穴が開くほど見る
── 建築写真から読み解く暮らしとその先 (第1回)
塚本由晴(建築家、東工大教授)× 五十嵐淳(建築家)
『新建築住宅特集』2018年2月号 掲載
長い冬を快適に過ごす家/伊藤邸
五十嵐:
これは1970年に札幌で撮影された「伊藤邸」です。宮脇檀さんが設計した、北海道教育大学の教授だった伊藤隆一さんの自邸です。宮脇さんの代表作「ブルーボックスハウス」(1971年)の前年に建てられています。居間から食堂を見ていて、食堂には縁障子の小窓が付いています。その左に台所があり、勝手口を開けると階段があり、車庫へと繋がっていて、室外へ出ることなく車から室内へ移動できるようになっています。廊下の天井には丸いトップライトが設置されています。かなり高低差のある土地なので、道路側に車庫を設置し、階段を上がって突き当たりの玄関から入ってくるつくりです。家主の伊藤さんが書いている文章に、「雪を知らない宮脇さんが北海道で何を建てるか非常に楽しみだった」とありますが、フィンランドのアルヴァ・アアルトは極寒の地で暮らしていたから、半年間という長い時間、家の中でいかに快適に過ごすかという考えから、調度品や家具・テキスタイルなどにより室内の暮らしの密度を上げた。伊藤邸を見た時にも、通じるものを感じた。床にクッションを置き居場所をつくる方法は、当時宮脇さんがよくやっていた手法ですが、 空間と人間の親密度が増します。硬い素材だと床に寝転がり本を読むような状況は生まれにくいが、 カーペットや床の一部がソファやクッションになっていると、 床がただの床ではなくなってくる。伊藤邸は北海道での暮しの理想像が見えていた。宮脇さんと建主が、友人でもあるので、北欧やアアルトのことなどをディスカッションしながら生まれた建築空間だとイメージできました。
塚本:
ここに映っている小さな子供が、デザイナーの伊藤千織さんですね。壁にかかっているのはスキー板、かっこいいですね。カレンダーは9月だけど、こういうところに置いておくものなのでしょうか。建主の伊藤隆一さんは大学で何を専攻されていたんですか。
五十嵐:
彫刻家です。スキーは金具が付いてないので古いものを飾っているのでしょうね。
塚本:
派手ですね。クッションとの境目に置いてあるのはウルトラセブンの怪獣。その手前が居間ということは、Denのように1段下がっているんですね。床や壁も家具のように設えて、雪国の長い冬の暮らしを親密にしようという宮脇さんの配慮ですね。
狭小地に建つ都心の家/塔の家
五十嵐:
塚本さんの選んだ次の写真は、 東孝光さんの「塔の家」ですね。
塚本:
これは渋谷区神宮前に建てられた、東さんの自宅兼事務所で、写真は1966年に写真家の村井修さんが撮影されたものです。西側の通りに接した三角形の敷地で、三角形の先端から入ります。光の感じからするとこの写真は夕方に撮られたものですね。テーブルの上にケーキが4つ用意してあるのですが、3つがショートケーキでなぜかひとつだけモンブラン。玄関を入るとすぐにある極小のダイニングキッチン。ここに奥さんの足もとが見えます。コーヒーを入れようと準備しているところでしょう。本を読んでいるのが今は建築家の東利恵さんです。彼女が本を読んでいるところがこの写真の素晴らしいところです。この家は、いわゆる家というよりは住める階段室だと思っています。2階がリビングとキッチン、3階がトイレと浴室、 4階が寝室で5階が子供室と、ワンフロア、ワンルームの間取りです。食べる、 寝るといった活動を隣同士で行うことはないので、基本的に扉がない。だから家の中にはひとりになれるところがないと思うでしょう? でも以前利恵さんに伺った話によると、東家は週末の夕食は必ず外に食べに行ったそうです。それで、食事の前には必ず本屋に寄って、ひとり1冊本を買う。各自その本をこの家の好きなところで読むのだと。その話を聞いて、「ドアがある!」と思いました。本の表紙は「扉」といいますよね。家の中に建築の扉はないけれど、本の扉を開けて物語の中に入っている。その通りのことが読み取れる写真がこれです。孝光さんが奥さんと話しをしていて、娘は物語に入り込んでいる。一緒にいるけれどそれぞれが自分のことに集中していて、お互いに干渉しない。これがこの「塔の家」の暮らしの秘訣ということなのではないかと思うのです。
五十嵐:
4人分のケーキと5つのコーヒーカップがあるということは、村井さんとあとひとりお客さんがいたんでしょうね。
塚本:
キッチンもすごく小さいから、お皿の数も少ない。本当に数を限定しているので、お客さんが4人以上来ると困ったんじゃないかな。ちなみに、ショートケーキには苺じゃなくて栗がのっています。東さんはセーターを着ているから季節は晩秋か冬。この時代は、冬に苺はなかったのかな。
五十嵐:
面白いですね。先ほどの本屋の話は、東京の神宮前という立地だからこそできたライフスタイルですね。いろいろなものが家の周りにあるわけなので、 生活が建物の中だけで完結しないように設計する。土地が狭いので、建築も小さくなったわけですが、東さんの都市を住みこなすセンスが生み出した建築だと思います。
塚本:
東さんは大阪の人で、下町で育ったそうです。この頃、東さんは坂倉準三事務所で新宿駅西口広場を担当していて、自邸を建てるために最初は私鉄の郊外住宅地を見に行ったそうです。でも、関西の人だから関東ローム層の黒土に慣れられそうもないので郊外の土地をやめたそうです。それで都心に土地を探した。 東京オリンピックのために、青山通りと神宮外苑を繋ぐ外苑西通りができて、 古い街区の中に新しい道が通されて、三角形のヘタ地が残ってしまっていた。そこにこの住宅を建てて住むことにしたわけです。東さんはあまり都市の変化の問題としてこの住宅を語っていませんが、実際に自分の家をここに建てたこと、そこに住み込んだということ自体が時代を映していると思います。その時代の東京の住宅のドキュメントになっている。
自分たちは今どこにいて、何をしているのか?
塚本:
2017年、東京国立近代美術館で開催された「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」展の解説の中で、住宅作品は、それにしかできないやり方で日本の社会の状態を表現してきたということを書きました。現代の住宅もそういう観点でつくったほうがいいと思います。建築デザインの責任は未来に向けてのプロジェクション。未来を予見すると期待されてきましたが、現実があまりにも複雑になってきているので、今自分たちがどこにいるのか、何をしているのか、今の暮らしは何で組み立てられているのかといったことをしっかりと見極めたいところ。つまり、文化人類学や民族誌の眼差しから住宅をつくると産業化の眼差しが強かった20世紀後半のつくり方と違うものになるはずです。
五十嵐:
今回、改めて古い写真をじっくりと穴が開くほど見る機会を得て、建築が時代を映すドキュメントだということと共に、それは同時に建築産業のドキュメントであると強く感じました。現代、新しい材料や技術が次々と生み出され、建材を掛け合わせた大量の住宅が自分の街の風景をつくったことへの違和感が、建築家を志したきっかけのひとつです。しかし、今でもその風景への違和感は変わらない。塚本さんがおっしゃったように、現在と過去のドキュメントを踏まえ、今自分たちはどこにいるのか、自分たちの暮らしが何で組み立てられているのかをもっと知って建築をつくるべきだし、その意識をもって自分たちの暮らしを構築すべきです。未だ産業が強く主導している現在、建築家がより濃密にそれぞれの分野と協働しながら産業の思想を再建できれば、風景を刷新する可能性が高くなる。そうすればこれからの街の姿が自ずと見えてくるし、豊かな暮らしが文化になり得ます。
塚本:
スカンジナビアの国々では、どの家に行っても設えが上手で美しい。それは人びとが自分たちの家をどうつくればいいのか、どうやってそれをマネジメントしたらいいのかということに対する知識、経験、スキルが高いからでしょうね。家の中で過ごす時間が長くて、子供の頃から親と一緒にああでもないこうでもないと自分の家のことを考えているのでしょう。日本では、絨毯爆撃のように新しい技術やものが投入され、人びとも新しいものに飛びついてきました。その結果、取り扱い説明書通りに使うしかない製品ばかりに取り囲まれ、それに人びとも合わせて生きるようになってしまった。自分で設えるということにあまり感心のない人びとになってしまった。でも今、日本は、家族のあり方や働き方、生き方が問われ、人びとの生活が変わろうとしています。それに合わせて、建築も住宅設備も、製品も見直しが必要です。モデルチェンジしすぎ、デザインの種類も増やしすぎで、人びとは戸惑っています。昔の写真をじっくりと眺めることで、われわれが置かれている現代日本の状態が見えてきたのではないでしょうか。
(2017年11月14日、札幌のLIXIL北海道支社にて、文責:新建築住宅特集)
雑誌記事転載
『新建築住宅特集』2018年2月号 掲載
https://japan-architect.co.jp/shop/jutakutokushu/jt-201802/
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公開日:2018年08月31日