インタビュー 3
シェアハウスのその後(中篇)
浅子佳英(建築家、プリントアンドビルド)
今回はシェアハウス取材の中篇として、成瀬・猪熊建築設計事務所が設計した《LT城西》(2013)の運営者である奥村秀喜氏のインタビューを掲載する。奥村氏は前篇で紹介した《SHAREyaraicho》(篠原聡子/空間研究所+内村綾乃/A studio、2012)よりも前の2011年からシェアハウスをつくっており、その視点はきわめてユニークで、建築に携わる人だけでなく、得るものがあるはずです。
名古屋初のシェアハウス
浅子佳英
シェアハウスを始めた時期ときっかけがあれば教えてください。
奥村秀喜
1棟目は2011年で、名古屋では最初のシェアハウスです。東京ではパラパラと出始めた頃かな。ぼくは不動産を持っていたんですが、倉庫として使っていた空いた物件があったので、それをリノベーションしようと。
浅子
シェアハウスという概念自体はどこで知ったのでしょうか?
奥村
ちょうどシェアハウスが出始めた頃だったので、東京で見学会をやっていたんですよ。その見学会に何件も行きました。1年半ぐらいかけて見に行くうちに、遊休不動産ならなんとか生き返らせるかなと思ったんです。
浅子
では、もともと不動産屋さんを生業にしていて、遊休不動産をどう活用しようかというのが、シェアハウスを始めたきっかけということでしょうか?
奥村
そういう部分もありますが、ぼくはもともとネット通販をやっている人間なんですよ。それも釣具の着る服だけを売っていた。
浅子
いやいや、シェアハウスと釣具の服ではまったく違うじゃないですか。
奥村
まったく一緒です。どちらもインターネットで売る商品なので。
浅子
ええ!? そういう見方をしたことはなかったです。
奥村
不動産仲介もまったく介入していません。
浅子
1回もですか?
奥村
もちろんです。コマーシャルをしているような、いろいろ有名なところがありますよね。けど、ぼくたちはそんなところに頼むわけにはいかないのです。
浅子
仲介手数料が必要だからですか?
奥村
いやいや、入居者を選ぶからです。
浅子
なるほど!
奥村
見学に来た時から、「君はシェアハウスは合わないから」って言いますからね(笑)。入居者は選ばないと、ぐちゃぐちゃになってしまいますから。
浅子
たしかに、シェアハウスは見ず知らずの人たちと一緒に住んでいくわけだから、ルールを守り、ある程度あうんの呼吸で通じる人たちじゃないと難しいですよね。
うーん、とはいえですよ、どうも話がよくできすぎているので、もうちょっと詳しく聞きたいんですが(笑)、やはり釣具の服とシェアハウスは全然違うと思うんです。
ネット通販とシェアハウス
奥村
先程も言ったように、ぼくは不動産から来たんじゃなくて、ネット通販の延長で、シェアハウスがインターネットで売れる商品だなと思ったんですよ。
もともとぼくは、釣具でもみんなが知っているジャンルのものはやってないんです。フライフィッシングというジャンルのなかの着るものだけという、ものすごく間口の狭い、1万人にひとりやるかどうかぐらいの商品を扱っています。
普通は釣りと言えば、餌釣りです。フライフィッシングなんて、イギリスの貴族ぐらいしかやりません。だから間口を狭い所を深堀りするというのは、なんの抵抗もないんです。
名古屋は200万人都市なので、1万人にひとりぐらいは面白がるやつはいるだろうなと。それに、リノベーションなら新築よりは安くできそうだし、ジャンルとしても新しいから、まだまだいけそうだなという気はしたんですよね。
浅子
何度も見学に行かれたそうですが、東京のほうにもインターネットで販売することに注目したシェアハウスというのはあったのでしょうか?
奥村
東京のほうはよくわからないですね。というのも、物件の見学はできるんだけど、中身のほうになると、「冷蔵庫は触っちゃ駄目、写真は撮らないで」といった調子で見せてくれなかったんですよ。運営のことを聞いても「企業秘密だから」の一点張りでそこは教えてもらえませんでした。それでも1年半ぐらいかけて、10件ぐらいは見たのかな。
浅子
なるほど、そうやってリサーチをしたうえで始めたと。ただ、1棟目からネットでの募集だけだと、入居者を集めるのは大変だったのではないですか?
奥村
問題ありません。そもそもぼくはネットだけで飯を食ってるんで。
浅子
けど、1軒目ですよね? すでに何件もやった後ならまだわかりますよ。最初はホームページを見てもらうにも、なんのきっかけもないと見てもらえないじゃないですか。宣伝に工夫があったのでしょうか?
奥村
いいえ。ホームページをひとつペラっとつくっただけ。
浅子
それだけだとなかなか見てもらえないでしょう?
奥村
いえいえ、1棟目はファミリータイプの戸建てのリノベーションなので、4室つくるのがやっとだったんですが、入居希望者はすぐに25、26人来ましたからね。選びたい放題です。
浅子
でも、ウェブサイトをつくっただけですよね? ということは、みなさん検索でくる感じなんですか。
奥村
いやいやウェブサイトはやはり発信力がありますから。シェアハウスで検索してるんでしょうね。 2日に分けて面談しましたが、ほぼほぼ、みんな断ることになりました。だから本当に質のいい、高学歴、高収入の人を好き放題選べました。
浅子
年齢や性別や職業などの入居者の条件は決めていたのでしょうか?
奥村
まったくありません。ただ、学生は駄目ということだけは決めていました。
浅子
それはなぜでしょう? シェアハウスは学生が一番パイとしては大きいと思うんですが。
奥村
そういうふうには考えなかったですね。
というのも、ぼくは大学生の時に学生寮に住んでいたので、学生は羽目を外すと半端ないということを自分の体験でわかっていたからです。
それに、1棟目は大学のすぐ近くなんですよ。周りはそれこそ学生向けのアパートやマンションだらけなんで、そこにおんなじものをつくってもしょうがない。
逆にいうと、学園都市のなかにある静かな住宅街なんです。それこそ、隠れ和食とか隠れフレンチがあるようなひっそりとした住宅街だったので、その強みを活かそうと。
浅子
うーん、なるほど。それにしても奥村さんは、ものの見方が独創的ですね。成瀬さんから面白い人だということは聞いていましたが、ここまでとは思っていませんでした。
1軒目は4人ということでしたが、男女比や年齢構成はどうなりましたか?
奥村
1軒目は、面接した結果、女の子のほうが面白かったので、全員女の子になったんです。それこそ、アクセサリーをつくって生活している人とか。面白い人が入居してくれました。
浅子
んん? しかしですよ。高学歴、高収入が選び放題のなか、フリーランスでアクセサリーをつくっている人よりは、サラリーマンのほうが安定感があるじゃないですか。
奥村
そんなことより、面白いことをやりそうな人のほうがこちらもやっていて面白いですから。
年齢上限はないんで、年齢はバラバラですね。平均年齢は30歳前後です。《LT城西》には50過ぎの人もいますよ。彼は仕事柄なかなか家に帰れないからセカンドハウスとして使っています。自宅は持っていて家族もいるんですが、タクシーで片道5,000円ぐらいかかるんで、それよりずっと安いって言ってます。
浅子
1軒目は大成功したわけですが、2軒目以降はどういう経緯で始めることになったのでしょうか?
奥村
2軒目は、すぐ近くに遊休不動産をもっている家主がいて、やってくれないかと言われたのでそれを借り上げて2軒目をやることになりました、3軒目も同じく、家主から空き室だらけでなんとかしてくれと頼まれてやることになったんです。
《LT城西》
奥村
ここ《LT城西》は4軒目のシェアハウスです。この場所にはもともと年老いたご夫婦が住んでいたんですが、関東にいる息子の家のすぐそばに引っ越して、空き地になることが決まっていました。そこで、「あんた面白いことをやっているから、なんとかしれくれ」と言われて始めることになりました。
浅子
失礼な質問になりますが、そんなに何件も依頼があるということは、奥村さんは不動産界隈では有名な方なんでしょうか?
奥村
いやいや、依頼してくれたのは、大家塾という家主仲間の勉強会に入っていたのでそこで知り合った人たちなんです。メンバーは300人ぐらい。家主、もしくは家主になることを希望している人たちで、現役の家主だと70代ぐらいの人も多いですから、年齢も20代前半から70代まで。勉強会なので、持ち回りで講師をやったりしていて、ぼくも何度か話しています。
1棟目、2棟目の頃はまだシェアハウス自体が珍しかったので、大家塾のメンバーを集めて現地で見学会を開き、そこで考え方を説明し、どれぐらい費用がかかって、こういうふうに回収するつもりだという話をしていました。だから、依頼があったのでしょう。
浅子
なるほど。とはいえ、また話が戻って申し訳ないんですが、フライフィッシングの服はあくまで単品売りですが、シェアハウスはそれこそ回収までに何年もかかるようなビジネスですよね? スキームがまったく違うビジネスですが、そこはストレスにならなかったんですか?
奥村
いや、ならなかったですね。フライフィッシングをやるような人たちって、1回に5万円とか7万円とか買うことが別に珍しくないんです。そのような人は、年間に30万円以上使っている。そう考えると、シェアハウスも5万円で12カ月なので年間60万円。そこそこ買い物をする人に食いついてもらうようなページをつくればいいんです。全員に見てもらう必要はありません。
そもそも、全員に見てもらうにようにしてしまうと、つまらないものになりますから。
浅子
かなりわかってきました。要は面白いことをしたいというのが奥村さんの根底にはあるんですね。不動産でさえ、安定収入を得るということではなくて。
奥村
入居者もワクワクしてくれたほうが面白いじゃないですか。だから、安定収入という部分に判断基準はないんですよ。あくまで、面白いかどうかというのが優先ですね。ぼくの思考回路からすると。
シェアハウスの設計方法
浅子
一応建物の話もお聞きしたいのですが、新築とリノベーションの違いはありますか?
奥村
新築だと共有部分をたっぷりとれるというのはありますね。リノベーションだとどうしても外側は決まってしまいますから。それに、建築家の人も腕を奮って好きなようにできるんで、楽しんでやってもらえるんじゃないですかね。
浅子
たしかにここは階段などを見ても、建築家が好きなように楽しんでデザインしている感じがありますね(笑)。ここは成瀬・猪熊さんと打ち合わせしながら進めたのだと思いますが、逆に1軒目はどうやって進めたのでしょう?
奥村
先程も言ったように、1軒目の頃はまだシェアハウスという建築に携わった人がひとりもいないんですよ。だから、すべてについて細かく言わないとおかしなことになってしまうんです。それは洗面所のタオル掛けひとつにしたってそうなんですよ。ここでも放っておくと「5個ぐらいいりますよね?」という話になりました。けど、タオル掛けは2つあれば十分です。タオルの収納はたくさんいりますよ。けど、タオル掛け自体はそんなに必要ない。
ともかく、すべてがその調子なんです。プランもトイレが個室の横にあったりとか。マンションの自室じゃないんだから、トイレと個室はがんと離したい。もしくは1カ所にまとめたい。そうじゃないと個室にいる人はうるさくてかなわないでしょう?
ちなみに《LT城西》の後に建てた、《LT城西2》(諸江一紀建築設計事務所+鈴木崇真建築設計事務所、2017)のほうは、4人の建築家に参加してもらい、コンペで選んだのですが、提案してもらったその図面どおりにはならないことは最初からわかっているので、たたき台として手を加えやすい案を選びました。
浅子
《LT城西》のほうもコンペだったのでしょうか?
奥村
いや、こちらははじめから成瀬・猪熊さんにお願いしました。というのも、まだやっている人がほとんどいなかった時期に、彼らはシェアハウスを手掛けたことがあったからです。それに、家主の息子さんのほうが関東に住んでいるので、彼らが東京で打ち合わせができるというのもあったと思います。ただ成瀬・猪熊も家主もぼくの手掛けたこれまでのシェアハウスを3棟とも見ています。2棟目からは工事中から見にきてるので、ある程度勝手はわかるだろうと。
浅子
とはいえ、タオルハンガーやトイレのような部分は奥村さんがチェックしていくわけですね。
奥村
そういう部分はスコーンと抜けているんでしょうね。
浅子
ぼくも偉そうに言っていますが、正直自信はありません(笑)。奥村さん自身は、その辺の知識をどのようにして身につけていったのでしょうか?
奥村
1軒目ができた当初は、ほぼ毎日のように、見に行っていましたし、それこそ《LT城西》には、最初は実際に住んでいました。
浅子
では、住人の人にヒアリングするなかで知識を身につけたということでしょうか?
奥村
いや、入居者は、与えられた空間にスポッとはまるだけで、そんな使い勝手がどうこうとか言いません。
日常品なら、どういうやつが使いやすいとは言えても、建物に関しては、こういうつくりのほうがいいです、なんていうやつはいないんですよ(笑)。
それこそ、さまざまな家主がいろんなことをやっていますよね。勝手に手を加えていいですよという賃貸や、スケルトンにして、好きにしてやっていいよという物件はありますが、やれる人はいないんですよ。
せいぜいコルクボードを用意しておいて、ここは好きにしていいよと言えばやるけれど、全部自由にしてもいいよと言われても、「わたしも仕事があるし、大工さんみたいなことはできないし……」というのが現実です。だから、こちらのほうでこれで十分だというものをつくり込んでおかないと駄目ですね。
浅子
では、いくつものシェアハウスを運営し、観察してきたなかで、発見したことや、ここは変えたほうがよかったと思う部分はありますか?
奥村
《LT城西》は浴槽がないんです。当初からぼくは「浴槽はつけなきゃ駄目だよ」と言ったんです。ここに住むのは日本人だから、月火水木はシャワーでもいいけれど、土日ぐらいは風呂に浸かりたいと考える。だから、ほかのスペースを削ってでもひとつは風呂が必要だよと。ただ、打ち合わせをしたのが、おじいちゃんじゃなく、息子のほうだったんです。彼は、アメリカでの生活も経験があり、自分もシャワーしか使わない人だったので、ゴリ推ししたけれど結局浴槽はつけなかった。
ただ、10人面接に来たら、4人は「風呂がないんですね」とはっきり言います。
だから、《LT城西2》をつくる時には風呂をつくりました。見てみますか?
浅子
それはぜひ。
(《LT城西》の裏のドアから庭を抜け《LT城西2》のなかに裏側から入る)
奥村
ほら、ここにお風呂があるんですよ。
浅子
おお!そういうことか! 《LT城西2》のお風呂をつくったのではなく、《LT城西》用のお風呂を《LT城西2》のなかにつくったんですね。これは面白い。ちゃんと窓もありますね。
奥村
そうです。逆にこのお風呂には向こうの人は入れません。みんな、洗面器を持っていくんですよ。雨の日は傘を差さないといけないので安藤忠雄さんの世界です(笑)。
だから割とうけるんです。それに、こちらからすると、面白がるやつが入ってくるんでちょうどいいんですよ。
浅子
住人の方々はどれぐらいの期間で入れ替わっていくものですか?
奥村
うちは長いですよ。1棟目の初期メンバーがまだいますからね。10年以上になります。2棟目も先日出ていきましたが9年近くいました。
浅子
それは長いですね。これまで取材した2つのシェアハウスはだいたい1年程度で出ていく人が多いということでした。ただ、そこまで長くなると、先住民と新しい入居者の間で確執が起きたりしませんか? 古い住人が独自のルールをつくって揉めたりとか。
奥村
いや、そういうことはまったくないですね。ぼく自身がその雰囲気に馴染む人を選んでますから。
浅子
なるほどなあ、たしかにそこはとても大きいですね。あと、住人同士のコミュニケーションを円滑にするために、イベントなどを主催したりなどは?
奥村
最初の頃はこちらからいろいろと仕掛けたりしましたが、3軒目以降はほとんどなにもしていません。ただ、ここの外構をやってくれた庭師の人がいるんですが、その人が主催する春の野菜ナイト、秋の野菜ナイトというイベントを年に2回やっています。あとは住人同士が勝手にやってますね。それも誰かリーダーがいるというよりは、この指とまれみたいな感じで数人で言い始めたものが友人を誘ううちに十数人の規模になるということのようです。
浅子
今後どういうシェアハウスをやりたいですか?
奥村
うーん、シェアハウスもやりだしたら結局、山小屋の番人みたいな雰囲気になってくるんですよ。ここの延長線上は山小屋の番人かと行き着く先がなんとなく見えてきちゃったんですね。
見えてしまったものは面白くないので、次に何かやるとしたらまったく違うものをやるでしょうね。
浅子
具体的になにかありますか?
奥村
今は具体的ななにかが面白いという時代ではないと思うんですよ。そうではなく、プラットフォームとしての土台をつくることのほうが面白いし注目される。普通ならマッチングしないような、いろんな業種をくっつけてベースをつくったやつが面白がられている。しかも、それを誰もができるような時代なんです。
基本的には、面白い切り口を見つけたやつが、それを自分自身で面白がってやれば絶対成功するんです。
ともかく、やっていることは全部ネット絡みなんですよね。ネットに情報を載せて、うまく面白がってやっていると結構ついてくる人がいる。だからなにか面白いものを見つけたらまた何かはじめるかもしれませんが、それはシェアハウスの延長線上にはないでしょうね。
浅子
山小屋の番人が見えてしまいましたからね(笑)。
ところで、《LT城西》の後、成瀬・猪熊はシェアという概念を建築や社会の重要なコンセプトとして、シェアハウスだけではなく、シェアオフィスなども手掛けていくことになります。社会的にもシェアという概念が、これまでの所有に変わる重要な概念としてもてはやされることになしました。奥村さんからはそういう話が出ることがまったくないですが、そのあたりについてはどうお考えですが?
奥村
全然興味ないですね、その話は(笑)。
今回はシェアハウス中編として、成瀬・猪熊建築設計事務所が設計した《LT城西》の運営者である奥村秀喜氏のインタビューを掲載した。
シェアハウスというと、どこか仲良くみんなで住むというイメージがあるが、《LT城西》は学生がいないということもあって、もっと大人の雰囲気のある場所だった。それは、ルールを徹底するなかでの自由というイメージに近い。
また、奥村氏のドライに社会を見つめ淡々と話す一方で、面白いことがつねに優先されているという部分からは、冷静ななかに社会をより面白くしようという部分も見えてくる。とくに、「入居者もワクワクしてくれたほうが面白いじゃないですか」という発言からは、自分だけが面白ければいいというわけではなく、それを周囲に拡げようとしていることが現れているだろう。この辺りは、大きなヒントがあるように思う。そしてそれは、最後のプラットフォームの話にも繋がっている。「面白い切り口を見つけたやつが、それを自分自身で面白がってやれば絶対成功するんです」というのは、現在、どのジャンルでも重要な視点だろう。
ところで、じつは前回の前篇で紹介した篠原聡子/空間研究所+内村綾乃/A studioによる《SHAREyaraicho》(篠原聡子/空間研究所+内村綾乃/A studio、2012)のあと、先に常山未央/mnmによる《不動前ハウス》(2014)に取材を行っている。ただ、《不動前ハウス》のオーナーは、都心部のシェアハウスに飽き足らず、軽井沢の古民家を改修し、2拠点生活を進めていた。しかも、軽井沢では常山未央さんと能作文徳さんが協同でその古民家のリノベーションを設計しているとのことで、ぜひ軽井沢のほうに取材に行きましょうということで盛り上がっていた。ただその後COVID-19の流行などにより、いまだ取材に行くことができずにいる。そこで今回は中篇ということで《LT城西》のみを取り上げることになった。取材が終わり次第、後篇として《不動前ハウス》は取り上げるつもりでいるので、楽しみに待っていてほしい。
このコラムの関連キーワード
公開日:2020年12月23日