社会と住まいを考える(国内)30

プロジェクトをつくり、まちを耕す

勝亦優祐(建築家、勝亦丸山建築計画)

はじめに

沖メイ 「レスタウロ」

路上のダンボールの上で目覚める、ビルの隙間でハンバーガーを食べる。その状況を3Dスキャンを行いカメラで撮影する。都市空間で、ボケるような感覚で捏造したリアルを採取し、丁寧につなげミュージックビデオをつくる。この楽曲作品は、日本橋の問屋街で起きた事実/捏造された現実をアーカイブする場所であるWebメディア「さんかく問屋街アップロード」のコンセプトでもある。

静岡と東京で建築する

私は静岡県の東部に位置する富士市吉原に事務所を置きながら、丸山裕貴とともに勝亦丸山建築計画として活動している。丸山は東京都内に住まい、日本橋馬喰町のビル、《sango》の東京オフィスで働き、私は毎月1週間ほど東京に滞在し2つのエリアを行き来するといった生活だ。

私たちの活動の原点は富士の吉原商店街という場所で2013年の立体駐車場で起こした出来事が発端だ。実績のまったくない時期に、自分で「建築のようなもの」を実現したい一心で社会課題へアプローチしていく一時的なイベント「商店街占拠」を立ち上げた。それをきっかけに連鎖的に起きていくプロジェクトのプロセスは、従来型のシステム化された施主、建築家、施工者、ユーザーの関係性を再構築することで、ユーザーニーズの期待できない衰退傾向のエリアや、市場においても新たな場所や拠点を生み出す戦略として培われたと思う。それらの経験は私たちの活動の軸になっている。

吉原の一連の活動については2020年にWebマガジン『コロカル』の連載で書かせていただいたので、今回はその続きである日本橋馬喰横山での活動について書いてみようと思う。

日本一の問屋街、日本橋馬喰横山

問屋街の風景
撮影=Daisuke Murakami

馬喰町駅、馬喰横山駅、東日本橋駅が取り囲む、約6.12ha(東京ドームの1.3倍程)の三角形をしたエリアには、江戸時代から商業地として発展し、現在では、ファッション、服飾雑貨、インテリア、生活雑貨などを扱う卸売問屋がひしめき合っている。
ファッションや雑貨と聞いて頭に浮かぶのは原宿や表参道だが、なんだかそのような様相ではない。まちには運送会社の拠点が複数あり、台車に大きなダンボールを載せてアスファルトの上をガラガラと忙しそうに走り回る音がそこかしこで聞こえている。朝は店先に荷物の詰まったダンボールが高く積まれ、夕方には折りたたまれたダンボールが回収を待つ。このまちのお客様は小売店のバイヤーなのだ。多くの人が目的をもって日々出入りし、そこで問屋を営む店主たちはドーンと構える下町の旦那衆という感じでかっこいい。私はこの日々劇場のような雰囲気をなんだかかわいいと思っていて、このエリアに「さんかく問屋街」とあだ名をつけて呼び始めたのだった。

さんかく問屋街は課題を抱えている。流通の変化による問屋業全体の衰退と、投資が集中する立地であることによる乱開発だった。問屋密集地だったエリアが少しずつ歯抜けになって、抜けたらすぐにマンションやホテルに建て替わり、周辺の敷地を巻き込み高層化していく。

関東大震災の帝都復興事業により道路の整備が進められ現在の三角形の街区が形成された
出典=帝都復興総括図

さんかく問屋街には510の土地が密集し、建物のグランドレベルの用途の47%が問屋を含む店舗である。特徴的なのは平均143.72m²という敷地の小ささだ(2020年4月時点、弊社調べ)。間口に対して税がかけられていた江戸時代の敷地割が、そのまま近代で経済成長をして商材を変えながら問屋街として残ってきた。その小さな敷地の中には、地価が高いエリアというのもあり、問屋の売り場や事務所、倉庫のために最大限上上に伸びる力が働き続けてきた。間口が小さく奥に長い、さらに最大限の高層化を目指した問屋建築は縦導線が1階の売り場の奥に設けられる傾向にあったため、用途変更をして各階をテナント化するのが難しい。そのような縦動線が分離していない建物はエリア内の建物の67%にのぼる。それに対しリノベーションのプロトタイプをつくろうと実施したプロジェクトが《sango》だ。

《sango》外観
撮影=千葉正人

もともと《sango》は舞台衣装関連の問屋で、鉄鋼造7階建て。建物上部は違法に増築されており、違法増築部分とエレベーターの撤去、耐震補強を行い適法化を行った。さらに建物は弊社で10年間借り上げ、その賃料で土地建物所有者であるUR都市機構は工事費を回収するという計画だ。現在は1階はシェアリングコーヒーショップ、シーシャバー、2〜4階は生活機能共有型のSOHOとなっている。

《sango》4階の弊社事務所の様子
撮影=筆者

エリアを耕す「デザイン・オペレーション」

設計を大きな全体を構築するための技術と捉えると、社会インフラとして建築ストックが整備され終わった現在では、設計を学んだ私たちができることは何なのだろうか。敷地を飛び越えてエリアという大きな全体をデザインしていくことを仕事にできないかと考えるが、どうしても意匠設計の技術だけでは太刀打ちができない。都市を構成する本来あるべき関係性へ調整するスタンスで、既存ストックを使い、少しだけ新しくつくり、必要なときは壊すなどハードも調整していく。どう場が運営され、変容さていくのかをイメージしながら、設計、実行する技術をつくりたいと思う。私たちは設計(デザイン)と運営(オペレーション)を実践してみることで、設計を考える。

吉原の取り組みでは、車での移動がメインの交通手段になり、歩きながら人々がすれ違うウォーカブルなエリアが衰退したことを課題とし、シャッター商店街のように空洞化したエリアを再生させることで課題にアプローチした。
日本橋においてはエリアの産業が衰退することで、資本の流入が起こり、コンテクストが失われることを課題とし、小型の敷地単位を継承し、周辺との関係性をつなげていくエリア運営が行われている。
2つに共通することは、エリアの衰退と新しいプレイヤーやコンテンツの誘致によるエリアの再定義の必要性があることだと考える。そしてそれらを運営していくためには設計と運営という役割を担う建築家像が必要である。

デザイン・オペレーションの思考では5つのキーワードを設定している。

1. 建設費、ライフサイクルコストを積極的に下げる態度
2. 未完の空間美学
3. 更新を前提とする空間
4. だれかの資源になるかもしれない情報の収集と発信
5. プロジェクトをネットワークさせる

インフラが整い、ほとんどのものや場所にオーナーシップがある現代においては、周辺の人からの認知と対話によってプロジェクトをネットワークさせることで全体を整えていく。
冒頭で触れた、さんかく問屋街アップロードではローカルメディアの運営では、インタビューという方法で能動的に関係性を構築し事実として相手を知り伝えること、アーティストやリサーチャーと都市空間で起こす一時的なフィクションを織り交ぜることで、都市を耕すきっかけをつくっている。



参考
★──勝亦丸山建築計画
★──さんかく問屋街アップロード
★──《sango》
★──Good Design Award 2022





勝亦優祐(かつまた・ゆうすけ)

1987年富士市生まれ。2012年工学院大学大学院修了。2012年より日建設計に勤務、2013年に富士市にUターンし、株式会社勝亦丸山建築計画設立。静岡県富士市、東京都北区を拠点に建築、インテリア、プロダクトのデザイン、運営、都市リサーチ、地域資源を活かした事業投資等を行う。

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公開日:2023年02月22日