「建築とまちのぐるぐる資本論」取材 1
土地・隙間・人々のアソシエーション ニシイケバレイ
須藤剛、深野弘之 (聞き手:連勇太朗)
次世代へ継承していくために
深野:
私はかねてよりTBSのテレビ番組「SASUKE」や「KUNOICHI」が好きで、その番組に出ている選手のなかでも、飛びぬけて良い動きをする方がパルクール(★1)をやっているというのを知りました。私も子どもの頃、まちなかで縦横無尽に遊び回っていましたが、今日はあまりそういう子どもたちが見られません。「危ないからやめなさい」と親は言います。そこで、まち全体を遊び場にできるよう元気で逞しい子どもが増えたら絶対良いという確信から、ニシイケバレイでパルクールができないかと考え始めました。その想いが通じたのか、人伝に佐藤惇さんというパルクール指導員かつSASUKEの選手と出会うことができました。話してみると、佐藤さんとはまちや子どもとの関わりなど色々共感することが多く、パルクール教室を定期的にニシイケバレイで開催することになりました。現在、教室が毎週末開催されており、大人気を博しています。
須藤:
パルクール教室にやってくる子どもたちはとてもイキイキしていて、彼らにとって解放区のような場所になっています。
僕らが設計者として、余白を残したり、場をつないでいくことが、子どもの能動性を引き出すことに結びついていくと思います。既存の塀を撤去したり、障害物をいかに取っていくか。足し算と同じくらい引き算が重要です。
深野:
かつては日本の各地に「遊戯道路」という場所がありました。子どもたちにとっての歩行者天国みたいな場所や時間が公的にあったようです。社会の都合、大人の都合でどうやら今ではほとんど見られませんが、ニシイケバレイではそれを復活させたいと思っています。
須藤:
佐藤惇さんから「フィクショナルライン」という言葉を聞いたことがあります。パルクールのプレイヤーは、規定の計画や機能とは違う観点で都市の建築物や工作物を見て、屋根をつたったり、塀を飛び移ったりします。自分の設定した目的に従ってルートを見つけ、新しいパスを都市のなかに描くことがパルクールなのだと理解しました。
都市には敷地境界線があり、道が用意され、ここだけ通れというのが示されていますが、その人にしか引けないようなフィクションなラインがどれだけあるかということが、都市の寛容性を担保していると思います。パルクールで遊んだ子どもたちは能動的に、野生的になる訓練ができているので、パーゴラにも塀にも登って、どこでも遊び場を自分でつくってしまう。ニシイケバレイではパルクールを体得した人間たちが縦横無尽に使い倒していくような場所になるかもしれません。
深野:
使い倒してもらうことでここはより豊かな関係や場所をつくっていけると思います。
私にとっては娘が産まれたことも大きかったです。今7歳ですが、須藤さんにも5歳の息子さんがいて、日神山さんにも1歳の子どもがいて、みんな比較的近所に住んでいます。未来にバトンを渡す相手が地域に明確に存在しているわけです。今より少しでもマシな社会を残し、いいバトンを渡せたらと常々思っています。
21世紀版のヒルサイドテラス
連:
目に見えている線ではなく、パルクール的にフィクショナルラインを不動産として探しているような感覚ですね。
須藤:
ここがどんな場所なのか、これから何を目指すのか、と聞かれると、言葉の歯切れが悪くなってしまうのは、完成形を目指してつくっている感覚がないからです。大きな時間の流れのなかにあって、その先にニシイケバレイは続いていきます。
既存の建築は、隣のことは考えずに無関係に建っています。これから建つ新築は、チャノマの前の空地と連続し、回遊性を生むような建物として全体性のなかで計画しています。
連:
4棟がそれぞれのことを思いやりながら建っているようで、21世紀版の「ヒルサイドテラス」みたいですね。
須藤:
そういう意識はあったので、とてもうれしいです。ヒルサイドテラスの時代は残すに足る建築が少なかったので、期を分けて新築していったと思いますが、21世紀、残すべき資源がある状態では、あるものを使いながら一団のまちを形成していくことが大切だと思っています。
連:
深野家の建物がそれぞれ年代やつくり方が違っているように、結局、日本のまち並みってバラバラじゃないですか。ヨーロッパは外観によって統一性を保っていますが、日本は空いているスペースの連続性で統一感をつくっているとも言えますよね。槇文彦さんもそうした手法を用いていますが、ランドスケープの体験を通して、一体的な場の認識が生まれるので、建物単体より隙間の方が意識されます。
須藤:
写真1枚で伝わるものではなくて、体験的な連続性があります。
深野:
ここまでこの土地に可能性があるとは正直思っていませんでした。うれし過ぎる誤算です。
連:
改めてこの土地の記憶や積み重ねてきたもの、この場所に関わる様々な人々、そして既存の建物やその隙間に、新たな関係性、相互作用を生み出していることがこのプロジェクトの本質なのではないかと思いました。しかもそれらが単に関係し合うということを超えて、個々の要素が能動的に次の展開や新たな価値を生み出しているようにも感じます。小さい自発的な力の集合によって局所的にアソシエーションとでも呼べるような状態が構築されつつある印象を受けました。
ニシイケバレイの今後
連:
深野さんの今後の構想について聞かせてください。
深野:
世界情勢もあり、今後の食料やエネルギーの供給に不安があります。外部依存しきった生活では、値上がりに右往左往しなければいけません。自由と真逆の方向に向かうと思います。都市生活では完全に食料やエネルギーを自給することが難しいとしても、もう少し自分たちの手にある感覚を残したいと思っています。
これから建てる新しい建物では、太陽光パネルを搭載し、普段は1階のテナントのエネルギーの一部を補って、災害時には界隈の人たちの充電所として使えるようにしたいです。また、可能であれば、郊外に発電所をつくって、そこからオフサイトPPAという仕組みで電気をもってきたいとも妄想しています。
それから、毎週1回野菜を届けてもらっている板橋区のハスネファームなどの都市近郊農家と連携して、ニシイケバレイで出た生ごみなどを引き取ってもらい、堆肥化して活用してもらうことも考えています。さらに、近郊で有志と共に畑や田んぼを営み、ゲストハウス的なものを運営しながら、自分の家族や有志が二拠点生活をし、生産物も産み出すようなこともできたらおもしろいなと。
社会学者の宮台真司さんが言われる「社会という荒野を皆で生きる」ということや「身体性を伴う喜びの共有」という考え方にとても共感しています。社会はこれからどのような状況になるかわかりません。まさに荒野です。そんななかで、顔の見える、また手触り感のある連帯意識のなかで支え合い、励まし合いができるようなような風土にニシイケバレイが一役買えたら最高ですね。
連:
須藤さんはいかがでしょうか。ニシイケバレイの経験はご自身の活動にどのように活かせそうですか。
須藤:
まちに不特定多数の「みんな」はいないということを学びました。各個人が意思をもって生きているのが都市なので、自分がほしいまちを自分でつくること、自分自身が行動することが大事だと思います。
僕が育った家のなかには父の仕事場があって、学校から帰ると父が働いている姿を見ていました。それが僕の原風景でもあるし、大人になって自分が住むところをつくるのであれば、そういう場所がいいなと再認識しました。
実は今、自邸を設計しています。敷地はニシイケバレイから徒歩20分くらい。今も近所に住んでいます。住む場所と働く場所、子どもの居場所に加え、自分があったらいいなと思うお店を入れることができたらいいなと思っています。
ニシイケバレイで色々な人の関わりしろがある場を目の当たりにしました。他者が関わることで不動産の賃料収入も得られるかもしれないし、そもそも関わること自体が楽しいし、多くのインセンティブが関わりしろにあることに気づきました。自邸は建築としては単体で小さな点ですが、まちを読み、他者の関わりしろをつくるという観点から、その存在自体を大きな面で捉えることができるのではないかと思っています。
もうひとつここで学んだことは、時間が大事だということです。おもしろい建築を建てても、結局は道路、外部、建物という3色の枠組みに収まってしまいます。でも、本来、まちはもっと多様な色に彩られています。彩りを活かしていくために、時間をかけて最後までしつこく向き合っていくことが大事だという気がしています。
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公開日:2023年05月31日