社会と住まいを考える(海外)3
韓国、ソウル──生活的な開放感が生み出すプライベートな公共性
李ヘドゥン(建築家、o.heje architecture)
生活的な開放感を持つ家
過去には家を通して「生活感」が表現されていた。ご飯をつくるために火を使うと煙突から煙が出たり、毎日井戸から水を汲んできたり、川端に行って洗濯をしたりした。ひとつの家庭の生活感が家の中でだけでなく、まちに延長されていた[fig.1]。
近代以降、家庭の生活感は建築設備の中に吸収され、ダクトがすべてのにおいと煙を処理し、井戸や川の代わりに水道が設置され、洗濯するところ、水を汲んで来るところがなくなり、生活の中で、人々が自然に出会う場所もなくなった。一家庭の生活感だけでなく、まちの生活感も建物の中に吸収された。ひとつの家の中で生活が完結するかたちで、視覚的に開放感を持つようになった[fig.2]。
しかし住宅街を見ると、本来家の中に隠すことができるものを外に出すなど、いろいろなかたちで「生活感」が見える風景がたくさんある。家の前に人々が集まっていたり、また大きな窓から生活空間が見える構造ではなくても、外に溢れ出しているものや、それを取り巻まいている建築のパーツから、人の気配や生活感が感じられる[fig.3]。そこには、そもそも私物だったものが外に溢れ出したことによって、ある程度公共性を持つようになり、それがまちに再び公共性をつくる素材になるといった可能性があると思う[fig.4]。
上記の仮説を基に、東京とソウルを散歩しながら発見したさまざまな個人の生活感を通じて、まちに公共性を再構成させたいと思い、それによって、まちに公共的な出会いを提供するような、生活的な開放感を持つ住宅を設計するプロジェクト「まちに広がる家」を進めていた。そうしたなかで、COVID-19の感染症による急速な生活様式の変化を経験しながら、我々の研究が住まいと都市の関係を新たにつくることができるのではないかと考えるようになった。
閉鎖される公共性
近代以降、まちのなかに人々が自然に出会える公共の場所が徐々になくなり、今では見慣れた公園、劇場、図書館、美術館、カフェなど「パブリック・スペース」と言われる場所が多く生まれた。当たり前のように日常と都市が両分され、その接点としてジャンル化されたパブリック・スペースを私たちは疑いなく受け入れてきた。いかに機能的にし使いやすくするか、アクセスしやすく集まりやすくするか。いかにもっと活気のある公共性を持った場所がつくれるかと悩みながら、人が集まることを大切にし、多くの人が共有できる場所をつくろうと努力してきた。
しかし、現在COVID-19のパンデミックを防ぐための都市的政策により、公共空間は部分的あるいは全体的に閉鎖され、公的な役割を失いつつある。ひいては、人が集いともに過ごすことに対するさまざまな制約を受けているのが実情である。そのため、家の外に溢れ出していた応接室や、茶室、業務空間などが自然に家の中に戻り始めた。家の役割が拡大し、都市の役割は縮小する現象が起こっていると言えるだろう。
公共性のON・OFFスイッチが生まれた社会──1/2の公共性
ソーシャルディスタンスの一環で、カフェは座席数が1/2に減った。屋外の運動する場所でも同様のことが起こっている。COVID-19以降、公共性の大きさが1/2になったのではないかと思う。すなわちそれは、空間の大きさではなく、公共性という感覚の大きさが1/2になったことを意味する。そこで私たちは、まち単位の公共性より、もっと多くの数と機会を持つ個人単位の公共性を考えたい。
韓国では、COVID-19の感染者数の動向によって、5段階(1、1.5、2、2.5、3)の「物理的距離を確保」するマニュアルに基づいた防疫政策が行われている。公共施設を中心に人が集まる施設を対象として、段階ごとに利用者数を調整するシステムである。それは、人が集まることのON・OFFを調節するスイッチのようである。調節された公共性は、都市という領域内でつくられたジャンル化された公共空間だからこそ可能だと思う。
だとすると、これからはどのようなかたちの集いが増え、どのような公共の空間を必要とされるのだろうか。家の中にどのような空間を設けるのか。まちにどのような施設を設置したりするのかではなく、個人の住まいと都市との接点で公と私の関係、社会の公共性というものを改めて考え直す必要がある。私たちがまちで見つけた素材は、その接点に置かれ、両者の間を自由に行き来している。そこで住まいからはみ出た領域がつくる公共性を、「プライベートな公共性」と名付けた。見つけられた素材を再構成し、意味付けする過程で、新しいかたちの集いに対応できる家の公的な空間、小さな公共性が起こる場をつくることができると思った。パブリック・スペースがOFFになっている現在、「プライベートな公共性」はパブリック・スペースの代案的な役割をする可能性があると思う。
リサーチ:まちに広がる家
「プライベートな公共性」──住まいと都市の間、その境界にあること
都市と住まいは、それぞれが両極に位置するのではなく、リバーシブル・ウェアのように、お互い違う性質の世界を持ちながらも、その間にひとつの枠組み(構造体)を持って共存する生態系だと言える。これは街並みの表と裏のように、どちらか一方が独立して存在することはできず、むしろお互いのために存在し合っている。私たちがまちで採集したものは、家の中でなく外から観察した、つまり第3者の観点から個人の住まいを把握した、家と都市の接点で起きている風景である。住まいがまちや社会に延長されており、誰でも見ることができる視覚的開放感を持ちながらも、誰も入れない私的な場所でもある。
「勘」から始まる共有
生活感を感じられる風景をつくっているものは、元々私的なものだが、外に出ていることで公共的な性格を持つようになり、一種の共有が始まっているのではないか。直接会う行為が起こらなくても、家具、建具、モノなどは、そこで誰かが生活している姿を想像させたり、人の気配を感じさせる役割をする。例えば洗濯機や室外機が回っていれば家の中に人がいるとわかり、植木鉢が並んでいれば植物好きの人が住んでいると想像できる。また、個人の植木鉢のおかげで道で緑地を提供することもできる。換気口からのにおいですらも生活感を感じられるモノのひとつになり得る。縁側や庇、そこに置いてあるモノたちを通じて、あたかも生活が家の外に出ているかのようで、私たちは他人の住まいの中に入っているような気がすることもある。それがどのような意図と構造で構成されているのか、どのような役割を果たしているのかを理解し、それが持つ公共的な性格が都市の公共性を生み出す素材になり得ることについて考えたい。
ソウルの生活感
ソウルでは、統計上マンションが全世帯数の約42%を占めており、その多くは小さな地域社会規模の団地になっている。基本的にマンションの構造は、家の外と中の領域が明確に分離されている。しかし団地内にはさまざまなコミュニティ施設が中間領域となっていて、それらは住民たちのための公共施設の役割を担っているとして高く評価されてきた。しかし、COVID-19により、そのコミュニティ施設もほとんどが閉鎖されている状態である。したがって住まいは、ますます孤立していく様相を見せており、個々の住まいではインテリア工事が増えているという側面もある。ソウルではこのようなマンションの団地と住宅街が混ざることなく、並列して存在している。今回のリサーチでは住宅街に調査対象を限定した。
私たちが採集したソウルの住まいの風景は、一見きちんと整理されていない無秩序なものに見えるかもしれない。しかしそれはきっとソウルだからこそ可能な、非常にラフで攻撃的なかたちなのであろう。他者に対するゆるい警戒心と親密度が伴った活動がかたちになっているような、平凡で豊かな生活ぶりを想像させる。そうした住まいの風景は、最初から計画されたものではなく、住み手によってつくられていき、時と場合に応じて求められる合理性を持つ生き生きとした場所なのである。このアノニマスで、半公共的な場所は、人が集まって住むことの原初的な事例であり、人々はどのような生活空間を必要としているのか、またはどこまで他人の接近を意識して許容しているのかといったことを考えさせる。例えば、洗濯物を干したり、屋根にのぼれることができたり、おしゃべりすることができるなど、生活のあり方を想像できると思う。
サンプリングの対象と基準
サンプリングの対象となるのは、ひとつの完結されたオブジェやひとつの単位で感じられるモノよりも、小さな要素がたくさん集まっている集合体のような形状である。そして住まいの破片が集まってひとつの家をつくっているように、都市を成している姿の一部が集まってひとつの建築になっていく。ひとつの建物だけではなく、何かの環境として建築が存在するという考え方と繋がる。今回は逆に、その破片的な姿に内包されている話と、その姿の要素を分解する手法と、その破片を集めて普遍的な仮説をつくる過程で、想像可能な仮想の生活の様子を考えていきたいのだ。
以下の8つの基準によって家を選別し、その家や住まい方がいかにして生活感を持っているのかを考える。家と道、都市との関係を観察し、そのなかで似た性格や風景を持つものに分類した。分類された家の性格について簡単な言葉で整理し、その家が持つ空間的特性を分析した。
(1)ソウルの都心に位置する家であること
(2)生活感が見えること
(3)内部と外部が繋がっていたり、半外部空間であること
(4)パブリック、プライベートな性格があいまいな空間であること
(5)モノを家の手前に出して置くこと
(6)パーツがついていること
(7)道路から生活空間が見えること
(8)周りと仲がいいこと
採集と参照を繰り返してつくられる住まい
2015年に東京藝術大学の修士課程で、今回のリサーチと同じテーマで「東京住宅研究──まちに広がる家」★1という研究を進めたことがある。住宅街で発見した風景を通じて、生活的な開放感を持つ住宅を設計するプロジェクトである。まず2015年までの20年間で建築家が設計した住宅の中で、生活感が感じられる構造や形態を持つ事例を大量に調査した。集めた事例から何かの類似性が浮かび上がり、似たもの同士で分類して、カテゴリーを設けた。そして、カテゴリーの原型になりそうな風景をまちのなかで採集し、建築家の住宅から抽出したカテゴリーとマッチングさせる作業を行った。「まちで建築の原型探し」と言えるだろう。まちの風景から建築が生まれ、その建築が再びまちの風景になる。このような当たり前の都市生態系の構造を、何か自分の建築の言葉で表現したかった。
生活的な開放感は、住まいと都市の間で起こる一種の事件でありながら、建築と都市空間との間に具体的なかたちとして存在する。私たちが採集した風景が、これからの住まいと都市の接点を、新しくつくり直すことができる素材として参照されることを期待している。同時に、そのようにつくり直された住まいも再び採集の対象となり、採集と参照の繰り返しが起こる住まいの環境がつくられる姿を考えてみたいのだ。採集と参照が積み重なるほど、住み手が自分の住まいを振り返り、そしてこれからの住まいについてより豊かに想像することができるようになり、住まいの環境の循環的な構造がつくられることを期待する。
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公開日:2021年01月27日