「建築とまちのぐるぐる資本論」取材 4

建築を残し希望を託す 尾道空き家再生プロジェクトの15年

豊田雅子(聞き手:連勇太朗)

貴重なものを壊すなという怒り

連:

ものづくりとまちの相性が良いのですね。地形や風土が人や資本をふるいにかけていて、このまちを本当に好きかどうかを問うているようです。NPO法人もしくは豊田さんにとって、現在の課題は何でしょうか。

豊田:

尾道の場合、山手地区は重機が入らないので空き家を壊すのも大変でお金がかかりますし、壊したとしても、接道していなければ新築が建てられないし駐車場にもできず、草刈りの負担も増すので意外と残り続けます。その代わり、中心市街地の平地は希少なので不動産市場では割と高値で売買されています。災害後やオリンピックなどの影響で景気の良い時に、いとも簡単に古い建物が壊されてしまうのを目にしてきました。ごく普通の建物であればしょうがないのですが、文化財クラスの建物でも大家さんが地元の不動産屋に相談すると壊されてしまいます。そうした状況に我慢ならなくなってきました。

元々は不動産屋も見捨てるような不便な安い空き家を対象にしてきましたが、今は普通の不動産市場で回るような空き家バンクのエリア外の平地にも介入し始めています。積極的にビジネスとして不動産を回そうというわけではありませんが。スタッフのひとりが宅地建物取引士の資格を取得し、壊さない不動産屋さんとして「尾道瀬戸際不動産」を立ち上げました。今の大家さんが亡くなられて、尾道に住んでいない相続者に渡ると壊してお金に換えようという判断になるケースが多いのですが、実は大家さんや住人は愛着があって残したいと思っている方も少なくありません。無料窓口を設け、そうした悩みを聞き、残すための方法として、補助金を探したり、直し方や活用方法を提案しています。

尾道は木造3階建てが多く残っていて、2023年に再生した「オノツテ ビルヂング」(1938年竣工)もそのひとつです。小野鐡之助による元産婦人科で、スクラッチタイルが貼られていたり、内部には小野の友人であり名誉市民の画家・小林和作の壁画とふすま絵が残っていたり、まちにとって大事な建築なので、私たちも街歩きツアーでは勝手に紹介していました。不動産の権利はここに住んでいない子世代の3人兄弟がもっていて、彼らの親戚が住んでいたのですが、だいぶ壊れてきたから出ると。平地の空き家を簡単に整理するには壊して土地を売ってお金を兄弟で3分割することですが、小野が壁画だけは残してほしいという遺言を残していたため、壁だけ切り抜いて市に寄贈するかなど、対応が検討されている段階で尾道市美術館から私たちに相談があったのです。そこで「壊すのはちょっと待ってください」と。大体いつもそういう感じなのですが。この建物であれば補助金も取れるだろうなどと説得していると、3人兄弟のうちのひとりが買い取って一筆にして、私たちに貸してくれることになりました。事業再構築補助金が取れたので、私たちNPOが再生を請負い、固定資産税も支払うので、家賃発生まで7年の据置期間を取ってもらう特別な契約を交わして、お互い無理のない状態で建物が残せることになりました。なんとか救ったかたちです。

Fig.16・17・18・19: 「オノツテ ビルヂング」。1938年に建てられた「旧小野産婦人科医院」を2023年に複合施設として再生。1階に古書店など、2階・3階に宿泊施設が入っている。

次世代が尾道に帰ってくるまでのバトン

連:

違う地域への展開の可能性はあるのでしょうか。

豊田:

私個人は尾道でしかやりたくありません。県外から視察や相談に来られる方も少なくありませんし、講演会には出向くこともありますが、コンサルティングはやりません。あくまで尾道の事例を紹介して、その地域のプレイヤーが動き出すためのものです。

連:

未来の尾道の姿はどうイメージされているのでしょうか。この先のビジョンを教えてください。

豊田:

成功事例と言われることもありますが、まだまだ道半ばです。このまちで日々暮らし仕事をしていると歴史のうえに生きていることが本当に感じられます。私たちは尾道の長い歴史のなかのほんの一時点にいるだけですから、生き続けるための地盤と魅力を次世代へとつなぐことが私たちの役目です。人口減少社会になり、建物もある意味で過渡期ですから、踏ん張りどころです。尾道は支え合いの微妙なバランスで成り立っていますから、中心市街地の人口がさらに減れば、今ある商店やお寺でさえも存続できなくなります。檀家さんの数が減っているだけではなく、お寺がもっている不動産の家賃収入も減りますから。

少子化で小学校が統廃合したりと問題も色々ありますが、Iターンで移住してきた人たちの子ども世代が不便を感じながらも尾道で育ち、進学や就職で一度尾道の外へ出て、他の街で数年暮らしたうえで、やっぱり帰って何かやりたいと思えるようなまちになっていれば成功と言えるかもしれません。うちの双子は高校生になり、大学は京都に出す予定ですが、いつか帰ってくるのかを観察していきたいです。今は普通の高校生なので「友だちの家のマンションは白が基調で」云々と言っていますが、まあそういう年頃です(笑)。まずは自分の目で他のまちや海外を見て、それで尾道の良さに気が付いて帰ってきてほしいと思います。その時に生きていけるだけの糧がある状態にしておかなければいけません。

古い建築を活かして新しいチャレンジができる気風が尾道の魅力です。リノベーションして多様な生活や仕事を成り立たせるというライフスタイルが定着し、私たちが関与せずとも自然とそうなっていくのが理想です。

Fig.20・21・22 : 「三軒屋アパートメント」。昭和に建てられたアパート(旧楽山荘)を店舗、事務所、ギャラリーなどの複合施設として2009年に再生。
Fig.23・24: 「松翠園大広間」。宴会や冠婚葬祭に使われていた60畳の空間。天井には寄付金のリターンとしての団体・個人のマークが描かれている。2019年オープン。

文責:富井雄太郎(millegraph) 服部真吏
撮影:富井雄太郎
サムネイル画像イラスト:荒牧悠
[2023年9月5日 「みはらし亭」にて]

豊田雅子(とよだ・まさこ)

NPO法人尾道空き家再生プロジェクト代表理事。1974年尾道生まれ。関西外国語大学英米語学科を卒業後、JTBのツアーコンダクターとして海外渡航生活を8年ほど続ける。2008年「尾道空き家再生プロジェクト」発足。

連勇太朗(むらじ・ゆうたろう)

1987年生まれ。明治大学専任講師、NPO法人CHAr(旧モクチン企画)代表理事、株式会社@カマタ取締役。主なプロジェクト=《モクチンレシピ》(CHAr、2012)、《梅森プラットフォーム》(@カマタ、2019)など。主な作品=《2020/はねとくも》(CHAr、2020)、《KOCA》(@カマタ、2019)など。主な著書=『モクチンメソッド──都市を変える木賃アパート改修戦略』(学芸出版、2017)。
http://studiochar.jp

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公開日:2023年09月28日