海法さんは「パズルのように、様々な予条件を重ねていった」と表現していましたが、それは短期間で、かつ小さな敷地、都市の密集地での採光や通風、さらには銀行融資のための諸条件、そしてなんと言っても住宅だけでなくこのゼロ空間ともいうべき家の中で一番大きな余白を埋め込むというパズルです。
他者を受け入れる
海法さんは「他者を受け入れる」という言葉を使って、この余白の空間を説明します。ここには他人が入ってきます。外の通りからも中の様子が見えます。見えるどころか積極的に開いているとも言えます。社会の一部が家の中に入り込むことをあえて楽しんでいます。といっても外に面して開かれた縁側のような感じでもありません。ちょうどその中間のような感じです。偶然のように他人が入ってきてしまうような感じなのです。このギャラリーは建主からの要望だったのですが、海法さんはより積極的にそのことに挑んでいるようでした。明快なコンセプトをたてて建築をつくるのでなく、様々な条件をあえて受け入れながら、さらにはその建物が、その後も設計の時の態度と同じように、外部からの影響を受けつづけることを許容していくように考えています。未来の暮らしへの新しい発見があるようにとも言います。家というものが自分のコントロール下にあるプライベート空間だとするならば、この家は、そうしたコントロールはわざとしにくいようにできています。街の中のギャラリーのようにふらっと誰かが入ってきてもそれを受け入れる建築となっているのです。建築という行為が通常コンセプトを決めてそこに向かって進んでいくのだとすると、この家は1つのコンセプトによって何かを切り捨てるのでなく、あえてコンセプトというようなフレームを外していくことを試みてもいるように見えます。そのことで、建物が完成し、使われ始めてからも思いがけない使われ方が生まれてくるように願っているのかもしれません。海法さんは講演会の時、最初のスライドに雪の日の景色の写真を見せるそうです。それは大雪が降るという自然現象が起きた時、社会が、学校にも行けないことや仕事にも行けないことを受け入れるように、自分の力ではどうしようもないことを受け入れざるを得ない状態の状況を説明するためのスライドなのだそうです。この受け入れるという「寛容さ」について、自身の設計する建築もそうしたことを常に意識しながら、住まう人、使う人、見る人が他者に対して、また自然に対しても寛容になれるような建築のあり方を模索していると言います。建築が住み手の人に対して他人を寛容にするということは、どういうことなのか、むずかしい表現ではありますが、自然現象のように社会の現象を受け入れること、他人が入り込むことを許容すること、そのあたりに海法さんの思いがあるとするなら、このギャラリー空間はまさにそうしたものなのかもしれません。今まで知っている建築と人、自然と人、人と人との関係性への新しい可能性への問いかけにも見えます。
2階の住居空間
ここは「寝る」以外の全ての機能があります。普段家族はみんなここで生活をしています。長いキッチンカウンター、そしてその延長に洗面カウンターがあります。この長いカウンターに目隠し用のカーテンレールがありますが、そこは彫刻家のご主人が自分で加工したものだそうです。他にも様々な部分を自作されたり、手が加えられています。といっても仕事柄彫刻、彫金などはお手の物とも言えます。特に玄関に置かれた木製の飛び石は、まさにアート作品にもなっています。こうした住み手の人が手を加えていくことで、この家は変わり続けより愛着がわいていくでしょう。
先のパズルの話の、その事例のひとつが浴室です。階段の途中にバスタブがあり、蓋をすると床になります。階段を上り下りするには、シャワールームの中を通り、蓋をしたバスタブの上を通って行くのです。個室をつくらず浴室に入る時は部屋から少し隠れるものの浴室の中からは部屋と視線は繋がっています。極限の大きさの家でなにかを削るという時、この階段の場所をうまく活用するというのは肯けます。そしてその結果、階段の踏み板はちょっとしたテーブルにもなってパソコンを開いたり、ビールを飲んだりもできると言います。浴室の中と部屋の人が会話もできるというのはおもしろいです。また洗濯機は階段を上り切る正面に置かれています。階段の途中に何かを置くというこの発想は、1階の玄関空間も同じようにできていました。1階と地下1階の間に玄関置くことで、玄関だけのスペースをあえてつくっていません。
屋上から都市を見る
この家は都心の便利な場所。密集した住宅街です。そんな都市の中で屋上は風が抜け、視線も抜ける快適な場所、ここからは西東京の風景が広がっています。取材時にも建主のご夫婦に一緒に上がってもらいこの風景を楽しみました。
整理整頓
この家のあらゆるものが整理整頓されているのに驚きます。ご主人が大学にアトリエがあり、蔵書や工具などもそこに置かれているというのもあるでしょうが、このコンパクトな家の暮らしを成立させるのには建主家族のものの持ち方も大きく影響しています。少ないといっても必要十分なもの。そしてあらゆるものが大切に、または吟味されています。決して高価なものだけではありませんが、丁寧にそして長く大事に使っていることも理解できました。この家もまた長く大事に、そして少しずつ本人たちの手で改変がなされていくのでしょう。建築家が建主の要求に応えた1階のゼロ空間、ここがどんなふうに街に溶け出し、そして街がこの家族にどう介入していくのかが楽しみです。まだ工事中だった道路側の部分は、大きなサッシが地面からは少し高い位置に見えます。このサッシと地面の間に梯子をかけて、ワークショップの子供たちが直接入れる様にしようかという話をしていたのも印象的でした。こうして少しずつ何かが生まれていくのでしょう。建主が自由に描けるようにするための下地のキャンパスをどうつくるのか、そこに建築家の大きな役割があるのかもしれません。
あったかもしれない世界、選択したかもしれない世界
この取材の後、あらためて海法さんにインタビューをしました。この建築以外の話も聞かせてもらいました。「もしかしたらあったかもしれない世界」をつねに考えるそうです。様々な偶然と選択を繰り返してきた歴史の中で、もしかしたら違う選択をしたらこんな世界があったかもしれないという世界のことだそうです。いくつかのプロジェクトを解説してもらいながらそのアプローチが常に綿密に研究されていることにも驚きました。夢の中の話ではなくありえそうな世界のためにはリアリティーを持たせなければいけません。そのために調べ尽くすのだそうです。こうした構想は大きなプロジェクトで特に考えるのだそうですが、この家でも見たことのない何か、生まれるかもしれない何かを探す姿勢は共通しているようにも見えました。それはプライベートの住居に外部が入ってくるという空間のあり方なのかもしれません。
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公開日:2020年09月29日