社会と住まいを考える(国内)22

「働き」のある風景

木村俊介(SSK)

私の働き方

京都に住んでもうすぐ10年、独立して約3年半、自宅で仕事をしているせいか前職に勤めていた時とは生活の場所やリズムが変わり、仕事に対する取り組みも大きく変化した。独立してからは仕事が生活に溶け込み、働くことと日々の生活に違いがなくなった。ゆるさもキツさも細切れであることのほうが自分の性分に合っていると思っていたが、それも飽きてきたので2022年6月に事務所を借りてみた。 とはいえ、忙しさにかまけて引っ越しは未だ済んでおらず、働き方は以前から変わらないままである。そのような影響もあり、近頃「働き」について考えることが増えたように感じる。また自分の働いている現場を通して、さまざまな「働き」の広がりにも気づくことができたので、きっかけとなったプロジェクトをもとに書いていこうと思う。

働くための場所つくり 1

京都市山科区にて、4年前に独立してからゆっくりと時間をかけて進めている改修のプロジェクトがある。クライアントは長く建築金物と制作金物(工場)を営んできた会社だが、代替わりのタイミングで建物の運用についての話が浮かび、2018年6月に声をかけて頂いたのが始まりである。
場所は古い街道沿いの住宅街で、公園やお寺も近くにあるため緑も多く、小川や水路が交わる気持ちの良い場所だ。敷地は3つもあり、建物は築100年近い町家(店舗兼住居)に増築した建物がところ狭しとくっついている建物(東棟)と、道路を挟んで向かいの敷地には、それぞれ鉄骨造3階建ての事務所建築(南棟/北棟)がある。それらを潰さずに残すこと前提に、管理してもらう不動産会社選びや、参考となりそうな建物のリサーチに行くなど、クライアントとじっくり会話をしながら進めてきた。

南北に通るのが古い街道で、車通りが多い。東西の通りは地元の人が通る道となっている。

南棟と北棟の2棟は外壁の改修からトイレの新設、鉄製の扉や庇の設置を行い、すでにテナントとして運営を進めている。各部屋は30〜100m²とばらばらであるが比較的大きな1ルームを借りることができる。全6部屋はすべて埋まっており、入居者は美術作家や写真家など個人で活動されている方々で制作場所として借りられている。
一部の入居者に話を聞くと、JRや地下鉄がそれぞれ徒歩で10〜15分程度で、京都東ICも近いので車での移動にも便利であること、京都駅まではJRで一駅なので、新幹線へのアクセスも良いとのことだ。また、京都の中心市街では広くて安い物件は少なく、内装に自由に手を加えられる物件とあればさらに限られてくることもあり、自ら制作している作家にとってちょうど良い物件なのだろう。部屋として求めていたことは、広い空間であること。中心市街地では同じ値段で同様の広さを求めるのは難しい。制作するだけでなく、展示を想定した空間づくりや作品の搬出入のことから広くて大きい空間が必要なのだ。この辺りの話は、どこでも誰でも共通することだろう。
定期的に現地に訪れていることもあり、建物が変わる様子とともに、使われている様子も同時見ることができる。何度も訪れていく間に、入居者の方々とも知り合うことができ、時折部屋を覗かせていただくことがある。どの部屋も外からは想像できないほどにクリエイティビティに溢れており、興味をそそられる空間となっていて驚いた。 そしてこの記事をきっかけに、漆を作品に使われている美術作家の石塚源太さん、日本画を描かれている美術作家の谷内春子さん、美術家・美術インストーラーの池田精堂さん、この3名の入居者の働いている部屋を見学させていただき作品づくりと空間の関係ついて話を聞くことができた。

制作の現場 1

石塚氏は机を3つ用意してそれぞれ、漆を塗る3×6サイズの机、作業用の机、考え事やPC作業、読書をする4×8サイズの机と、目的を分けて使用している。考えてから制作★1するまですべてをひとりで行っているので、自分の中の行為やプロセスを分化している様子がよくわかる。机の上に置かれているものやその周りの環境がそれぞれに適した場所をつくり出している。また、自宅のテーブルにおいても郵便物や本などが置かれているのが落ち着くという。制作場所と自宅、どちらも机の上の環境が大事で、床には極力ものを置かないようにしているらしい。
アトリエの床に目を移してみるとほとんどの家具にキャスターがついている。聞いてみると、大きなものをつくる際に家具を移動しやすくしておくためにフレキシブルな状況をつくっているのだという。石塚氏は床へのこだわりは作品そのものと大きく関わっており、軽いものをつくる場所として、土間など地面と繋がっている場所では違和感があるという。地面や既存の床から上げた新しい床を自らつくり、自分の制作環境を構築する。それは机の上の水平な場所と似たようなものなのかもしれない。艶が出るまで3回も塗装して、キャスターの設置面と反射した床がその場所の軽やかさを助長している。石塚氏の水平への意識は、制作の効率だけではなく、作品が置かれる場所としてつくられている。自分にとっての水平を生み出す行為はとても建築的だと感じた。

石塚氏の制作場所。さまざまな机と綺麗な床が印象的だ。撮影=筆者

漆は最適な湿度がないと乾かないため、手づくりの加湿器を置いている。撮影=筆者

制作の現場 2

床への意識は、谷内氏の制作場所でも感じられる。日本画は絵具が定着するまでは床置きで制作をするため、床を空けておくことがとても大事だという。また粉塵が出ないよう、既存のコンクリート上から何度も塗装されており、こちらも土足厳禁であるとのことだった。ちなみに、木材を大量に扱う池田氏も、ものをできるだけ置かずに掃除しやすい環境をつくることが大事だという話があった。
谷内氏の話に戻るが、印象的だったのは生活と作品との距離感や作業に入る前のルーティンについてだ。同時にいくつもの作品を手がけられているので、壁には描き始めのような絵から、完成されているように見えるものまでたくさんの絵が掛かっている。つねに本番と向き合っていく状況がつくられているため、いつでもすぐに描き始められるためなのかと思ったが、部屋に入ってからすぐに描き始めることはしないという。メールを確認したり、ドローイングをしたりと、ウォーミングアップのように気持ちを入れてから取り掛かるのだ。そして、それぞれの行為は場所が振り分けられていて、自分が移動することで気持ちを切り替えていく。最後の絵を描く場所では、描き途中の絵がアトリエ内にラフに置かれているようだったが、どこか神聖な雰囲気を発していて迂闊に近づけなかった。パネルの上に筆を乗せていく作業は、家ではない別の空間で描くものであり、さまざまなルーティンをしてようやくたどり着ける一連の流れが儀式のような行為を想像した。

谷内氏の制作場所。机の上と広い床、長い壁面が作業のシークエンスを意識させる。撮影=筆者

立て掛けられた絵の前には作業のための広いスペースとくつろぐ場所が確保されている。撮影=筆者

制作の現場 3

前の2人は作品のための制作場所であり、家の生活とはメリハリをつけて過ごされているのに対して、日常的に家の中でも制作を行っているのが池田氏だった。自分の作品制作以外にインストーラーとして自らものづくりをされている池田氏の制作空間は、ものに溢れ自作の壁や机、収納から治具まで、とにかくセルフビルドで埋め尽くされている。入居して2年というが、お邪魔するたびに部屋の様子が変わっている。つくりたいものをつくるために必要な道具さえも制作し、部屋全体が池田氏のツールボックスになっているようだ。まさに制作現場というような場所なのだが、自宅でもさまざまな制作をしているという。最終目標が作品そのものではなく、つくること自体が目的とされている池田氏は生活にも制作が混在し、家と制作場所は溶け合い明確な区別はないようだ。また一つひとつの作業は石塚氏や谷内氏以上に分化していて、切る、くっつける、組み立てる、保存するなど、細かい工程とその作業量にそって机の大きさや、スペースが設けられている。前述の床の話につながるが、道具や材料など、ものが多く情報量も多めの空間だが雑多な印象はなく、行為とものの秩序が存在していることがよくわかった。つくることの欲求が充満していて、創作意欲を刺激される空間だった。

池田氏の制作場所。見えるものほとんどが自ら制作したもので埋め尽くされている。撮影=筆者

手前は切るスペースで奥は組み立てるスペース。撮影=筆者

鉄骨梁を利用した動く黒板。撮影=筆者

展示の実験をする吹き抜けのあるスペース。撮影=筆者

それぞれが作品に、制作することに向き合って思考されている現場そのものだった。何かを購入するだけで突然できあがってしまう場所ではなく、長い時間かけて自分にとって必要なものを自らの手でつくってきた場所であった。美術館やギャラリーで個展が行われると、アトリエ内でのインタビューをよく見るが、制作現場は制作者以上にその人らしさが現れる場所なのだろう。自宅よりも長時間いる場所であり、自分が集中するため、没入するための場所として、外部には滅多に現れてこない秘密の空間だった。

働くための場所つくり 2

当初はアトリエのような制作場所として想定してなかったため、どのような人が入居するかはまったく想像できていなかった。結果、さまざまな作家が入ったことは、元の建物が建築金物を扱っていたことも影響しているのだろう。建築資材をストックし、提供するための場所として、大きな空間と搬出入のしやすさを最大限生かした建物である。入居者がこの場所を選ぶことはよくよく考えてみれば必然であったとも言える。そして、魅力あふれる建物の内部の様子など想定できるものではなかった。

私がこの4年間何を設計してきたのかというと、事務所の移転(南棟から東棟へ)や、外壁工事(南棟、北棟)、南棟のトイレの移設くらいである。外壁においても、細かな色味や素材の調整はしたが極力既存の素材近いものを選んで更新した。これらも1回ですべての工事を行なったのではく、約1年おきにゆっくりとその時々に必要な工事だけを行ってきた。そして内部は既存のプランのまま、長い時間かけて溜まってきたものを片付けただけである。 ちなみに2022年7月の時点では、東棟のある最後の敷地に取り掛かり、新たなテナント建築として生まれ変わろうと現場が動いている。ここでは外壁はできるだけ触らずに、内部も小さな部屋を繋げて大きな空間をつくるに留めている。これらは、大きな空間と均質さを求めたいわゆるオフィス建築やテナント建築であり、ユニヴァーサル・スペースのつくり方と同じロジックだ。

ガラス引き戸と庇。撮影=西村祐一

小さなエレメントの働き

南棟に関しては、いくつか部分的に詳細な設計をしている。大きなガラス引き戸とポリカーボネートの波板の大きな開き戸、1本脚の庇だ。それぞれクライアントの工場に施工(庇は技術的な問題で別の会社にお願いすることになった)してもらった。これらは既存のものが壊れてしまったり、必要にかられてつくり直したものだ。

大きなガラスの引き戸は、壊れたシャッターの代わりに搬出入の機能を担い、大きく開くことを目的としたものであるが、閉じられている時にはファサードとしても機能する。ガラスをさまざまな方向に斜めに貼ることで、外壁に貼られた古いタイルのように、複雑な反射を生み出す外壁面をつくっている。透けて中を見れば、つくられたものが吊るされていたり、作業している様子が伺える。3階の階段室にある大きな開戸は、外壁に元々貼られていたポリカの波板を新しく張り替えたついでに、熱気を逃すためにつくられた開口部だ。向かいのお寺の桜が見れるように大きさや開き具合を調整していて、外から見ると、円形のシルエットが浮かび上がりアイキャッチとなることも期待している。鉄製の庇は、元々あった庇が台風によって破損したために建て替えることになった。元は2本脚であったが、柱の位置をずらして1本脚とすることで、隣の部屋の搬出入の際に車が停められるようしている。
このように、それぞれが既存の建物に付属して新たな機能を生み出している。これらは現場を見ながらゆっくり進められたことによって、この建物に何が必要かを考えることができた。そしてクライアントの工場でともに考えながらつくってきたことは、私やクライアントにとっての制作の現場であった。

建物に新たに付け加えられたエレメントたちは、建物にとってどのような存在なのだろうか。 ロバート・ヴェンチューリ著『ラスベガス』(鹿島出版会、1978)では、duck(あひる)とdecorated shed(装飾された小屋)という2つの対立関係について述べられている。duckは空間や構造、機能からなる建物が外見による象徴的な作用によって隠し込まれてしまっている建築を指しているのに対して、decorated shed(装飾された小屋)は機能的に満たされた中身と、装飾として付属する外身が無関係に取り付けられている建築を名付けたものだ。
このプロジェクトは商業建築でないが、ヴェンチューリの概念は改修によって中身が変わってしまった建物においても引用が効く内容だと思う。改修する前の建物は内外がある目的を求めて一致しており、用途が変わって中身と外身の関係が断絶されてしまうと外壁は装飾された付属物として利用されてしまう。これはとくに古くて伝統的な建物であるほど起こりがちである(ちなみに、京都で近年建てられたホテルやマンションなどは、景観条例によってどれも同じようなファサードとなっているものが多い。決められた勾配の庇がつけられ、記号化された風景の一部として町に増殖している。これは町家という表象をまとったをduckといえるだろう)。
ヴェンチューリは装飾を、いろいろな象徴的な要素を付加するものとし、ロードサイドの看板などは視覚的な象徴作用を期待してつくられたものであると述べている。看板は、人に使われるという意味ではまったく機能的なものではないが、人に建物の中身やブランドイメージを伝えるという意味においては有効な働きをしているとも言えるだろう。装飾と呼ばれるようなものや、建物に付加された看板であっても広告としての機能があり、それぞれは求められた働きしている。
建築はひとつの機能だけを求めるだけでは成立せず、さまざまな要望に答えるため建築にさまざまな働きを求めることになる。今回つくられた小さなエレメントは、内外や人のふるまいをつなげる媒体となるよう機能付け加えられ、意味だけの外壁から脱することでこの建物のこれからの使われ方に大きな余白をつくり出すだろう。

3階の階段室にある大きな開口部。撮影=西村祐一

さまざまな風景を断片的に写し込むガラス引き戸。撮影=西村祐一

町への働きかけ

私が今住んでいる場所は、パン屋や餃子専門の飲食店、お花屋さんなど、1階で店を開かれているところが多い。また染工の会社も多く、3〜4階建てのオフィスで働いている様子が通りから見えたり、人の声や振る舞いが町にあふれ出ていて、家の中にいても外の様子を感じとることができる。人が家に閉じこもった住宅街では静かすぎて私には少し苦手なのだが、今の環境は居心地が良くとても気に入っている。このプロジェクトでは、3つの敷地が十字路を挟んで隣り合っているので、道路を巻き込んだひとつの集落のようにまとまりが出てくることを期待している。働きは人の動きそのものであり、日常の中心である。働きがあることで街が賑わい、活性化していくだろう。建物の内部も外部も建物自体も、動きのあるものとして使い続けることで、町の中の働きのある風景となっていくだろう。



★1──ハンナ・アーレント著『人間の条件』(ちくま学芸文庫)にて、「労働」「仕事」「活動」の3つについて言及しているが、3者のインタービューをしたあとで、「仕事」よりも、森分大輔著『ハンナ・アーレント──屹立する思考の全貌』(ちくま新書、2019)で使われている「制作」の方が個人的にしっくりきたため、作品を生み出す行為に対しては「制作」を使用することとした。

木村俊介(きむら・しゅんすけ)

1985年神奈川県生まれ。2012年多摩美術大学大学院修了。2012〜2018年森田一弥建築設計事務所勤務。2018年、京都にてSSK設立。現在、名古屋造形大学、京都芸術大学、滋賀県立大学非常勤講師。

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公開日:2022年07月20日