これからの社会、これからの住まいを考えるために

ムラ社会の先へ──世界を知るための家

浅子佳英(建築家、タカバンスタジオ)

最小限のパブリック・スペースとしてパブリック・トイレをリーサーチすることからはじまったこの企画は、第2期ではパブリック・キッチンを、そして第3期ではとうとうパブリック・スペースを扱うことになった。ただ、第4期となる今回は、あえて「パブリック」シリーズを一旦ここで終了し、「住まい」をテーマにしたいと思う。
内容としては「社会と住まいを考える」と題した国内外の多様な書き手によるレポート、住まいや社会にまつわる先駆者や実践者へのインタビュー、さらに新しい試みとして、WEBでの公開を前提としたインタビューを行いたいと考えている。また、今期からは監修者のぼく以外にも、コミッティとして須崎文代(神奈川大学)+中村健太郎(NPO法人モクチン企画)+谷繁玲央(東京大学大学院)各氏に企画に参加いただく予定で、彼らと編集部によるnoteがちょうどこれが掲載されている頃には新たに始まっているはずである。こちらもぜひ楽しみにしてほしい。

さて、本来なら、このあと住まいの可能性について書くべきところな気もするが、その前にまずコロナ禍について触れておきたい。というのもパブリック・スペースという場所の未来にとって、今回の事態は深刻だと考えているからだ。少し長くなるが、これまでパブリック・スペースを扱ってきた以上、避けては通れない話題だし、パブリック・スペースではなく住まいをテーマにすることになったことにもつながっているので、けじめをつけるためにもここに記しておきたい。

まず、コロナ渦においてなにより驚いたのが、政府の対応が遅すぎる、早くロックダウンするべきだといった意見が、通常なら政府による監視や監理を反対している人々からも発せられたことである。言うまでもないが、人々の行動、しかも外出そのものを政府が禁止するというのは、きわめて異常な事態である。だからこそ、当初政府は慎重だったという側面もあっただろう。そのような状況のなか、結果的に2020年4月7日には東京都を含む全国7都府県で緊急事態宣言が出され、「自粛を要請する」という、ほとんど語義矛盾している言葉によって人々の行動は制限されることとなった。そしてこの曖昧模糊とした言葉は、恐怖に駆られた人々に浸透し、パンドラの箱を開けてしまったように思う。その後の緊急事態宣言が解除されるまでの約1カ月半は、他県のナンバープレートをつけた車へのいやがらせにはじまり、営業をしている店舗への貼り紙、さらには感染後に移動した人々を特定して晒し上げるなど、異様な光景が静かに拡がっていった。

ともかく、蓋を開けてみれば、相互監視によって市民が自らの判断によって攻撃対象を恣意的に決定し、自らの手で彼らを粛正していくという、恐ろしい事態だった。粛正された人たちは、その行為が法に触れているかどうかに関係なく、その後自粛警察と名指されることになる人々にとって不正義だと判断されれば、裁判さえ行われることもなく罰せられていった。そして、ワイドショーとSNSがその行為を誘発してもいただろう。

そもそも、以前からインターネットのなかでは度々このようなリンチまがいの行為が行われ問題視されていた。週刊誌やワイドショーによって事件が明るみになった段階で、容疑者を特定して本名や顔を晒したり、電凸したりするといった行動は以前から行われていた。
ただ、眼を背けてはならないのは、彼らも別に特殊な人々というわけではなく、われわれの一部だという事実である。実際、彼らもただ単に悪ふざけのためにやっていたというよりも、通常では裁かれない罪を裁くため、いわば自らの正義のために行っていたという面が少なからずあるだろう。

誰もが2ちゃんねる化した世界。

もはやこのたとえは適切ではない気もするが、それはともかく、そこではさまざまな種類の正義をもった人々が、それぞれ勝手に正義という名のもとでほかの人々を粛正していく。

緊急事態宣言が解除された今、冷静になって振り返ってみると異常な光景だったように見える。しかしそれは今回急に現れたものではなく、以前からわれわれの社会の深層に存在していたにもかかわらず、覆い隠されていたものが姿を現しただけではないだろうか。要は、ムラ社会というきわめて強いつながりによって維持されてきた日本の古い社会構造が、いまだに根強く残っているということを浮かび上がらせただけではないか。繰り返すが、国は自粛を要請し、そして都道府県や市町村もまた、県をまたぐ移動の自粛を要請したりした。たしかに彼らは強制はしなかったかもしれない。しかし、要請することによって、結果的には公の機関が自粛警察と呼ばれる人々にお墨付きを与えてしまったのではないか。
いずれにせよ、外部の人を追い出し、石を投げつける行為は、もはやかつての村八分と変わらない。

人々の恐怖と正義によってもたらされたあの異様な光景は、いわば、強いつながりの弱点が露呈した瞬間だったといえる。そして、このような光景を目の当たりにした以上、これまでのように正面からパブリック・スペースについて語ることが今まで以上に難しくなってしまった。ただ、この強いつながりの弱さという部分にこそ、じつはこれからの社会を考えるうえでの大きなヒントがある。

東浩紀の『弱いつながり──検索ワードを探す旅』(幻冬舎、2016)のもとにもなっている概念に「弱い絆(ウィークタイ)」というものがある。アメリカの社会学者マーク・グラノヴェターによるこの概念は、それまで強い紐帯を扱うことを暗黙の了解にしていたコミュニティやネットワークの研究の分野で弱い紐帯の強さに着目し一躍有名になった★1。
特に転職についての分析が有名で、グラノヴェターは、アメリカのブルーカラー労働者の多くは個人的な人とのつながりから新しい仕事を見つけており、しかもその大半は普段から頻繁に合っている強いつながりを持った人ではなく、ときどき、もしくはめったに合わない知人から紹介されていたということを明らかにした。いわば弱いつながりによって転職を実現させていたということを発見したのだ。

通常予測される結果とは逆に思えるが、よく考えてみれば当然の結果である。なぜなら、強いつながりを持った人の知人は自分も知っている人である可能性が高く、弱いつながりしかない人は、自分とは違う人とつながっている可能性が高いからである。

また、グラノヴェターのこの概念は「弱い紐帯の強さ」ばかりに注目が集まるが、じつは「強い紐帯の弱さ」にも触れている。それは、強い紐帯は閉じた集団をつくりがちで、外とのつながりをもてなくなるというものだ。
今回のような状況を考える際、これはきわめて重要である。われわれは、つい現代では良質な人とのつながりが失われつつあり、それこそが現代の問題なのだと捉える傾向がある。しかしながら、グラノヴェターが明らかにしたように、強い紐帯は断片化をもたらす。しばしばたとえられるように、現代では島宇宙化した複数の世界が閉じて浮かんでいる状態だといえる。それぞれの島宇宙のなかでは自らの世界こそが重要なのだと思っているかもしれないが、グラノヴェターの概念を得た私たちはその発想そのものが閉じているということを知っている。そして分割された島宇宙間をつなぐ役割を担うのは、弱い紐帯なのである。

あらゆる集団は強いつながりだけになってしまうと閉じてしまう。外とのつながりをもてないのだからそれは構造上の帰結である。弱いつながりをもった集団だけが、外の世界と、ひいては社会全体とつながることができる。

ムラ社会の先にあるもの。われわれの社会は深層のところで多分いまだムラ社会のままだ。それが今回明らかになってしまった。そしてムラ社会はじつはインターネットと親和性が高い。それもまた見えてしまった。だからこそ、ノイズに溢れたリアルな場所を、強いコミュティから一歩引いて弱いつながりの強さをもう一度見つめ直す必要がある。

とはいえ、コロナ禍によって見えた希望がまったくなかったわけではない。通学や通勤時間がなくなり、満員電車から人が消え、会議はリモートになり、一人ひとりの自由な時間は長くなった。なにより誰もが家で過ごすことになった。
こちらも忘れがちだが、そもそも現代の家族は偶然によって集まったバラバラの個人の集団である。かつてのように家同士の婚姻が失われつつある以上、夫婦はそもそもそれぞれ別の存在だったはずで、子どもと親も血はつながっているかもしれないが、互いに選ぶことはできない。

先程取り上げた『弱いつながり』の最後に、東浩紀は「偶然でやってきたたったひとりの『この娘』を愛すること。その『弱さ』こそが強い絆よりも強いものなのだ」と記している。

偶然によって集まった家族。その強いつながりの弱さを、そして弱いつながりの強さを知ること。
それこそが、島宇宙化した世界の中で、より大きな外の世界を知ることにつながると信じ、今回はあえて住まいという偶然と必然が入り交じったその小さな場所からはじめようと思う。



★1──マーク・S・グラノヴェター「弱い紐帯の強さ」(野沢慎司編・監訳『リーディングス ネットワーク論──家族・コミュニティ・社会関係資本』、勁草書房、2006)

浅子佳英(あさこ・よしひで)

1972年生まれ。建築家、デザイナー。2010年東浩紀とともにコンテクスチュアズ設立、2012年退社。作品=《gray》(2015)、「八戸市新美術館設計案」(共同設計=西澤徹夫)ほか。共著=『TOKYOインテリアツアー』(LIXIL出版、2016)、『B面がA面にかわるとき[増補版]』(鹿島出版会、2016)ほか。

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公開日:2020年06月30日