社会と住まいを考える(国内)23
都市の生態系を耕す
石村大輔(建築家、石村大輔+根市拓)
日々の生活のなかで私たちは建築に対しどこまで選択肢があるのだろうか?
私がかつて住んでいたマンションの一室は石膏ボードで仕上げられ、釘を打つことさえも許されず、大学で建築を学んでいたときに教えられていたデザインからはほど遠く、学んでいる建築と生活のギャップに対し危機感を覚えていた。可能な限りDIYで家具をつくるのだが「釘を打つことができない」、こんなにも些細なことが、住む人に対し建築の選択肢を減らしていくことに驚きと憤りを感じていた。
街に開く
私は学生時代からそして今現在も足立区に住んでいる。足立区を選んだのも大学から近く家賃が安かったというぐらいで、とくに愛着があったわけではない。
独立を機に開設した事務所も足立区で、荒川を渡った先にある元御履物屋の空き家だった。設計パートナーの根市拓とともに修繕しながら事務所兼自宅として暮らしていたが、このときもやはり、場所の魅力で決めたわけではなく、家賃の安さと自由にDIYができたことにある。釘を自由に打てるようになり、つくることに対してはある程度、自由な選択肢を持てるようになった。
元御履物屋ということもあり、前面道路に対しガラス張りのファサードだった建物は私たちにつくることとは別の選択肢を与えてくれた。その選択肢が「街に開く」である。私の学生時代によく耳にした言葉で、今でもたまに聞く言葉である。一見、耳当たりの良い言葉だが、街に開いたことのない私は本当の意味を知らないまま使ってもいいのかと疑問を抱いていた。「街に開く」ことが選択できるのであればと、開かれた状態で日々生活をすることにしてみた。どのような状態が「街に開く」かはそれぞれの設計者のスタンスによるが、当時の私は大きく分けて2つの状態が挙げられると考えていた。
私たちの事務所は、ガラス貼りであったことと、ガラス貼りのスペースを事務所として使っていたことから、1は該当し、2に対しては半分ぐらい該当するといった感じであった。ガラス貼りの事務所で、ご飯を食べ、仕事をし、友達と遊ぶといった具合に生活をするようになると、近所に住んでいるアーティストやクリエイターが訪ねてくるようになった。場所を通じて仕事の依頼を受けるようになるのだが、仕事場と居住生活の境界を曖昧にしすぎたせいか、つねに人がいる状態に私たちは疲弊し「街に開く」ことを諦めシャッターをおろして生活をしていた時期もあったりと、「街に開く」ことの難しさを知るのであった。
しかし、シャッターを降ろしたまま生活をするわけにもいかないので、再び街に開いた状態で生活をしていた。そんななか、急に現れたのが私たちが今現在運営している、《Senju Motomachi Souko》(以下《SS》)のクライアントであるLighting Roots Factory(以下LRF)の社長であった。LRFは電気工事をメインに、アートワークや内装工事を行っている。
足立区には建築に関わる職人が数多く存在することは知っていた。事務所開設当時、現場で職人に事務所を足立区で開設したことを話すと、皆なぜか喜んでくれた。不思議に思っていると、現場の大体の職人は足立区で営んでいる職人だったことがわかった。
LRFの社長はたまたま通勤方法を車から自転車に変えたらしく、その通勤の途中で私たちの事務所を見つけたとのことである。社長は、若者がこの街(私たちの事務所があった場所は都内にもかかわらず過疎化が進みシャッター商店街となっている)でガラス貼りの建物を構えて何かをしようとしていることに驚き、入ってきたとのことであった。事務所を案内すると、仕事を持ってくるからと言って、その数カ月後に社長は本当に仕事を持ってきてくれたのである。それが《SS》の改修工事である。
観察しながら選択肢を探し、つくること
LRFは自分たちの事務所とは別に、実寸で照明のモックアップを製作する場所を探していた。たまたま近所に大きな倉庫が空いていたのでその場を借り、修繕をしながらアートワークやモックアップの製作場所として使っていた。私たちに依頼がきたのは、LRFが《SS》を借りてから2カ月程経った後である。社長からは具体的な要望はなく、「プログラムや運営方法について考えてほしい。つねにフレキシブルな状態、つまりは余白がある状態を保った計画にしてほしい」といったものであった。
この依頼内容に私たちは面食らった。一般的な建築の進め方は、施主からの具体的な要望に対し設計者がデザインし施工者と一緒に竣工に向かって進んでいくことが多いが、この依頼内容を考えるとこれまでと同じ進め方では上手くいかないと直感的に感じた。
計画を立てるうえで用途は重要である。住宅なら、リビング、キッチン、寝室といった具合に部屋をどのように配置するか考え計画を立てることが一般的だが、《SS》は用途が決まっていないので必要な機能がわからない。すでに使われていたその場所は、発生する必要な機能的な要求に対しLRFの職人が施工している風景が日常的に繰り返されていた。自分たちで考え施工することができるのであれば、設計者は不要ではないのかと思ったりもしたが、彼らの行動を観察し、計画を立てることにした。まず初めに提案したのは、既存の鉄骨架台を改造し位置を移動させることである。照明のモックアップを製作する際に邪魔な存在になっていたが、モノを置いたり収納するには便利な存在である。なにより捨てるのは勿体ないと思っていたので、LRFの知り合いの鉄骨屋に協力いただき改造し移動した。
工事が進んでいく段階で2階も借りることが決まり、1階の工事を進めながら2階の計画を立てることになった。とはいえ、すぐに場所としてLRFが使いたいということもあり、2階の計画が決まる前に解体工事が始まった。解体工事が終わるとLRFは照明のモックアップをつくりはじめた。やはりここでも彼らの行動を観察する。そこでわかったのは、解体したことによって電源の確保が難しくなっていることと、もともと無断熱であったので環境的に居心地が悪いことであった。LRFの職人が身近にいたこともあり、工務店に工事をお願いするのではなく、自分たちの手で施工できる方法を模索するようになった。これらの条件から、電気工事でよく使う電気資材のレースウェイを天井仕上げとし、まずは天井の電気配線を自由にすることを提案した。レースウェイの上には隙間をつくり断熱材を置けるようにした。素材も塗装をする必要のないモノを選んでいるので、この施工方法であれば、養生をする必要もないし、職人が手の空いたときに自由に断熱材の施工ができるのである。
いつの間にか私たちも《SS》に事務所を移転することになり、より職人との距離が近くなる。《SS》の事務所にはさまざまな工具が置いてある。このような環境下で働いていることもあり、職人に工具の使い方を教えてもらいながら、自分たちの手でいくつか工事の途中で《SS》の什器をつくったりもした。通常、設計者は施工者に指示を与える存在ではあるが、ここでは立場が逆転することも多く、設計者、施工者の間にヒエラルキーは存在しない。
工事が進むにつれて、LRFでできない工事も発生するようになる。インターネットで見つけたさまざまな業者に相談したが、すべて断られた。そこで私たちは現場で知り合った近所で営んでいる職人に施工していただけないかとお願いすることにした。事務所で働いている時代から仲良くしていただいた職人さんということもあり快く引き受けてもらった。ほかの業者に断られたことを話すと、業者の多くは知り合いもしくは付き合いのあるところしかやりたがらないということを教えてもらった。
このことをきっかけに足立区で建築をつくることの可能性を感じ、自分たちの手でできない工事が発生した場合は街の職人さんに相談するようになる。おそらく《SS》は完成することを目的としていない。依頼当時のまま、私たちの観察を通じそのときの機能的必要な要求に対し、最適な選択肢を探し工事を行っている。
壁を通じて
《SS》の壁の仕上げとなる溶接金網は、LRFが照明のモックアップ検証に使っていた溶接金網が大量に《SS》にストックされていたことが大きく影響する。金網は仮想天井として使われ、何かしら引っかけられていることをよく目にし、使われなくなるとその辺りに立てかけられていた。天井工事が終わりに近づく頃LRFの社長から、この金網を壁に使ったらどうかな? 工具を整理して置ける気がするんだけど? と言われ、私たちも半信半疑のまま、実際のモノを使ってのスタディが始まった。この段階では図面はなく、ひたすら《SS》にストックされたモノを使って検証を行った。検証を重ねていくなかで、金網を壁に使うことも悪くないのではと思ったが、固定方法が難しかった。《SS》はつねにフレキシブルな状態を保たなければいけないので、形が変容できるようにすべて分解可能な納まりとしていた。そんななか、LRFの職人が電気工事でよく使う片サドルを使って納める固定方法を提案してくれた。その場で検討が終わると私たちは図面を描き始める。通常の設計は初めに図面がありその図面を施工者が読み込み工事が始まるが、ここではプロセスが逆転している。
《SS》の工事が進むなかで、《SS》の近くにあるマンションの一室を購入し改修する話がでてきた(《石村邸》)。工務店にお願いして工事を進めることも考えたが、《SS》を通じて知り合った近所の職人と一緒につくりたいという思いがあった。しかし当時、ウッドショックの影響もあり想定していた計画で施工することができなかった。木がないのであればと、近所に左官屋(小宮左官工業所、以下小宮左官)があることを知り相談することにした。小宮左官は快く話を聞いてくれ、さまざまな左官仕上げが施された自宅を見せてくれた。実際の仕上げを見ての話はとても刺激的だったが、予算的な制限から職人がすべて仕上げることはできないという話になり、私が施工することになった。見せていただいた仕上げをもとに、自邸の計画を考え直すことになるのだが、《SS》の壁と同様にここでも図面のプロセスが逆転している。
工事が進み左官工事になる段階になると、小宮左官から下地処理の段階でムラをつくり、水気を多くした石灰クリームを設計者自身で2〜3度塗るといった仕上げ方を提案いただいた。漆喰も検討したが素人が塗ると職人のように綺麗に塗ることは難しいとアドバイスいただき、素人でも味の出る施工方法を考えてくれた。一流の左官屋であればムラが出る仕上げは許されないが、素人が塗ることの意味をくみ取り考えていただいたマテリアルと施工工程に驚いた。
設計者の多くはカタログから素材を選定することが多く、カタログに載っていないマテリアルを考えること自体あまりない。小宮左官に提案いただいた《石村邸》の壁は、カタログに載っていないし、過去の建築雑誌にも掲載されていないと思う。
選択肢を増やすために
私は《SS》や《石村邸》の経験から、つくる以前のその背後にある状況をくみ取り選択肢を増やすことで、多様な回答を持った建築を設計することができると考えるようになっていった。
《SS》と《石村邸》の壁はヒトとモノとそのときの状況によって生まれたマテリアルと言える。私たちが普段目の前に見ているモノはどのようにつくられ、誰がどのようにつくったのかわかることは少ない。ここでは壁だけを取り上げているが、すべてのマテリアルに何らかのヒトとモノのナラティブが加わり目には見えない奥行きを生み出す。これらが実現しているのはヒトとモノの物理的な距離が近いことに起因する。私たちは足立区を中心に仕事を通じて近所の職人と出会うことが多く、彼らは近所に住んでいるので現場帰りに寄ってくれたりと、施工者との距離が近い。
《SS》や《石村邸》の工事以外にもLRFと共同で仕事を依頼されるようになり、展示を依頼されたときもやはり近所にあるサイン屋に相談し協働で什器を製作した。サイン屋の工房に行くとCNC加工機、3Dプリンターなど最先端の設備が搭載されていて驚いた。《SS》で機材を購入しなくても、彼らと協働で仕事をすることで施工の幅が広がっていく。困ったことがあれば、街に飛び出し相談することができるのがこの街の良さである。マテリアルは実際にモノをみないと判断できないというのが私たちと職人の共通認識であり、これだけバーチャルなコミュニケーションが発達しても距離が近いことでしか生まれないモノのつくり方に可能性を感じている。
私たちの活動を見て、あるデザイナーから、「あなたたちは都市のエコシステム(生態系)をつくっているようにみえるね」と言われたことがある。活動当初はそんなことは思ったこともなかったが、《SS》の活動が3年も経つとたしかにそうかもしれないと感じることもある。ただ、「つくる」と言うよりは、「耕す」という言葉のほうが合っている気がする。なぜなら、もともとこの街にはそれだけのポテンシャルが眠っていて、たまたま居合わせた私たちが都合のいいように生態系を耕しているのでしかないのだから。
日々の生活のなかで
自邸ができたこともあり、壁に釘を打つことはできるようになった。しかし、釘を打つと壁に穴が空く。ただ、ラフな仕上げの石灰クリームの壁は自分の手で塗ったので、気にせず補修することができる。上手く使えなかった工具もある程度、職人に教えていただき使えるようになったが、職人のように使いこなすにはまだまだこれからである。上手く使えないのであれば使えるヒトを探しに街に出ればよい。以前知り合った近所のサイン屋に、今まで私が使っていた木板を持ち込みCNCで新たな天板として加工していただいた。テーブルの脚は私たちでデザインを行い、天板の加工と併せて製作していただいた。《SS》と《石村邸》にあるモノすべてにヒトとの関わり合いがある。彼らがつくり出すマテリアルは街のナラティブを映し出し、プログラムや物理的な操作そのもので建築を開くのではなく、つくることを通じて「街に開く」ことができることを教えてくれた。とはいえ、建築を通じて街に「開く」「開かない」といった建築の個別解を求めるだけでは選択の幅は狭い。私たちが生きる街の生態系を耕し、私たちの日々の選択肢を増やしていくことが、建築にとって今後重要なことかもしれない。
これまでの建築家の役割は建築という伝統に偏り、職人との距離が遠かったように感じる。私たちは施工者と自立共存的なネットワークを広げることで建築の選択肢を増やし新たな生活の象をつくりたいと考えるが、ほかにもたくさんの選択肢はある。伝統的な建築家のイメージから目を背け、これからの社会に接続した新しい建築についてそろそろ考えなくてはいけない時代がきているように思う。
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公開日:2022年08月24日