住宅をエレメントから考える

セイナルベンジョ──便所のこれからを思考する(前編)

須崎文代(神奈川大学特別助教/日本常民文化研究所所員)

『新建築住宅特集』2021年7月号 掲載

『新建築住宅特集』ではLIXILと協働して、住宅のエレメントやユーティリティを再考する企画を掲載してきました。「玄関」(JT1509・1510)、「床」(JT1603)、「間仕切り」(JT1604)、「水回り」(JT1608 ・1609)、「窓」(JT1612)、「塀」(JT1809・1904)、「キッチン」(JT1909・1910・1912)、「風呂」(JT2102・2104)と、さまざまなものを取り上げ、機能を超えて、それぞれのエレメントがどのように住宅や都市や社会に影響をもたらしてきたのかを探りました。
今回は住宅の「便所」を取り上げ、前編では建築史家の須崎文代氏にその建築的な歴史を紐解いていただきます。排泄の場である便所は、住宅の中で隠すように配置されてきました。一方で日本の便所は、機能性や空間性において世界の最先端といわれているように、日本人にとって重要な存在でもあるといえるでしょう。それでは現代の便所にどんな可能性があるか。便所のこれからを考えるうえで参照すべき歴史から、それを考えていきます。

※文章中の(ex JT1603)は、雑誌名と年号(ex 新建築住宅特集2016年 3月号)を表しています。

──「この上に便所あり」*1

こういう看板でも立てなければ、辺りを通行する人は牡丹餅の洗礼を受けないとも限らない......。こう、川原に張り出した便所の様子を記したのは作家・谷崎潤一郎である。舞台となる大和の吉野川に臨むうどん屋は、奥に行くと自然に2階となり、その奥にある便所は2階から川原の崖の上へ張り出しになっていて、そこへ跨いだところから遥か下の糞溜までの間には、蝶々やまわりの畑の菜の花以外は、何十尺の虚空以外に何もない。「都会の便所は清潔と云う点では申し分がないけれども、こう云ったような風流味がない。」 そんなふうに、「厠」の語源ともいわれる「川屋」としての便所を面白く描写している。アジアでは古来から、排泄物を川や池に流すおおらかな形態の便所が各地で見られた。水上に板をかけて、その上を跨いで排泄し、糞はおそらく水生生物の餌になるのである。
便所とは、何のための空間か。その問いは、現代の建築(住宅)を見渡せば愚問のように思われる。「汚い、臭い、怖い」という便所の3Kはもはや過去の記憶となり、われわれが日常的に排泄するところは衛生的で快適な空間なのである。まさに雲泥の差ともいえる両者の変化をうながしたのは、無論、近代以降の衛生改革だ。(図1)

図1:明治期東京の住宅の便所。縁側の隅の庭先に配置されている。図12参照

図1:明治期東京の住宅の便所。縁側の隅の庭先に配置されている。図12参照(『日本のすまい・内と外』、エドワード・シルヴェスター・モース、鹿島出版会、1982年)

川屋:水、下肥:土、豚便所:動物

便所の歴史をたどれば、古代より水洗便所は各地で使用されていたことが分かる。メソポタミアや古代ローマ、日本でも藤原京や平城京で水洗便所の始原的な遺跡が発見されている(図2)。しかし、こうした都市的な施設はごく一部に限られており、先に述べた「川屋」や道端への排泄が日常的だったので、排泄物は他の生き物の餌食でもあった(図3)。また、人糞を豚の餌とする豚便所(琉球では「ふーる」と呼ばれる)は東南アジアで広く見られる(写真1)。糞尿を下肥として使う営みは長く近代まで続いており、人糞は野菜や金銭と交換された。つまり、排泄物は農業の生産性へ直結するために、金銭的な価値を有していた。人糞とそれを都市住民から買い取ることを職業とする汚穢屋を介した都市と農村の関係性は、食物の生産と消費、あるいは都市の衛生環境の保持と農地を取り巻く自然界への還元という意味でも非常に密接なものであった(図4)。都市の中では会所地や長屋の裏手に共同便所が設けられ(図5,13)、井戸端と共に庶民の日常を支える空間となっていた。便所を取り巻く戯画が多く描かれていることからも、当時の生活模様を垣間見ることができる(図6)。

図2:藤原京便所遺構復元案

図2:藤原京便所遺構復元案(『水洗トイレは古代にもあった』、黒崎直、吉川弘文館、2009年)

写真1:重要文化財の中村家住宅の「ふーる」(豚便所)。沖縄県中頭郡北中城村に現存

写真1:重要文化財の中村家住宅の「ふーる」(豚便所)。沖縄県中頭郡北中城村に現存 撮影:須崎文代

図3:『餓鬼草紙』に描かれた平安時代の路上排便の様子(国立国会図書館デジタルライブラリ)

図3:『餓鬼草紙』に描かれた平安時代の路上排便の様子(国立国会図書館デジタルライブラリ)

図4:生産─移動・運搬─消費の連関(『江戸の糞尿学』、永井義男、作品社、2016年)

図4:生産─移動・運搬─消費の連関(『江戸の糞尿学』、永井義男、作品社、2016年)

図5:上方(右)と江戸(左)の裏長屋の共同便所(『守貞謾稿』、喜田川守貞、江戸後期)

図5:上方(右)と江戸(左)の裏長屋の共同便所(『守貞謾稿』、喜田川守貞、江戸後期)

図6:江戸時代の厠の戯画(『百人一首口絵手本』、出版年不詳)

図6:江戸時代の厠の戯画(『百人一首口絵手本』、出版年不詳)

こうした土着的な便所と一線を画すようになったのは、近代以降の都市レベルの衛生改革である。華々しい産業革命と共に、都市への人口集中による居住環境の過密化や伝染病の流行によって、イギリスの都市は深刻な課題を抱えていた(図7)。近世までのイギリスやフランスの都市では、汚物を窓から投げ捨てるなど劣悪なものであったのだという(図8)。近世まではおまる(家具的便座)が使われていた(図9)。そこで、下水道の敷設や便所の水洗化が進められ、衛生陶器やハイタンクの開発が進展した。

図7:都市の劣悪な衛生状態を風刺した新聞記事の挿絵(「Court of King Cholera」、Punch、1852年)

図7:都市の劣悪な衛生状態を風刺した新聞記事の挿絵(「Court of King Cholera」、Punch、1852年)

図8:18世紀の版画に描かれた中世ヨーロッパの汚水投げ捨て(『うんち大全』、ジャン・フェクサス、作品社、1998年)

図8:18世紀の版画に描かれた中世ヨーロッパの汚水投げ捨て(『うんち大全』、ジャン・フェクサス、作品社、1998年)

図9:19世紀ヨーロッパのビデを描いた絵画(「La Toilette intime ou la Rose effeuillée」、Louis-Léopold Boilly)
スイス国立博物館公式HPより転載

図9:19世紀ヨーロッパのビデを描いた絵画(「La Toilette intime ou la Rose effeuillée」、Louis-Léopold Boilly) スイス国立博物館公式HPより転載

日本でも幕末以降、西洋文明と共に流入した急性伝染病への対策を中心として衛生改革が行われた。便所もこのような近代化の影響を受けることになるが、日本における水洗化や下水道敷設の進行は芳しくなかった(写真2)。その理由は、先に述べたように日本では下肥を農業利用することが慣習として根付いていたことだといわれている。上流階級の住宅から水洗便所が導入され始めたが、流れ出る先は主に敷地内で設けられた浄化槽であった*2。庶民の住宅における水洗便所の普及に、同潤会アパートメントや戦後の公営住宅(図10)が契機となったのは周知のとおりだ。

このように、近代化過程において衛生的かつ合理的な便所空間の実現が追求された。振り返ると、今日では「完成された」かのように見える便所空間ははたして、今後どのようなベクトルで変化するのだろうか。本稿の問いは、機能性を重視することで見落としがちな、空間の意味性の問題である。そしてその答えは、近代化を経たわれわれが失ったものの中に見出されるように思われる。

写真2:「新島襄旧邸」初期の洋風便器(『日本トイレ博物誌』)京都府京都市に現存

写真2:「新島襄旧邸」初期の洋風便器(『日本トイレ博物誌』)京都府京都市に現存

図10:内務省式改良便所(『新時代の住宅設備』、増山新平、巧人社、1931年)

図10:内務省式改良便所(『新時代の住宅設備』、増山新平、巧人社、1931年)

谷崎潤一郎が観た便所の陰翳と音

谷崎潤一郎は名著『陰翳礼讃』(創元社、1939年)で、日本の建築空間の特質について、わび・さびといった趣や美学に拠って綴った。西洋文化に邂逅し、近代化が進む日本の生活や建築空間を批評的にとらえ、「翳」や経年による木目の味わいのような風情に着目し、日本人の感性の本質について言及している。便所については、序章の中心的話題のひとつにとらえ、最後にまた1章を立てるほど、その意味については関心を寄せていたのだ。谷崎による日本建築の便所の描写は、建築書には記述されない空間の質や使用者の感情が描き出されているので、少し長いが紹介のため引用したい。

「私は、京都や奈良の寺院へ行って、昔風の、うすぐらい、そうしてしかも掃除の行き届いた厠へ案内される毎に、つくづく日本建築の有難みを感じる。茶の間もいいにはいいけれども、日本の厠は実に精神が安まるように出来ている。それらは必ず母屋から離れて、青葉の匂や苔の匂のして来るような植え込みの蔭に設けてあり、廊下を伝わって行くのであるが、そのうすぐらい光線の中にうずくまって、ほんのり明るい障子の反射を受けながら瞑想に耽り、または窓外の庭のけしきを眺める気持は、何とも云えない。
漱石先生は毎朝便通に行かれることを一つの楽しみに数えられ、それは寧ろ生理的快感であると云われたそうだが、その快感を味わう上にも、閑寂な壁と、清楚な木目に囲まれて、眼に青空や青葉の色を見ることの出来る日本の厠ほど、恰好な場所はあるまい。そうしてそれには、繰り返して云うが、或る程度の薄暗さと、徹底的に清潔であることと、蚊の呻りさえ耳につくような静かさとが、必須の条件なのである。私はそう云う厠にあって、しとしとと降る雨の音を聴くのを好む。殊に関東の厠には、床に細長い掃き出し窓がついているので、軒端や木の葉からしたたり落ちる点滴が、石燈籠の根を洗い飛び石の苔を湿おしつつ土に沁み入るしめやかな音を、ひとしお身に近く聴くことが出来る。まことに厠は虫の音によく、鳥の声によく、月夜にもまたふさわしく、四季おりおりの物のあわれを味わうのに最も適した場所であって......(以下略)」

このように五感に訴える日本の便所の空間性とその特質をとらえ、そのうえ、「されば日本の建築の中で、一番風流に出来ているのは厠であるとも云えなくはない。」とまで述べている。洋風に設えられたタイル張りの近代的便所では、こうした風情は味わい難いものなのだという。もちろん、これはあくまで谷崎の感性による随筆であるが、おそらくは多くの日本人が、多少なりともこうした感覚を有していたのではないかと思われる。あるいは、旅館や料亭では数寄屋風の便所(図10-1・2)が、茶室の付属屋として「砂雪隠」という枯山水庭園を模したような外便所がつくられることも少なからずあり、客をもてなす空間として趣向が凝らされていた(写真3・4)。

図10-1:数寄を凝らした旅館の便所(『日本のすまい・内と外』、エドワード・シルヴェスター・モース、鹿島出版会、1982年)

図10-1:数寄を凝らした旅館の便所(『日本のすまい・内と外』、エドワード・シルヴェスター・モース、鹿島出版会、1982年)

図10-2:内部。掃き出しの地窓が描かれている。

図10-2:内部。掃き出しの地窓が描かれている。(『日本のすまい・内と外』、エドワード・シルヴェスター・モース、鹿島出版会、1982年)

利休好みといわれた茶室の砂雪隠「不審菴 砂雪隠」
利休好みといわれた茶室の砂雪隠「不審菴 砂雪隠」

写真3・4:利休好みといわれた茶室の砂雪隠「不審菴 砂雪隠」(『日本トイレ博物誌』、谷直樹他、INAX出版、1990年)京都府京都市に現存。

  • *1:『陰翳礼讃』、谷崎潤一郎、創元社、1939年
  • *2:普及状況などの基本情報については日本トイレ協会『トイレ学事典』(柏書房、2015年)などに詳しい。

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公開日:2022年02月22日