住宅をエレメントから考える

〈キッチン〉再考──料理家と考えるこれからのキッチンのあり方(前編)

樋口直哉(料理家/作家)×浅子佳英(建築家)×榊原充大(建築家/リサーチャー)

『新建築住宅特集』2019年9月号 掲載

主婦のためのキッチンから開かれたキッチンに

写真2:聴竹居(設計:藤井厚二、1928年)のキッチン。右2点がダストシュート。 3点提供:竹中工務店 撮影:古川泰造写真2:聴竹居(設計:藤井厚二、1928年)のキッチン。右2点がダストシュート。 3点提供:竹中工務店 撮影:古川泰造

樋口

キッチンを捉え直すなら住宅の内側だけではなく、外側の流通やサービスまで含めて考える必要があると思います。現代ではキッチンはリビング、ダイニングと一体化されて家の中心に据えられる傾向がありますが、一方で中食や宅配サービスなどが欠かせない存在になっているのも事実です。その時、外側からアクセスしにくい家の中心にキッチンがあるのはよいことなのか? という視点もあるでしょう。さきほど浅子さんが引用された『台所見聞録』には聴竹居のキッチン(写真2)がダストシュートで外部と繋がっている事例が紹介されていますが、現代の住宅では逆に外側から収納できる冷蔵庫なども可能性としては考えられると思います。

浅子

日本は上下足の問題があるために、玄関が北側にあり、南側の最奥のスペースをリビングとするプランになりがちですよね。そうすると外側とのコミュニケーションをとるには不利になる。機器だけでなく、建築全体で考えなければ解けない問題です。

樋口

【個×ミニマル】って突き詰めるとキッチンがなくなるって話ですよね。でも【コミュニケーション×充実】に位置するシェアキッチンなどのサービスが普及すれば問題ないかもしれない。そう考えると住宅からキッチンがなくなっていくことも充分考えられる。振り返ると51C型に代表される団地のキッチンがあれだけコンパクトでも成り立ったのは、同時に団地の下に商店街が設けられていたからではないでしょうか。家で手間を掛けてコロッケを揚げなくても、商店街のお肉屋さんから揚げたてを買ってくるだけでよかった。今では宅配やコンビニエンスストアをはじめとする中食の普及(写真3)で、家で調理をする必要がそもそもなくなっています。

写真3:宅配サービスや中食の充実。 提供:Uber Eats
写真3:宅配サービスや中食の充実。 提供:Uber Eats
写真4:フードテックの代表的事例として、1食に必要な栄養素をすべて含む完全栄養食の誕生などが挙げられる。 提供:Huel
写真4:フードテックの代表的事例として、1食に必要な栄養素をすべて含む完全栄養食の誕生などが挙げられる。 提供:Huel
写真5:人とロボットが協調しながら料理をしているコンセプトムーヴィーとして発表された「AI×ROBOTICS×COOKING」。樋口氏は料理監修として参加。AIとロボティクスによって開発され得る新しい調理法の他、いかにその中で人間がクリエイティビティを発揮するかも追求。 写真5:人とロボットが協調しながら料理をしているコンセプトムーヴィーとして発表された「AI×ROBOTICS×COOKING」。樋口氏は料理監修として参加。
AIとロボティクスによって開発され得る新しい調理法の他、いかにその中で人間がクリエイティビティを発揮するかも追求。
https://www.youtube.com/watch?v=ktr7oI0l_7A
2点提供:ソニー

浅子

確かに日本の家、特に都市部のワンルームマンションの狭さはよく言及されますが、飲食と風呂が外部に委ねられたからこそ、狭くても成立していたといえます。インスタントや冷凍食品、コンビニ、安価な外食など、海外に行くたびに日本が異常に住宅の外側のサービスが発達した国であるということに気付かされます。どこまでを住宅として捉えるのかまで含めて考えた方がよいですね。
ところで、キッチンがリビングやダイニングに取り込まれて一室空間化したのはここ20~30年のことですよね。そして、いまだにカウンターキッチンやオープンキッチンへの憧れは生きている。その背景には母親だけがキッチンに籠って料理をしていた状況への反動がありそうですが、ある意味人びとのキッチンへの意識が近代からアップデートされていないとも言えます。

樋口

形式としては最近、アイランドキッチンが人気のようですが、昨年、ソニーの企画により、料理にAI×ロボティクスが応用されたらどんな未来が広がるのかを検討したプロジェクト「AI×ROBOTICS×COOKING」に参加しました(写真5)。そこで人がロボットと協働するためには、どういったプランが動きやすいか、というリサーチもしたのですが、結果としては複数の主体で調理する際には、横並びよりも対面で作業できる方が効率がいいということが分かりました。つまり、アイランドキッチンという形式には、誰かと「協働しやすい」というメリットがある。ここ数年、ジェンダーの問題がさまざまなところで議論されていますが、役割の固定を見直す中で、この形が求められているのは当然なんでしょうね。一方で、高齢者にとってはアイランド型よりも、横移動だけで済むL型やI型のキッチンの方が使いやすいと言われています。必ずしもアイランド型が万人に向いている形というわけではない。
そもそも「効率のよさ」を求めるだけでいいのか、という疑問もあります。近代化の過程でキッチンに求められたのは「いかに合理的に作業するか」でした。テイラーシステム(科学的管理法)を取り入れることで進化していったシステムキッチンはその極みで、遊びが入る余白のようなものが一切ない。その先には何があるのか。効率のよさだけを考えたら完全栄養食(写真4)でいいという方向性になるので、このマトリクスでいえば【個×ミニマル】の行き着く先、キッチンは不要になるわけです。僕は食をあくまでコミュニケーションツールと捉えているので、この方向性の未来を考えることにはあまり興味がないです。

浅子

食がコンパクト化していくと、キッチンがなくなる未来もあり得そうですね。食事をカロリー計算し、スマートウォッチで運動量や心拍数を測ったりと、すべてが数値化され管理されていく世界では、それも必然的な流れと言えるかもしれませんが、たしかに寂しい気もする。
ただ、未来の話って「現実的にはこういう方向に進むだろう」という観点で話すこともできるし、「こうなってほしい」という観点で話すこともできますよね。だから、ここでは「こうなってほしい」という未来の話をしましょう。そのためには、個人の「歓び」という要素は欠かせないでしょうね。

調理科学の発展と調理過程のオープン化

樋口

歴史的にはキッチンは信仰の対象でもありましたし、いまだに一部の人達にとっては変えられない聖域なんでしょうね。信仰は人間の理解を超えた部分で生まれるわけで、これだけ近代化が進んでもまだキッチンが特別なものとして扱われるのはそこにブラックボックスな部分が残っているからでしょう。たとえば僕たちは米を炊飯器にセットすれば、スイッチひとつで完成させられます。でも、どんな仕組みで炊き上がるのか分からない。そうした不可視な部分を残しているからこそ、キッチンは信仰の対象になっている。
一方でそのブラックボックスを見える化して、エンターテイメントにしていこうとするのが、今の最先端の調理科学の流れです。たとえばMicrosoftのCTOだったネイサン・ミアボルドの『Modernist Cuisine at Home』(2012年、写真6)という本があるのですが、ここではオーブンや圧力鍋、BBQなど、すべての調理器具を半分に切断して撮影し、調理の過程で起きている現象を可視化することを試みています。すべてを明らかにすることによって、キッチンが即物的に信仰の対象から外れていくという流れです。日本で調理科学が普及しないことと、キッチンが変わらないという事実には関係があるのでは。

写真6:『Modernist Cuisine at Home 現代料理のすべて』(日本語版:KADOKAWA、2018年)
写真6:『Modernist Cuisine at Home 現代料理のすべて』(日本語版:KADOKAWA、2018年)
写真7:Instant Pot 提供:Instant Pot
写真7:Instant Pot 提供:Instant Pot

榊原

面白いですね。そうした調理科学の発展とインターネット上のレシピサイトの充実とは繋がるところがありますか?

樋口

そうですね。料理の世界の革新は、フェラン・アドリアが率いるスペインのガストロノミー「エル・ブジ」が、2000年にレシピをオープンソース化したことから始まった、と言えます。彼はそれまで勘と経験の世界だった料理界に調理科学を取り入れた第一人者でもあります。今、僕たちが肉を焼く時に、何度で何分と意識するようになったのは、その知識が共有され、誰でもアクセスできるようになったからです。

浅子

その話で思い出したのが2017年頃からアメリカを中心に大流行したInstant Pot(圧力調理・ソテー・スロークッカー・ライスクッカー・ヨーグルトメーカー・スチーマー・保温器などの機能を備えた万能調理器、写真7)です。オーブンやコンロは各家庭によって規格が違いますが、Instant Potという共通の言語を得たことで、新しいレシピを開発してはAmazonのレビュー上でシェアする動きが起き、レビューが3万件超えと、異常な数になっています(笑)。

樋口

温度や時間などが可視化されていて、インターネットを通じて広がっているわけですね。料理の技術はかつて「師から弟子へ」「母から子へ」みたいに伝承されるものでしたが、今はそれがオープンになった。

浅子

なるほど。確かに家族やコミュニティの間で伝承されるものだったレシピが、徐々にテレビや雑誌を通じてメディア化していき、今ではソーシャルメディアに移っていますね。

樋口

「つくること」と「食べること」、このふたつは一緒に語られがちなのですが、分けるのか、連続させるのかによって視点も変わってきます。Instant Potのようなマルチクッカーが「つくること」に特化しているのに対し、従来の鍋はそのまま食卓に出して食べることもできます。これまでのキッチンでは、「食べること」だけがエンターテイメントでしたが、今後誰もがキッチンで料理する時代になると、調理工程もエンターテイメントになり得るように思います。調理工程のなかでも「魅せる」ポイントってありますよね。鉄板焼で肉が焼けている様子とか盛り付けとかを見ているのって楽しいでしょ?
料理界の潮流としても役割ごとにキッチンを分けていくような流れがあります。たとえばコペンハーゲンの世界的に有名なレストラン「noma」にはラボキッチン/下処理のためのキッチン/オープンカウンターで魅せるエンターテイメントとしての仕上げ用のキッチンの3つがありましたが、最近BIGが設計した新店舗では、新しくバーベキュー用やベーカリー用などさらに分化しています。家庭のキッチンでも調理用と片付け用のスペースぐらいは欲しいところです。

榊原

住宅スケールだと、さすがにラボキッチンまでは難しいですが、どんどん個人の料理が趣味的に加速して充実していった先に、たとえば【個×充実】象限のキッチンのかたちとして、あり得るかもしれませんね。

樋口

その究極のかたちが先述のネイサン・ミアボルドらの「TheCooking Lab」(写真9)でしょう。ここはガレージを改修したキッチンなのですが、蒸留機や遠心分離機といったさまざまな機器が所狭しと置かれていて、もはやラボです。数年前にあるメーカーの技術革新によって低温調理器の価格が下がり、家庭への潜在需要を掘り起こしたように、今後も、ハイカロリーなガスコンロやコールドテーブル、スチームコンベクションオーブンなど、ハイスペックな調理機器が家庭用に開発され普及していくことによって、キッチンのかたちが変わっていく可能性は充分あり得ます。

写真9:『Modernist Cuisine at Home』の著者であるネイサン・ミアボルドのキッチン、The Cooking Lab。蒸留機や遠心分離機などさまざまな機器が並ぶ。 提供:Modernist Cuisine 写真9:『Modernist Cuisine at Home』の著者であるネイサン・ミアボルドのキッチン、The Cooking Lab。
蒸留機や遠心分離機などさまざまな機器が並ぶ。 提供:Modernist Cuisine

浅子

面白いですね。レシピのオープンソース化と並行して、インフラや技術の進歩によって高度な調理器具が住宅の中にどんどん入ってきた先に、オタク化していくキッチンの未来も見えますね。

榊原

近年は、オフィスの住宅化、住宅のオフィス化も進み、その境界がどんどん薄くなっていますよね。自宅で小商いをする人も増えていて、住宅のキッチンが生産拠点になったりもする。住宅が再び家族の問題だけでは語れなくなると、土間に台所があった時代のように、再びキッチンが外と接しやすい場所に近付いてくるということもあり得そうです。

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公開日:2020年06月30日