社会と住まいを考える(国内)12
移住者ヴァナキュラー建築から学ぶ住まいと暮らしのつくり方
平尾しえな(東京工業大学博士課程)
千葉県鴨川市釜沼地区は、市内を東西に走る加茂川の北側の谷地に、先人たちが築いた棚田の集落である。ここの棚田は「天水棚田」、つまり雨水のみを頼りにしているのが大きな特徴だ。私が所属する東京工業大学塚本由晴研究室では、2019年からこの集落で古民家の改修や山林整備にあたると同時に複数の視点から研究を行ってきた。
移住者ヴァナキュラー建築
私は、修士課程から継続的に南房総の移住者たちの暮らしや住まいを研究している。移住者たちの多くは東京、横浜、千葉北部の都市部から移り住み、自らの手で暮らしをつくっている。商品として住宅を買うこととは異なり、自らの暮らしに合わせて住まいのあり方を考え、周囲にあるものでつくることを考え、先人たちやほかの移住者たちの手法から学び、多くの人の協力を得て自宅を建てていく様子から、そうした移住者による住まいや暮らしを総称して「移住者ヴァナキュラー建築(MVA)」と呼んでいる。
移住のきっかけになるのは子育て、食への意識、農への興味、とにかく自分でやれるようになりたい、などさまざまだ。土地との出会いも人それぞれだが、妥協してここになったというような人はいない。四駆の軽トラでないと入れないようなとんでもない山奥に自宅を構える人もいるのだが、聞いてみると必ずその土地でなくてはいけない必然性がある[fig.1]。
移住にあたり、一般的に問題になるのが「仕事」だろう。塩見直紀氏が1994年に発表した「半農半X」は、持続可能な自給的農業(=半農)と天職(=半X)を合わせたライフスタイルの提案で、多くの移住者が影響を受けている。コロナ禍で二拠点居住や移住が脚光を浴びているが、それもリモートワークなど仕事に縛られる都市での暮らしの想定の見直しや、いわゆる働き方改革が並走していることからも明らかなように、移住ができるかどうかは、田舎で成立する「X」を確立できるかどうかに大きく依存しているとも言える。
例えば、南房総の移住者のなかには料理人として活躍する人が多い。ただ、フルタイムで自分の店舗を開けている人はおらず、週に数日の営業日に加えてイベントへの出店や仕出しも行うことで、つねにネットワークを維持し更新して仕事を進化させている。釜沼地区にある「古民家下さん」で、毎新月に開かれるコミュニティマーケット「Awanova」は、出店者の多くが移住者で、地元の食材をふんだんに使った料理や、丁寧に育てられた野菜を楽しむことができる[fig.2]。
元々農家になろうと移住してくることはあまりないようで、自給的に始めた田んぼや畑を管理するうちに、周囲の田畑も担うようになり、結果的に農業が生業になるという例も複数ある。自分たちで田植えをするようになって初めてわかったのだが、自らが手を入れた田んぼは一際美しく見えるものだ。それが連なり風景となれば感動はより深いに違いない。その感動がその風景への責任感を生み、続いていく[fig.3]。
住まいを得るにあたってはほとんどすべての人が、古民家などを自分たちの手で改修したり、新築の施工に加わったりする。基礎、土台、屋根については自主施工のハードルが高い一方で、壁のつくり方には彼らの考え方がよく現れる。いくつか事例を紹介したい。
発泡断熱材は石油素材ということで敬遠されがちではあるのだが、パッシブソーラーと断熱気密を徹底することで、「石油の前借り」として使用する人がいる。その人はベジタリアン料理家として活動していることもあり、新築する自宅が、何で、誰の手でつくられているかにこだわった。そこで、なるべく自然素材でつくり切りたかったが、機能面と施工面、何より価格を考え、発泡断熱材をインストールして冷暖房で使う石油を大きく減らすことを選択したという。
籾殻断熱は、籾殻が精米の副産物として多くの場合無料で大量に手に入る自然素材であるため、複数のMVAで採用されている。この方法は誰にもまだ正解がわからない試行錯誤の只中にいるのが興味深い。精米所から貰ってきたままの状態で使ったため、初年度は虫との戦いだったという例もあるのだが、粘土と混ぜる、セメントと混ぜる、勲炭化するなど、ほかのMVAから学び、徐々に進化している例も見受けられる[fig.4]。
土壁は断熱材が不要であり自主施工もしやすい。田んぼと山に囲まれているので材料になる粘土と藁、竹はすぐに手に入る。ただ、粘土と藁を混ぜて発酵させ、数カ月から1年程度寝かせる必要があるうえ、竹を細く裂いて小舞にし、一層ネタを塗っては1カ月以上乾かし塗り重ねるために、中には2年もかけて施工する人もいる[fig.5]。
彼らの暮らしからは都市の暮らしへの批判を多く読み取ることができる。しかしながら、田舎暮らしを絶対の正義とするわけでもない。移住者ヴァナキュラー建築は都市と農村の対立を助長するものではなく、両者のボーダーを乗り越え、都市の暮らしを見直そうとするところに意義があると考えている。すっかり産業に取り込まれてしまった「住まいづくり」が再び自分たちの手に戻ってくる可能性を示しているのではないだろうか。
古民家下さんでの実践
MVA研究と並行して、釜沼集落の「古民家ゆうぎつか」に22年前に移住した林良樹さん、「古民家けいじ」に昨年移住した福岡達也さん家族、塚本研が中心になって展開している「小さな地球」というプロジェクトで、古民家の改修を行っている。
集落の中央に瓦屋根の民家がある。元村長の家とあって威風堂々としており、集落のメインストリートからもよく見える。われわれが集落に通うしばらく前から空き家になっていた「古民家下さん」はそのままにしておくにはあまりにも惜しい場所であった。かといって誰かが買い取って整備するのも難しい。そこで、誰のものでもなく誰もが使える、という状態を目指すことにした。林さんが中心となって声をかけ、「古民家下さん」とその裏山、田んぼを購入するための出資を集めた[fig.6]。
そこからは学生が中心になって改修を行っているが、まさに試行錯誤の連続である。建築を学んできたとはいえ、改修の現場では何も知らない、できないからのスタートで、最初にできたのは「丁寧に壊すこと」だった。われわれはこれを、人類学者のアナ・チンに倣い「サルベージ」と呼んでいる(詳しくは先日公開された川井操氏の記事をご参照いただきたい)。
われわれは角材や建具をサイズごとに分類して資源化している。土壁の土もまた土壁にできると聞き、ブルーシートに包み込んだ[fig.7]。
施工に関してはやはりまったく無知のまま進めるわけにはいかないので、大工の忍田さんに大工インレジデンスをしてもらい、電気工事士の荒岡さん、水道設備士の小泉さん、ガス屋の石井さん、家具職人の斉藤さん、土壁職人で移住二世の宮下さんなどに適宜現場に入っていただいた。ワークショップ形式で丁寧に教えてもらい、われわれも徐々に技術を身につけた。最初は「できない」が先行していた現場は、いつの頃からか、「できそう」が先行するようになった。修士論文を発表する頃には、自分で土壁を小舞からつくるようになっていたので、今では私がMVAの壁施工に呼ばれるようになっている[fig.8]。
MVA研究や里山での活動は、過疎化や後継者不足、自然災害など問題が山積みになっている農村地域の新しいモデルとして提示できるだろう。ただそれ以上に、都市、とくに東京が今後どのように変わっていける可能性があるかを示したい。私自身、東京に祖父が建て住み継いできた家があり、自分の住む場所としての東京については当事者として責任がある。都市も農村も、今がラストチャンスだ。
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公開日:2021年07月21日