タイル探訪 その1:人の集まる場所 倶楽部建築
時を超えるタイル
塚本由晴(建築家)
『新建築住宅特集』2023年9月号 掲載
倶楽部建築探訪──六曜社、長楽館
ここまで人が集まる場所のタイル壁を、会員制倶楽部のようなメンバーシップが限られたもの、ダンスホール的な場所、銭湯で見てきた。これらのタイル壁はすべて1930年前後につくられたものであり、やはり装飾的なタイル壁の全盛期と、人の集まる場所が広がりを見せ始めた時期は重なるようである。そこで最後にさらに大衆化の進んだ事例として1960年代の喫茶店「六曜社」、逆に極めて限られたメンバーシップを想定した事例として1900年代の資産家の別邸「長楽館」のタイル壁を見てみる。
京都河原町にある六曜社は1950年に地下の店舗として始まり、1966年に1階を加えて現在の姿に改装して営業を続けてきた。オリジナルブレンドを中心に、ストレートコーヒーも楽しめる喫茶店であり、1杯1杯をネルドリップで淹れる時間も含めて味わう、街のサロンである。この正面の壁に張られた長方形のタイルは、茶色から黄色そして緑までの微妙に揺れる深い色合いを表現している。左に地下の店に降りる階段があり、階段脇の壁面と正面の壁に1階と地下を結ぶように、中央が凹んで釉薬の厚みの違いが水を溜めたような印象を与える15cm角ほどの重厚なタイルが張られている。1階と地下の店内にも用いられたこのタイル、前回報告した「G邸」や「コンパル大須本店」で用いられていた緑色のタイルと同系列だが、サイズはひと回り大きく、縁が斜めに削られていて、全面に小さな凹みがランダムに打たれているところが違っている。現在のカフェと呼ばれるコーヒー店は、ガラス張りやテラス席などで、街ゆく人びとを眺めたり眺められたりと、街路をフレンドリーで賑わいに溢れた場にすることにより、街と共存共栄するところに特徴があるが、日本でカフェに先行して広まった喫茶店は、街の中にありながら、その喧騒から離れてゆったりとした時間を過ごす場を提供するところに特徴があり、都市部では地下の店も少なくなかった。そうした喫茶店の、沈み込むような感覚を思えば、この正方形タイルは決して軽快とはいえないが、ふさわしい存在感を示しているといえるのではないか。
「長楽館」(1909年)は、「煙草王」といわれた村井吉兵衛の京都別邸で、現在円山公園の南の縁に、アメリカの建築家であり宣教師でもあったジェームズ・マクドナルド・ガーディナー設計により、清水満之助の施工によって建てられた、おそらく京都でもいち早くタイルが室内に用いられた事例だろう。外観はルネッサンス様式であるが、内部にはロココ、ビクトリアン、イスラームなどさまざまな様式からの影響が見られ、3階には畳敷の和室や書院形式の茶室「残月邸」の写しがある。この建物でのタイルは、壁ではなく床に多く用いられており、靴をはいたままの暮らしが積極的に紹介されたことが想像される。1階の元サンルーム(現在菓子店)の床は、三角、四角、六角のタイルが組み合わさって、六角が十二角に展開する、部分と全体の区別がないイスラーム風の幾何学模様。エキゾチックな観葉植物が似合う。2階の喫煙室は、主たるパターンを室の中央に置き、凹凸のある壁面との取り合い部分は帯状の縁取りで調整する、絨毯由来のタイルの張り方。こちらはヴィクトリア調で、招かれた当時の要人伊藤博文や桂小五郎も、世界から集められたタバコをここで吸ったのであろう。1900年のパリ万国博覧会で、村井が出展した両切り紙巻タバコ「ヒーロー」が金賞を獲得しているぐらいだから、世界各地のタバコに触れる機会はあっはずだ。
さらに機能面をいうと、「長楽館」は大広間、食堂、ビリヤード室が揃い、社交クラブの仕様を満たしている。この建物が完成した前年の1908年に、鹿鳴館の一室に拠点をもっていた東京倶楽部が社団法人として認可されているから、村井は私設の社交クラブをつくろうとしたのかもしれない。
【写真資料】長楽館(1909年、ジェームズ・マクドナルド・ガーディナー、京都府京都市)
「煙草王」と呼ばれた実業家村井吉兵衛の別邸として国内外の賓客をもてなすための迎賓館として建築された。設計はアメリカ人建築家のジェームズ・マクドナルド・ガーディナー、施工は清水満之助(現清水建設)。途中戦争による中断がありながら5年をかけ完成。外観はルネッサンス様式、内部はロココ、ネオ・クラシック、アール・ヌーヴォーなど、調度品を含め折衷洋式が見られる。
【写真資料】六曜社(1950年、京都府京都市)
1950年創業で現在の地下から六曜社珈琲店が始まり、その後1966年に1階にも店舗を構え、現在の内装に改装。豪華客船をイメージしてつくられたという店内はすべてソファ席。
冒頭で触れたように、戦後、民主主義の再興の中でつくられていった庁舎建築や文化会館などでも、ロビーなど人の集まる場所にタイル壁が用いられた。そうした事例の中には、アーティストとの協働による陶壁画が少なからずあり、タイル壁というよりは芸術作品をタイル製造技術を通して再現したものになっていった。芸術作品をより長もちさせるという意味でも、これはタイル壁の記念碑性に主題があるといえそうだ。だがその場合、タイルは芸術作品としての全体に奉仕する部分になっている。一方の1930年代のタイル壁は、どちらかといえば個として独立しつつ、その集合性が装飾、あるいは芸術的領域にまで高められているといえる。現代にタイル壁を復興するならば、1枚のタイルの背後にあるストーリーなども拾い上げることができる後者のやり方まで、一度戻って考えるのがよいのではないか。さらなるタイルの可能性について、引き続き考察していきたい。
- 注1:https://ja.wikipedia.org/wiki/東京倶楽部 「日本が日英修好通商条約の改正に取り組んでいた時代に、英国の駐日大使ハリー・パークスがビクトリア女王に宛てて『日本は紳士が集う社交クラブがない野蛮国』といった内容の書簡を送ったという情報を聞きつけた明治天皇が、英国に留学経験のある伊藤博文から社交クラブに関する情報を集め、外務卿で『鹿鳴館』の設立者井上馨に命じてつくらせた社交クラブ」が東京倶楽部である。
- 注2:https://tabiyomi.yomiuri-ryokou.co.jp/article/001527.html
- 注3:上海にあった国際共同租界における日本居留民の警護のために置かれていた海軍陸戦隊と、中国国民政府軍の第19路軍との衝突である第1次上海事変(1932年)において、敵陣の鉄条網の爆破工作に臨み、結果的に自らも爆発に巻き込まれてしまった3名の独立工兵を英雄化した呼称。事故による爆死ともいえる戦場での出来事が、軍の発表や、報道を通して世論の軍国熱を高める物語に変わっていった。
INAXライブミュージアム「世界のタイル博物館」
株式会社LIXILが運営する、土とやきものの魅力を伝える文化施設「INAXライブミュージアム」(愛知県常滑市)の一角に、タイルの魅力と歴史を紹介する「世界のタイル博物館」がある。
タイル研究家の山本正之氏が、約6,000点のタイルを1991年に常滑市に寄贈し、LIXIL (当時のINAX)が常滑市からその管理・研究と一般公開の委託を受けて、1997年に「世界のタイル博物館」が建設され、山本コレクションと館独自の資料による装飾タイルを展示している。
オリエント、イスラーム、スペイン、オランダ、イギリス、中国、日本など地域別に展示されていて、エジプトのピラミッド内部を飾った世界最古の施釉タイル、記録用としての粘土板文書、中近東のモスクを飾ったタイル、スペインのタイル絵、中国の染付磁器に憧れたオランダタイル、古代中国の墓に用いられたやきものの柱、茶道具に転用された敷瓦など、タイルを通して人類の歴史が垣間見える。また、5,500年前のクレイペグ、4,670年前の世界最古のエジプトタイル、イスラームのドーム天井などのタイル空間を再現。タイルの美しさ、華やかさが感じられ、時間と空間を飛び越えて楽しむことができる。
常設展「近代日本の建築と街を飾った、やきもの」
建築陶器のはじまり館──テラコッタパーク
大正から昭和初期、新しい時代の建物が次々と建てられ「建築陶器」と呼ばれるやきもの製のタイルとテラコッタがその外壁を飾りました。明治時代初期のものから1930年前後の全盛期に至る、日本を代表する芸術性の高いテラコッタ、帝国ホテル旧本館(ライト館)・建築会館・大阪ビル一号館など24物件を展示しています。
所在地:愛知県常滑市奥栄町1-130 tel:0569-34-8282
営業時間:10:00〜17:00(入館は16:30まで)
休廊日:水曜日(祝日の場合は開館)、年末年始
入館料: 一般700円、高・大学生500円、小・中学生250円(税込、ライブミュージアム内共通)※その他、各種割引あり
web:https://livingculture.lixil.com/ilm/
雑誌記事転載
『新建築住宅特集』2023年9月号 掲載
https://japan-architect.co.jp/shop/jutakutokushu/jt-202309/
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公開日:2024年02月27日