循環する社会、変わる暮らし
社会をサバイブするための、身体性と共同体
寺内玲(HUMARIZINE)
身体性を持った仲間と共にサバイブせよ
私が生きている社会は自分の損得しか考えられない思考停止した人で溢れている。公共空間で友達と今後の社会について話していたら、突然警察に出ていけと追い出された。いつも誰かが誰かを罵っているのを見るのが辛くなり、私はほとんどSNSを使わなくなった。こんな世の中を生きるのは苦しいと、かつて共に勉強していた仲間たちは逃げるように「安定した」職業に就いた。損得と思考停止によって招かれた悲愴のなかで、私はこの社会を生きていかなければならない。このような社会を拓いていくために、私はどのように生きながら、どのようにデザイナーとして制作やリサーチを実践していくことが必要なのだろうか。
私は身体性を持つこと、そして共同体をつくることが実践をするにあたって重要だと考える。私がここで言う身体性は、今ここにある自分が感じることから思考すること、という意味だ。そしてその身体性を保ち続けるために、つねに影響し合う仲間が必要だ。ここで言う共同体は、同様の目的を持ち身体性を持ち寄って実践を続ける仲間、という意味だ。身体性を持った仲間と、共同体として制作やリサーチを実践することで今の悲愴溢れる社会をサバイブすることができるのではないか。
コンポストを実践し身体性を育む
私が行なってきたコンポストに関する取り組みをもとに、実践において身体性がどのような意味を持ちうるのかを説明したい。
数年前にイタリアのスーパーで売られていた期限切れのサンドイッチを見て以来、私は都市の食品廃棄に興味を持ち、毎日大量に廃棄を生み出しているコンビニを題材にリサーチを始めた。
私は自らがコンビニで働くことでより詳細に食品廃棄の現状が理解できるのではないかと考え、アルバイトとしてフィールドワークを開始した。実際に働くことで、毎日決まった時間に店頭に並ぶ食品を廃棄する行為をアルバイトとして経験し、たった数分前まで売られていた食べものを食べられないものとして大量に捨てなければならないことに違和感や罪悪感を抱き、食品廃棄を減らす方法はないかと考えた。一方でコンビニ企業は店舗に対して売り上げが下がらないよう仕入れ量をコントロールし、地域内に増え続ける他店舗との競争を課すなど、スタッフや店舗だけでは解決できない廃棄が出てしまう構造的な問題を理解することができた。そこで私は、食品廃棄を減らすことではなく食品廃棄をどのように循環させるのかに焦点を絞り、さまざまな可能性を模索することにした。
リサーチのなかで、私は山口県の祝島という離島のコンポストに出合った。祝島で行われていたコンポストは、島から本土へゴミを運び出すコストを考慮した島民らが仕組みを設計したものであり、毎朝発起人の島民らが島内の生ゴミを集め周り、畑を使用している島民らで飼っている豚と牛の餌にしているというものだった。この豚と牛のフンが養分になって畑を耕し、そこで育てた作物は島民の食事になり、そこで出た生ゴミが再びコンポストになる。島民が自らの手で生ゴミを処理する方法としてコンポストを実践することで、循環を生み出していた。自分たちの生活に自分たちで向き合う島民の身体性に感動し、私はこのような循環を都市のなかでも実現できないかと考えた。
さまざまな試行錯誤の末、最終的には、コンビニ店舗にスタッフが処理をするコンポストを設置し、食品廃棄によって都市のなかに循環を生む提案をつくった。食品廃棄からコンポストをつくり、それを用いた野菜の栽培・販売をコンビニ店舗内で行うことによって、コンビニを中心にした循環を都市のなかにつくっていくというアイデアだった。この提案を店舗のオーナーと社員に発表し、共にコンポストをつくるワークショップを行った。コンビニの現状をすぐに是正できるような提案ではないが、それは実際に私がフィールドワークをして得た身体性による最大限の答えであった。その身体性がなければ、働いている人たちのリアリティを無視した提案になり、新たな問題を生み出していたかもしれない。オーナーはこのワークショップを通して、さまざまな制約があり現実的にはコンポストの導入まではできないが廃棄を減らすために自分ができることからしていきたい、と言っていた。
その後も私はコンポストが生み出す身体性に着目し、現在通っているバルセロナのInstitute for advanced architecture of Catalonia(IaaC)★1という学校で、コミュニティコンポストの実践を行っている。学校横のコミュニティガーデンにて、現地の人と共にコンポストを製作し設置した。現地の人が自ら手を動かして設置を行い、家から持ってきた生ゴミでコンポストづくりを始め、彼らの身体性を持って循環をつくることができていた。できあがったコンポストはそこの畑の肥料として使われるそうだ。そのうち近くの飲食店も巻き込んでいきたいということも言っていた。コンポストを実践することで都市の人びとの中で身体性が育まれ、共同体ができあがった。
HUMARIZINEという共同体で社会を拓く
私が行なってきたHUMARIZINE(ヒューマライジン)★2という取り組みをもとに、実践において共同体がどのような意味を持ちうるのかを説明したい。
HUMARIZINEは「人間的である、ということへの追求から社会を拓く」を掲げて活動している共同体および毎年1冊出版するzine(自費出版雑誌)の総称だ。複雑な世の中を仲間と共にサバイブするために立ち上げた共同体である。今世の中で言われていることやルールを自分で再思考すること。その瞬間に自分で感じたことを以って、自分以外と協働すること。頭のなかで止まることなく行動することを目的としている。私たちは、このような個々人の身体性を重視しながら日々の実践に取り組んでいる。
HUMARIZINEでは毎年異なるテーマを探求し、身体性を持って制作やリサーチ・研究などの実践を続けている同世代の仲間に加わってもらい、テーマに基づいたテキストを執筆している。編集のプロセスを通じて、互いの実践や思考・思想について振り返り、フィードバックをし、時には喧嘩もし、議論を前進させている。
参加するメンバーはテーマとともに毎年変化し、それに応じて進め方も変えながら編集をしている。1冊目は私を中心に仲間を集めたが、2冊目は編集メンバー4人に加え5人の執筆者を集める形式で行なった。3冊目は4人の編集メンバーですべてを行う形式とした。4冊目を編集している現在は、テーマを共有しつつも、バルセロナと東京の2チームに分かれて進行している。特に現在は私自身がバルセロナにいるというのもあり、こちらで出会ったシェアハウスの仲間をメンバーに引き入れた。バルセロナで制作を行っているため、出版・販売もこちらの土地に合わせた方法で行うつもりだ。
HUMARIZINEをつくるうえで、このようなその時々の状況・環境に合わせた身体性こそが共同体を広げ、社会を拓いていくのではないかと感じている。こうした共同体の変化を振り返ってみると、編集のプロセスや仲間との関係性は毎年変化していることがわかるようになった。これらの変遷に関しては、昨年出版した『No.02 家族』で詳しく触れたが、私たちの仲間との繋がりは、身体性を持った変化を通じて、より広範になっているのである。この繋がりこそが、社会をサバイブするための共同体であるのだ。
身体性と共同体を育むために継続する
これまで説明してきたコンポストやHUMARIZINEのような実践は、つくって終わるのではなく、地道に継続していくことが重要である。継続していくことによって共同体を着実に育むことができ、その可能性は広がっていく。コンポストは続けているからこそ身体性が育まれ、さらには循環も生まれ、共同体をつくることができる。HUMARIZINEはまだ4年ではあるが、4年続けているからこそ、共同体としての可能性が生まれてきている。
身体性を持って実践していくことで共に社会をサバイブできる共同体が生まれ、それは今の社会を生きていくなかで希望となるはずだ。たとえ選挙が自分の思うような結果にならず、政治が変わらず、悲愴感漂う社会であり続けたとしても、仲間と共にサバイブしてより良い未来を切り拓くのだ。私は今後も自身の身体性を持ってHUMARIZINEとコンポストの実践を続け、共に社会を拓いていく共同体をつくっていく。
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公開日:2022年07月20日