これからの暮らしの実践者を訪ねる

暮らしの哲学をもつ

松浦弥太郎(文筆家、『暮しの手帖』前編集長)× 藤原徹平(建築家)| 稲垣えみ子(元朝日新聞記者)× 塚本由晴(建築家)× 能作文徳(建築家)

『新建築住宅特集』2017年7月号 掲載

稲垣えみ子(元朝日新聞記者)× 塚本由晴(建築家)× 能作文徳(建築家)

繋がれたチューブを抜いていく

稲垣:

私は50歳になった2016年1月に、28年勤めた朝日新聞社を退社しました。実際に会社を辞めてみたら驚きの連続で、たくさんのことを知ることになりました。働いていた時はお金があったので高級マンションで贅沢な生活をしていたけれど、辞めて無職になれば、当然同じ暮らしはできない。だから今の家に引越しました。都心にある築47年の、東京オリンピックの後に建った集合住宅の1室で、33m_ のワンルームです。靴入れも押入れもガスコンロも冷蔵庫も置くところもありません。今もっている家電は、パソコン、携帯、照明、ラジオだけ。ベランダでは野菜を育てて、ザルで野菜を干して、そこで全部保存しています。ガス契約もやめて、料理はカセットコンロ。風呂は家から歩いて3分の銭湯。洗濯機置き場もないのでホーローの桶が私の洗濯機です。掃除は箒でしています。毎朝行く近所のカフェは、 私のダイニングです。午後は仕事をしにブックカフェに行きます。家には本を置く場所もないので、読んだ本はすべてそのブックカフェに持って行きます。そこに行けば読めるし、売れてしまったら私の好きな本を誰かも気に入って買ってくれたんだなと思っています。家は狭いですが、銭湯もカフェも含めて、この街が我が家になりました。だから、街路を勝手に鉢植えで飾っている人や、自分の土地じゃないのにきれいに掃除している人を見ると、わが家を他の人がよくしてくれているように思って嬉しくなります。これはすべて会社を辞めるまでは気がつかなかったことです。
_ _でも今から思うと、会社を辞める前から少しずつ価値観が変わっていたのかもしれません。その大きなきっかけは、東日本大震災の原発事故を契機に始めた節電でした。ずっと住んでいた関西の電力の半分が原発由来だと知り、原発のない暮らしはできるのか実験してみようと思った。それまでは大体毎月2,000円だった電気代を、1,000円以下にすることを目標にしました。そうなると、こまめに電気を消すレベルでは全然だめで、家電製品を捨て始めた。まず電子レンジ。主な用途は冷凍ご飯を解凍することだったので、捨てるとなると解決策を自分の頭で考えることが必要になります。結局、蒸し器を使うという結論に辿り着いたのですが、そういうさまざまなことを試行錯誤していくことがとても面白くなってきたんです。自分にも、工夫したり考えたりする力があったんだと。それまで、自由というのはお金をたくさん持っていて、なんでも好きなものを買えることだと思っていたのですが、それはむしろ逆で、モノをもたなくてもやっていける感覚がすごく自由に感じたんです。
たくさんのチューブに繋がれて生きている重篤な患者にたとえると、私は節電をすることで、そのチューブを1本ずつ抜いていったんだと思うのです。そうしたら、抜いてもやっていけた。それは病床から起きて歩き回れる感覚と似ているような気がします。そして、その最大のチューブが会社だったのかもしれません。さすがにこれを抜くのは大きな勇気が必要だったのですが、その勇気を与えてくれたのは冷蔵庫をなくしたことだったかもしれない。その日に食べるものしか買えない暮らしを始めてみたら、これが驚くほど「ちょっと」しかなかったんです。それに気づいた時、なんだ、自分が生きていくのに必要なものって本当にわずかなものだったんだと。それまでずっと、あれも足りないこれも足りない、だからお金がなければいけないと思って会社にしがみついてきたけれど、本当にそうだったのかと。

稲垣氏の現在の住まい。築47年の集合住宅の1室。 ベランダで干している野菜 掃除は箒で行う。 キッチン。ガスは契約しておらずカセットコンロで調理する。

自分史上一番きれいで大きな家

稲垣:

そうはいっても一番の不安は、給料がなくなるので安くて狭いところに住まないといけないことでした。家って人生の多くの時間を過ごす場所ですから、それが「我慢」「忍耐」の場所になってしまうと、人生そのものが「我慢」「忍耐」になる。それじゃあ何のために会社を辞めたんだかよく分からなくなってしまいます。
そこで出かけたのが「江戸東京博物館」。私は時代劇が好きなのですが、江戸時代の貧乏長屋がとてもコンパクトで、しかも結構みんな楽しそうに暮らしてるじゃないか、実際にどんな家なのか見てみようと。そうしたらこれが思った以上の狭さで、押入れもなくて、布団は隅に寄せてつい立てで隠してある。着物は衣紋掛けに1着掛けてあって、これは2着の着物を洗濯しながら使いまわしているんだなと。そういう工夫をすることで、小さな空間を、夜は寝室、昼間は居間にしているんですね。なるほどこうすれば、すごく少ない持ち物で暮らしていける。でもそのためには、片づけなど、能力がないとあそこで暮らすことできない。トイレも外の共同トイレで、掃除当番をみんなで回していたはずです。中には掃除当番をさぼる人とかもいたはずで、話し合ったり文句言ったりしながらみんなで生活していたと思うんです。そう考えた時に、江戸に住んでいた人びとは、片付け、コミュニケーション、体力など、現代の人間よりすごく能力が高かったのだと気がつきました。だから狭いところに住むことは、自分の能力を磨いていくことなんだと教えてもらい、俄然、安い家賃の家で暮らすことに挑戦する意欲と希望が湧いてきました。
そして今、会社員だった時よりも何よりも、一番豊かな暮らしをしているという感覚があります。ひとつは、持ち物が少ないので、片付けが楽で自分史上一番きれいな家に住んでいるということです。もうひとつは、今までで一番小さいんですけど、最高に大きな家に住んでいるという感覚がある。街がすべてわが家ということになっているので、高級温泉旅館のように歩いて3分ぐらいのところに大浴場があるような、そんな大きな暮らし。銭湯やカフェでは友達ができて、家族が増える感覚にもなるんです。今の家って、家の中にすべての設備が備えられていて、籠城してもやっていけるような、ある種要塞化していた場所だと思うんです。それは、自分さえよければいいっていう感覚と、人よりも多くモノを持っているとか、他人と比較して自分の方が上であった時に初めて豊かさを感じられるということの元凶になっているのではないかと思います。この生活を始めて、そういう価値観から抜け出すことができて、街がわが家なので近所がよくならないと自分がよくならないという思いが芽生えました。家を要塞化して、自分の家の中だけでの豊かさを求めるよりも、家を小さくして、外に求めることを多くする。家に溜め込んで自ら狭くする、人と差をつけることで優越感を得る、人との繋がりを断っている。今の建築はそういう方向をつくりあげて来たのではないかと思います。一方、私の住んでいる家は正反対。高度経済成長期の始まりに建てられた家なのでエアコンは設置できないですが、窓から風がきちんと抜けるように設計されています。いやもう風ってすごいなと。そして窓が大きいので、冬の昼間は日の光がずっと入ってくる。冬は暖房なしでも十分暖かい。いやもう太陽ってすごいなと。ベランダに干した野菜があんなにも美味しいことや、街をわが家だと思えたことも、この今の家が気がつかせてくれたことです。そういう意味で建築はすごい可能性をもっていると思います。
皆、生きる目的はさまざまですが、結局のところ、仲のいい友達がいて、みんなで助け合いながら時には美味しいものを食べてワイワイ話ができることが幸せだったりする。それはすごい大金を払って立派な住宅を建てなくたって得られるものですよね。そう考えた時、あるべき家の姿が見えてくる気がします。それから、現代人は防音やオートロック、宅配ボックスに安全や便利さを求めますが、隣に誰が住んでいるか全く知らずに暮らすことが本当に安全で便利なのか、むしろ隣に気配があることで、いざという時助け合える、それが今の社会を生きる時に必要だと実感しています。

塚本:

19世紀までの人びとの暮らしは、今から見れば民族誌的と言える連関に属していたのですが、それを産業社会的連関の方に移行させてきたのが20世紀であり、建築はそのプロセスに深く関わってきたわけです。そうはいっても完全に移行することはできていなくて、まだまだ民族誌的なものと繋がっている部分もあるから、まだ戻れる可能性がある。太陽や雨、風の処理の仕方にもまだ余地があるので、そういうことを建築に取り戻したいと思っています。

家を開くとは何か

能作:

建築家は家が閉じていることに対して、友人が集まれる場所を家の中につくったり、窓を大きくしたり、庭を使って家を外に開こうとしてきました。しかし稲垣さんの話を聞いて、それでもまだ家は閉じていて、家電に頼らず生活を組み立て直すことで、家を外に開くことができるということがとても新鮮でした。一方で、建築は様々な家電がある生活を想定して、設計していくことが一般的です。家電をほとんど持たない生活をしている稲垣さんから見て、家はどういう存在で、家にどんなことを求めるのでしょうか。

稲垣:

今の家に暮らし始めてから近所の忘年会に3つ出たのですが、それはカフェの常連客の集いで、まさに自分が開かれた暮らしをしている実感がありました。ホームパーティーもいいけれど、目的が家自慢で、人と差をつけるための「解放」なら、それは開かれてはいない気がします。
高度経済成長期は収入も上がっていった高揚の時代で、その時に家電が増えて家の中にワンセットすべてが揃う文化が完成したのだと思います。でも家の中で完成してしまうと助け合わなくなるし、周りとの繋がりがなくてもよくなるので関係が切れてしまった。高度成長期が終わって、国もお金がなくなって、保育園や老人ホームが足りないという問題が起きているのが今です。しかしそれをお金で解決しようとしても、みんな将来を不安視するようになって自分たちでお金を貯めるようになるから、経済もまわらない。結論はひとつしかなくて、お金を払ってサービスを受けるのではなく、少しずつお金ではないところで助け合わないとやっていけないということです。今の家の存在が、助け合いという文化を阻害する方向にいっているんだとすれば、コミュニティを生み出す仕掛けとしての家、人との繋がりが自然に生まれることを意識する建築ができたらいいなと思います。不便であることはお互い助け合う動機になることもあるし、共通の趣味やコミュニティを生み出す装置にもなるという考え方が新しい住宅のあり方の発明になりませんか? みんなが集まれる動機というのはやっぱり助け合いだと思うんです。世の中に介護や育児、他のことでも困っている人はたくさんいて、その助け合いを後押しするような住宅があったらすばらしい。

塚本:

家を建てたい人の中には、生活を変えたいという人も当然います。評論家の永江朗さんの家を設計しましたが、稲垣さんと同じくアウトソーシングするから、家は小さくてよいということでした。そういう暮らしの変化を叶えるための家づくりが建築家にはできると思います。

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公開日:2018年01月31日