「建築とまちのぐるぐる資本論」取材 4

建築を残し希望を託す 尾道空き家再生プロジェクトの15年

豊田雅子(聞き手:連勇太朗)

昔からある建物の魅力と強さ

連:

今回初めて尾道を訪れて、再生された建物をいくつか拝見しましたが、どれもが個性的でとてもおもしろかったです。豊田さんが再生しようと決断する建物や空間の基準はあるのでしょうか。

豊田:

ほぼ直感に頼っています。私は特に元々住宅ではない建物、例えば産婦人科や洋品店だったり、細部にその名残りがあって、特色をもったものが好きです。北村洋品店も建築的にはそれほど価値のあるものではないですが、三角屋根が特徴的で、内部には当時のマネキンや箪笥などがたくさん残されていたので、それらを使っています。

独特の雰囲気をいかに残しながら継承していけるのかを楽しんでいます。普通の空き家であれば掃除や片付け、小さな改修を行えば空き家バンクを通して住み手を探すことができますから、私たちNPOが関わるのは、状態は悪くても文化財クラスの古いものであったり、規模の大きなものです。

「みはらし亭」は、大正時代に石井譽一という人が折箱の製造で成した財を投資して、この眺めを見るためだけに建てた個性的な建物で、2階の部屋からは寝転がっても絶景が見られます。また、現所有者の先代は廻船の仕事をされていて、船の舵輪(だりん)や照明などをお持ちで使ってほしいという希望でした。私たちはそういったお施主さんの思い、苦労しながらも遊び心満載で建てた大工さんや職人さんたちの技を尊敬しています。残せるところはなるべく残し、新しく付け加えるところは人の思いや技へのオマージュを意識しながら全体を調和させています。

Fig.10・11: 「北村洋品店」。「尾道ガウディハウス」と同様に、豊田雅子さんが個人で購入し、再生工事を経て「子連れママの井戸端サロン」として2009年にオープン。
Fig.12・13: 尾道の絶景を望む崖に建つ「みはらし亭」。1921年竣工の「茶園」(さえん、別荘建築)。2009年に空き家バンクに登録され、2012年に尾道空き家再生プロジェクトが賃貸契約。翌年登録文化財に指定。2015年に改修工事が始まり、2016年にゲストハウスとカフェ&バーとしてオープン。

連:

豊田さんのそうしたセンスや好みはどこから来ているのでしょうか。

豊田:

大阪の旅行会社で働いていて、添乗員をやっていた経験が大きいと思います。ヨーロッパでは、元修道院がレストランに転用されていたり、古代ローマの石が別の場所で使われていたり、古い壁画が現代の室内にそのまま残っていたりと、再利用が当たり前ですよね。それも単に保存されているのではなく、時代に合わせて工夫が加えられながら、歴史的な物や街並み、コミュニティまでもが群として次世代へと継承されています。そういうものを見て感銘を受けてきました。

尾道は、帰省する度に貴重な建物がなくなっていたり、風景が様変わりしているのを横目で見ながら、もったいない、私は何をしているのだろうと悶々としていました。戦争による大きな被害がなく、平安時代末期から800年以上の港町としての歴史が続いていて、山手エリアには古いお寺も多くあります。車が入れないという不便さはありますが、まちとしての希少性をもっています。日本のまちづくりや開発は、既存の建築を壊し、区画整理した結果、無個性なものになるケースがほとんどですが、尾道の、公私の区別がわからないような道がごちゃごちゃ残っているところはとても魅力的です。異なる時代と様式の建物があり、それぞれが十分なポテンシャルをもっているので、ハードもソフトもなるべくそのまま継承していくことが理想です。

あまり知られていないことですが、実は尾道は400ヶ所の井戸があって井戸水が豊富です。私の家でも生活の大半は井戸水です。2018年7月の西日本豪雨の時に尾道はほぼ全域が断水になってしまいましたが、うちは井戸水のおかげでほとんど生活が変わらず、「みんな、洗濯しにおいでよ」という状態でした。トイレは汲み取りですが、そうした非常時にも使えます。昔ながらの生活が強いられているとも言えますが、有事の際にそれほど生活が変わらないという強さもあります。私たちのようなUターン組や移住者は、都会との違いや尾道ならでは良さをわかっているので、不便さや古さをおもしろがっています。

連:

建築を再生する時に、豊田さんの関わり方はどのようなかたちなのでしょうか。

豊田:

最初期の段階から設計、施工、運営まですべてのプロセスに関わっています。私がスケッチを描いたり、図面に赤入れしたり、イメージ写真を元にデザインしながら、建築士さんには構造の相談をしたり、図面化や申請を依頼しています。幼い頃から部屋の間取りを描いたり、絵を描くことがずっと好きで、人生をやり直すのであれば美術大学にいきたいと思うくらいです。廃屋に潜り込むのも好きでしたね(笑)。あとは10年くらい仕事で海外を行ったり来たりしていたので、様々なまちや空間のイメージがインプットされていて、それらをアウトプットしているような感じです。

施工は完全に分離発注で、できることはなるべく自分たちやります。私自身も壁を塗ったり、タイルを貼ったり、掃除などなんでもやります。業者さんは、代々大工一家の私の夫をはじめ、プロジェクトに理解がある方々だけに依頼することにしていて、丸投げは絶対にしません。「この部分の、この作業だけお願いします」というように信頼の置ける職人さんに細かく発注していますし、相手も長年の付き合いで慣れています。

どうしたら安くつくることができるかも常に考えています。2012年頃から倉庫を借りていて、様々な解体現場や片付けた空き家からもらってきた古い物をストックしています。木製建具は100枚以上ありますし、箪笥や机、椅子などの家具から小物、床材までなんでも豊富ですから、それらをうまく活用していきます。

面積が広くて単純な作業はワークショップを開催したり、学生さんに合宿してもらったりしながら進めます。アクセントになるようなものは、私がデザインをして、尾道の作家さんにお願いしています。

「あなごのねどこ」は、移住してきた漫画家のつるけんたろうさんがデザインして、みんなでセルフビルドでつくりました。小学校の解体現場から建具や椅子、黒板などをトラック2台分ぐらいもらって来て、それを活かしています。そうしたプロセスは彼の漫画『0円で空き家をもらって東京脱出!』(朝日新聞出版、2014年)でおもしろく紹介されています。

Fig.14: 空き家や解体される建築から譲り受けた建具、様々な資材がストックされている倉庫。Fig.14: 空き家や解体される建築から譲り受けた建具、様々な資材がストックされている倉庫。

連:

豊田さん個人としては、建築や空間をどう活かすかということを最も重視して活動されているのですね。

豊田:

そうですね。私は特にプロジェクトの最初期に強く関わります。改修が終わって施設が回るようになれば、一応会議に出てイベントのアイディアを出したりはしますが、お金についてはあまり口出ししません。運営や事業計画などの数字は大事ですし、立場的に見なければなりませんが、あまり好きではないですね。それぞれ得意な人に任せればいいし、私は自分が得意なこと、好きなことをやりたいと思っています。

連:

15年以上活動を継続されてきて、現在の尾道をどうご覧になっていますか。

豊田:

もし私たちが活動していなければ、空き家だらけで商店街も廃れ、まちとしてはもうダメになってしまっていたかもしれません。既に数百軒の空き家があり、商店街も空き店舗だらけでした。当時の空き家は今かなりの確率で使われていますし、商店街も老舗と若い人たちによる新しい店がうまく混じり合っています。

最初の頃はボランティアが中心で、お金がないから廃材を集めていていたので、近所の人、特にお年寄りの方々からはなぜそんなに古い物がいいのかわからないという奇異の目で見られていました。以前は市が空き家バンクを運営していたので、NPOを立ち上げる前から役所に出向いて、やいのやいの言っていましたが理解されませんでした。でも、お化け屋敷のような空き家をひとつひとつ片付けては直し、明るくなって風が通り、人が集まるようになると、移住者やメディア取材も増えてきて、徐々に市民権を得ていきました。私はなるべくメディア取材を受けるようにしていますが、それは尾道の方々、特にお年寄りに理解していただくには地元新聞の影響が大きいからです。

最初は駅裏のエリアだけで活動していましたが、段々と他のエリアにも事例が増えて、それぞれの町内会や組合にも入り、人づきあいも大事にしています。今は私たちの活動が尾道全体に浸透してきているので、近隣に空き家が出た場合に知らせてくれたりします。空き家バンクの仕組みがうまく回っているので、相談があれば次の住み手を探すことができます。海外からの移住希望者も増えていて、尾道で家を探している人は常にいるので、ウェイティングの状態です。他方で、単身住まいだったお年寄りがお亡くなりになったり、施設に移ったために空き家になる事例も増えているのでいたちごっこです。

連:

空き家バンクと空き家再生の活動がともに尾道のインフラになっているということですね。最近は、「LOG」(設計:スタジオ・ムンバイ 六車誠二建築設計事務所+せとうちホールディングス+奥田建築事務所、2018年竣工)ができたり、長坂常さんたちによる「LLOVE HOUSE ONOMICHI」が進行中など、さらに新しいプレイヤーも入ってきていますね。

豊田:

皆さんと互いに良い関係です。建築家やアーティストは、一般的な不動産価値ではなく、まちや建築そのものの価値や眺めの良さ、歴史の大事さをしっかり見出してくださっています。国内外からアーティストを招聘して空き家で制作してもらう「AIR Onomichi」というアーティスト・イン・レジデンス(Artist-in-residence)をやっている小野環さんにはNPOの副代表理事を務めてもらっています。かつてAIR Onomichiが作品展示の場所を探していた時に、なかなか見つからなくて私が買った直後の「尾道ガウディハウス」を使ってもらいました。会場として使うために片付けたり、直したりの作業も手伝ってもらいましたし、ずっと二人三脚です。2013年に招聘され、その後も度々尾道を訪れている現代アーティストのシュシ・スライマンが2023年秋から尾道市立美術館と市内3か所で展示を行います。私たちも手を付けないような廃屋を直したり、廃材を使ったりととても良い作家さんです。

私の回りには、古いものや文化を大事にしようと思っている人たちがたくさんいるのでそう感じるだけかもしれませんが、昔よりも状況はだいぶ良くなっていると思います。リモートワークで二拠点居住をしている人、制作や執筆のために数週間滞在する人、定期的に訪れる人など、尾道との多様な関係性が可能になっています。

環境問題も大きいです。尾道の山手は日当たりが良く、風も抜けるので、自然に負荷をかけずに生きることができます。歩きや自転車で行ける範囲で色々と揃います。そもそも平地が少ないという地形からして、大規模開発が起きたり、外資が入り過ぎることはありません。

Fig.15: 豊田雅子さん(右)、連勇太朗さん(左)。Fig.15: 豊田雅子さん(右)、連勇太朗さん(左)。

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公開日:2023年09月28日