これからの暮らしの実践者を訪ねる

暮らしの哲学をもつ

松浦弥太郎(文筆家、『暮しの手帖』前編集長)× 藤原徹平(建築家)| 稲垣えみ子(元朝日新聞記者)× 塚本由晴(建築家)× 能作文徳(建築家)

『新建築住宅特集』2017年7月号 掲載

理想の家と建築家の存在意義

能作:

人の繋がりを生む家を目指してつくるとしたら、稲垣さんは具体的にどんなかたち、どんな家を想像しますか。

稲垣:

究極は、鴨長明の方丈ですね。50歳で出家して庵で暮らし始めた長明が今の私と似ていると思い、京都に復元されている方丈を見に行ったんですが、家に何もなければないほど豊かになっていくという長明の考えが手に取るように分かりました。家の中だけでは完結できないものを外に求めることで、爆発的な豊かさが生まれる。現代のように家が「豊か」になればなるほど、住宅としての開放性とは別に精神的な閉鎖性が生まれるんじゃないでしょうか。
それから、方丈のすごいところは水回りがないということです。雨水を集めたり近くの川の水を利用していたりしたんじゃないかと思うんですが、ああなるともう内と外の境界がほとんどなくなって、環境問題が死活問題になってくる。そうなれば社会に対する自分の立ち居振る舞いも変わってきますよね。先に挙げた貧乏長屋もそうです。共同トイレ、共同風呂というところがすごいと思っています。例えば風呂では誰もが裸ですから、そこでの立ち居振る舞いだけがその人の価値を決める。トイレの掃除当番もそう。そういう空間があると人生観も変わるんじゃないか。
本当に、何かを得ることは何かを失うことでもあると思います。家電製品も、確かに人びとの暮らしを便利にした一方で、日本の気候をうまく利用して保存食をつくったり、日本の小さな家を丁寧に掃けるように箒を使っていたような、日本人が長い歴史の中でずっと積み上げて来た知恵を拭い去ってしまった。

塚本:

風呂なしトイレ共同のアパートは減りましたね。ワンルームマンションではトイレとユニットバスは必須だし、オートロックがないと女子は入居してくれないなど、ますます要塞化が進んでいます。その分家賃も高くなるので、学生が地方から出てきて東京でひとり暮しなんてできないわけで、出鼻をくじかれてしまう。勉強や仕事での挑戦を始める際のハードルが、上がっているのではないかと思います。家を要塞化するというのは、街に出るのに車が必要なアメリカの発想で、豊かな地上資源にアクセスできる日本で昔から蓄えられてきた知恵とは、根本が違います。

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会場より:

稲垣さんのお話を聞いていると、建築家の存在意味を考えてしまいます。家自慢をしたい建主が家自慢をできるような家を設計したり、水回りは共同でもいいからもっと家賃が安くならないかと思っている学生のための集合住宅をつくってあげることができなかったり、どうしたら建築家が本当に必要とされる建築をつくれるのかと考えてしまいます。

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稲垣:

そもそも、暮らしの中にすべての設備が整っているような家がよい家だ、という、ある種の思い込みの世界が今あるので、そうじゃない豊かな暮らしがあるんだという実例を示すことが近道のような気がします。具体的にこのような豊かさを知らない人が増えてしまったのだから、どちらにしますかと具体的な選択肢を示せた時、半数とはいかないかもしれませんが、風呂が共同でも仲間とワイワイできるような暮らしがよいと思う人は案外いるのではないでしょうか。その選択肢がないということが問題だと思います。私は今の家にすごく影響されてこの考え方をもてたので、建築が人に及ぼす影響ってすごいです。
建物を建てる時に、つくり手である人自身の暮らしや価値観ってとても大きなものですよね。つくり手の価値観があって、建主がいて、そこにコミュニケーションという化学反応が起こってものが建つということがとても重要だと思います。建主の思い描いた理想通りの家を建てるのではなくて、建築家の人生や価値観をそこに沿わせること。自分はこういう暮らしがいいと思っているけど、施主の価値観には合わないかもしれない。その時に対話があってお互いの気付きが生まれると、新しいものができると思います。私も新聞記者として、相手の話をそのまま載せたってそれはインタビューとはいえないということをずっと考えてきました。聞き手との対話があってはじめて引き出せる言葉ある。家も同じなのかなと。建主のいうなりに建てるのなら、ほとんど建築家がかかわる意味はないと思います。

日本建築学会「地球の声」デザイン小委員会(主査:塚本由晴)は、建築家を中心に組織され、エコロジカルな社会における建築のあり方を、さまざまな角度から検討している。
この稲垣えみ子氏を招いてのレクチャーと座談会は、『新建築住宅特集』の企画のもと、同委員会の研究会の一貫として企画された。参加者:塚本由晴、能作文徳、川島範久、安原幹、末光弘和、金野千恵、川島宏起、東京工業大学塚本由晴研究室学生など30名

都市における他者に対する責任

会場より:

稲垣さんの話を聞いていて、最初は田舎暮らしとか自然が多い場所に行けばよいのではないかなと思ってたのですが、話を聞いていると都会でその生活を実践されていることに意味があるのではないかと感じました。都会だからこそ、たいへん高度な暮らしをしているのではないかと思ったんです。

稲垣:

仕事を辞めても都会に暮らすことを決めた理由は、認知症を患った母親の存在がありましたが、今考えるとこの暮らしは近くに銭湯や商店があるとか、都会だから成り立っていると思うんです。確かに、よく「なんで田舎に住まないの?」と聞かれるのですが、その質問がすごく不思議で。田舎に行っても東京にいても目指す暮らしは同じです。ただ、都会は都会なりの、田舎は田舎なりのやり方があるというだけなんじゃないでしょうか。

会場より:

自分は街というとても大きな家に住んでいるという表現は、すごく現代的で、都市だからできることなのかもしれませんね。もしかしたら街の方に建築家もコミットできるかもしれないと思いました。

稲垣:

私が今すごく心を砕いているのは、お金の使い方です。お金をほとんど使わなくても幸せに暮らしていけることがわかったのでほとんど使わなくなってしまったんですが、溜め込んでいても意味がない。なので、自分が好きな場所には多めにお金を払おうと。そこが栄えることが私を豊かにする。
お金じゃなくても言葉で挨拶やお礼を頻繁にしたり、特に小売店はコミュニティの拠点になっていて、そういう小さい店がいっぱいあることが大事だと思っているので、そういうところに重点的に通ってお金を使っています。
私、アメリカのオレゴン州にあるポートランドに憧れていた時期があって、いいコーヒーショップがあって、お洒落な自転車屋さんがたくさんあって、ひと言でいうと、自分にとってすごくイケてる街だったんです。いつかポートランドに行って暮らしてみたいと夢見ていたんですが、よく考えたら、自分の街をポートランドにすればいいじゃないかと。だから名付けて「マイポートランド計画」。近所の大事なお店や人、場所を見つけてそこの常連になればいいじゃないかと。そして、その店を強化するために、自分でお金も使うし宣伝してお店を盛り上げる。そんな自分にとっての一軍と呼べる強化選手たちをたくさんもって育てていくと、政治や国、他者のせいにして愚痴ることもなくて、お金や友達やコミュニケーションや笑顔といった自分が持つ資源でどんなにでも豊かな街や国はつくれていくと思うんです。

塚本:

私たち「地球の声」デザイン小委員会では、エコロジカルな社会における建築のあり方を目指して議論していますが、それには、私たちの身の回りにある暮らしのエコロジーを考えていかないといけないと思うのです。
その時に、稲垣さんの生き方はまさに私たちにとって「カリスマ生活者」で、建築家の提案よりずっと過激なので、お会いしたいと思っていました。今回お話を伺って、他者に対する責任というものが、稲垣さんの暮らしに通底しているのがたいへん印象的でした。自然環境の共同利用などを通して農村などでは分かりやすいのに、都市部だと産業や社会システムが間に入ってくるので見えにくくなっているのが他者への責任です。稲垣さんは、街が自分の家であると考えることによって他人の家や建物にも関心を持ち、排水口の先に繋がる自然を想像しようとする。その経験から、建築の設計がいろいろやってくれてしまうと、自分たちで考えたり想像したりしなくなるから、やってもらわなくてもよいのではないかとおっしゃいましたが、私はそこはやる余地があると思います。今は生活の前提をデザインし直す時代ですが、それがどういうことなのか言葉ではなかなか伝わらない。でも建築で空間ができ上がってしまえば、「なあんだ前提を変えても生きていけるんだ」とすぐに合点がいく。そういう設計はあると思います。

稲垣:

なるほどそうですね。今、さまざまなものに自動化や無人化が進んでいる世の中で、建築家の方々がこれからの住宅って一体どんなものにすべきなのか、人と繋がる家を建てるってどういうことなのかを、それだけ真剣に考えていることに希望がありますし、それを続けることが重要だと思います。

(2017年5月31日、新建築社 青山ハウスにて。文責:『新建築住宅特集』編集部)

写真撮影:新建築社写真部

雑誌記事転載
『新建築住宅特集』2017年7月号 掲載
https://japan-architect.co.jp/shop/jutakutokushu/jt-201707/

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公開日:2018年01月31日