インタビュー 4
地方でアートと暮らすこと
大澤苑美(八戸市美術館学芸員)、吉延詳朋(八戸市建設部建築住宅課) 聞き手:浅子佳英(建築家、プリントアンドビルド)
そして美術館建設へ
浅子
でもすごいですね、建築を学んでいるなかで、アートプロジェクトに興味を持った人が、たまたま彼女が地方でアートプロジェクトをやることになり、ついて行ったらそこで美術館をつくる話が出てきて、実際自分が関わることになったわけですよね。
吉延
そうそう。
浅子
ほかでは聞いたことがないというか、すごい話ですよね。
吉延
そう、ドラマチックな感じ(笑)。運がよかったですね。
浅子
一方で、大澤さんもそうこうしていたら、美術館ができるという話になったわけで、もちろん関わりたくなりますよね。
大澤
最初はコンペをどうするのか、どういう美術館にしていくかみたいな話が出てきた時に、私もそのチームに入れてほしいなっていう素振りとかそういう話はしつつ。
浅子
そりゃ絶対しますよね、そういうところは吉延さんと一緒ですね(笑)。
吉延
(笑)。
大澤
ただ私は非正規の職員だから、立場がちょっと違うけれど、興味があるよってことはアピールしていました。うちの部署の人たちが本当の最初の構想をやっていたんですが、傍で見ながら、「どこにでもあるような普通の美術館にはならないといいのだけど……」と思ってました。
浅子
そういう時期もあったんですね。
大澤
どういう建物にするか、どういうコンテンツにするかも決まってない初期の初期です。最初はたしか増築する話から始まりました。さらにその前だと、美術館の周りの景観をきれいにしましょうというところから始まったんです。中心街の活性化の目的で国の補助金を活用し、景観をきれいにするという話になったんだと思います。でも、隣接する消防署が移転して空き地もできたので、収蔵庫がなかったこともあり、増築するかという話になり、そうこうしているうちに市長が「アートセンターみたいなのはどうか」って言い出して、みんなで「アートセンターみたいな美術館ってなになになに?」ってなって。
浅子
ざわざわしてきたと。
大澤
「はっち」もあるからどう違いをつくるべきかなと思いつつ。でもその頃から、耐震の問題があるとわかり、さらには市民から新しい美術館を作ってほしいという声が出てきたんです。それで美術館を新築するという話が傍らで進んでいきました。私はアートプロジェクトも盛り上がってきたのでそちらに取り組んでいました。その後、アートセンターだと市長が言い始めたあたりで、高森が美術館準備のチームに入り、文化政策と美術館機能とエデュケーション機能の3つを柱にするという美術館の話がでてきます。私は文化政策の部署である「まち文」にいたから、美術館の実際の業務をやるのかどうかはわからなかったけど、「文化政策の専門職として美術館のなかで勤務するということがありえるんだな」というのは見えてきました。ちょうどそのタイミングで、私も長くなってきたので、当時の上司も、私の正規職員採用について心配してくれるようになりました。学芸員の資格を持っていたので、学芸員募集の際に応募しました。それこそ吉延さんは職員だけど、大澤さんは嘱託で自由に飛び回れるので、ほかのアートプロジェクトに行くとも限らないし、と思っていたのかもしれません(笑)。
浅子
大澤を手放したらもったいないなと。
大澤
わかんないですけど(笑)。そこで私も学芸員として職員になったので、美術館に関わることになりました。2018年のことです。一方で普通の職員採用なので、電話の掛け方とかのマナーの研修をやりました。干支が一回り違う子たちと電話の研修をやるんです(笑)。 美術館で勤務した経験もないので、学芸員という立場もいまだにむず痒いですが、年齢的にチームビルディングもしなきゃいけない立場になったし、いろいろやることはありますね。
浅子
だけど、じつはこの美術館は若手の学芸員が多く、美術館や展覧会を熟知している人はいなんですよね。だから、美術館の外でアートプロジェクトをずっとやりつづけてきた大澤さんが学芸員のトップになったというのは象徴的だなと思います。
大澤
トップって言うとみんな怒ると思う(笑)。歳が上なだけです。
浅子
いやいや、そんなことはないでしょう。考えてみれば、2011年からいてアートプロジェクトをやり続けてきたわけですよね。それはすごいですよね。10年ですから。
大澤
自慢できることがあるとすると、今のメンバーのなかで地元出身者を除くと一番八戸歴が長いことです。そういう意味では、八戸のなかで出会った人や情報、ネットワークみたいなものは負けないというところはあります。やっぱり、アートプロジェクトをやっていると、いつも根無草みたいなところはあって、いくらいいことをやっても、広報しても消えてしまいがちなんです。波及力が近く、遠くまでは飛んでかない。訴求力がないというのは感じていて、これは文化施設があるとないとでは全然違うんです。美術館には「保存」や「アーカイブ」の機能や役割がありますしね。アートプロジェクトも、南郷だってホールと一緒にやっていたので、ホールの事業ではあったんですが、施設の外でのイベントの実情は「パフォーマンスやります、お願いだから来てください」って必死で人に声をかける状況なんです。それに比べて、美術館で情報を出したら、「こんな人までホームページを見てたんだ」というくらい遠くの人まで届くんですね。その訴求力は全国でやっているほかのアートプロジェクトも欲しいものだと思います。
でもほとんどの美術館は、ここにあった以前の美術館もそうですが、クローズドで、全然外に開いてないなと私も思っていました。そういうやり方は、今の八戸の文化政策の流れにはそぐわないし、もちろんちゃんと美術品を大事にするとか保存することも大事だけれど、それを開いたかたちで、誰もがアクセスできる美術館にしないと意味がないなと思っていました。そういう意味では私もチャレンジだし、美術館をずっとやってきた人たちが外に開かなきゃと思ってやるやり方とはまた違う、アクセスの仕方なんだろうなと思います。
浅子
ずっと美術館の外で活動していた人が美術館のなかに入るかたちなので、逆向きですよね。この美術館が、それだけで集客できるような収蔵作品をいくつも持っていて、自分たちで自前で展覧会ガンガン回せるのであれば、じつは大澤さんみたいな人はそれほど必要なかったのかもしれません。ただ今回の八戸市美術館が展覧会もやるけども、その展覧会と同時にワークショップもやれば制作もして、さらにそれを展示するという循環を目指してたので、大澤さんみたいな人が重要になってきたんだと思います。単に作品を展示して終わりにするのではなく、それをどうやってまちに開いたり、もしくはまちの文化をどうやって美術館に根付かせたりできるか、僕たちはこの5年間そういう循環についてずっと一緒に考えてきましたよね。プロポーザルの時点ですでにそういうものが求められていたし、僕らの案が通ったのも、そこをきちんと汲み取ったからだと思うんですね。
大澤さんは、10年前のなにもなかった時から文化政策に関わり、しかもアートと縁がないような地域や他者と「南郷アートプロジェクト」や「八戸工場大学」をやり、しかもその人が当時は非正規だったのに何年間も働いて種を撒き、その後美術館で働くようになったというのは、この美術館にとってはもちろん、現代的という意味でも象徴的な話だと思います。
大澤
まあ、なかなかいないキャリアでしょうね(笑)。だから王道の学芸員の道を歩んでこられた諸先輩方にとっては、異端な道の歩き方だとは思います。美術館のことはいろいろと本当に知らないから、あれはどうなっている? これはどうなっている? これダメなの? と一から勉強という感じですけど。
浅子
それを裏方でずっと支えていたハード側の吉延さんがいたというのも面白いですね。
大澤
でも2人が同じ案件に関わるようになったのは本当に偶然です。
浅子
けど、お話を聞いていると、2人を象徴しているような建物ですよね。アートが特別好きじゃない、建築出身の人が八戸に来たんだったら、単に建物ができて終わりになるけれど、そもそも取手に通うぐらいアートプロジェクトが好きだった建築出身の人が、この建物に関わっていたというのは面白い。
吉延
僕は西澤徹夫さんや浅子さんたち設計者が考えるハードとソフトの良い状態をイメージできたから、「なんとなくこっちに寄ればいんだな」とか「こうしたらいいんだな」とか、「これは絶対やんなきゃいけないことだな」というのを意識的に行っていました。
浅子
実際、吉延さんには、特に最後のほうはだいぶ頼りっきりでしたしね。やっぱり役所側にアートをわかっている人がいるかどうかで、やりやすいかどうかは全然違いますよ。
吉延
良いチームワークを築けたとうことですよね。
地方でアートとともに暮らす
浅子
東京にいた時に吉延さんもアートプロジェクトに関わっていたんですか。
大澤
2人とも取手アートプロジェクトを最初にやっていたんです、吉延も運営をやっていました。藤浩志さんとご一緒したプロジェクトもあり、肌感覚はあるんですね。
吉延
2005年の時ですね。
浅子
そりゃ、やったことある人とない人じゃ違いますよね。
大澤
さきほどまで撮影で来ていた西野正将くんもそうだけど、結構再会するアーティストたちもいるんです。そして、アーティストが来てるけど「手一杯になった」とか「ご飯食べたいって言ってるけど私は仕事があって難しい」みたいな時に、吉延が一緒に「ご飯行きましょっか」とアーティストと動くことも多々あり。
浅子
なるほど、毎回だと大変ですね。
吉延
いやいや、それが一番面白いですね。利害関係なくアーティストと仲良くなれるので。
浅子
なるほど! たしかに珍しい状況ですよね。
吉延
それでいろいろ案内したり、話を聞いたり。
大澤
駅まで送ってって! とか(笑)。「南郷」の時や「八戸工場大学」でもよくありました。
吉延
まあ、あれっすね。大澤のマネージャーみたいな。アートマネージャーのマネージャーみたいな(笑)。
浅子
いやあ、面白いですね。今の話も含めて今日お聞きした話全体が、今後地方に行く人たちへの、希望になるといいなと思いました。もちろん、美術館ができるかどうかはわからないけれど。でも、今回も大澤さんが八戸に行かなかったらこんなことにならなかったわけでしょ。
大澤
そうですね。私が来た時も、男性の転勤に女性がついていくっていうのが、世の中では当たり前で、その逆はあまり普通ではなかったと思います。
浅子
そういえば、今日はその話をしなかったですね。不思議だと思ってなかったんだと思います。
大澤
だんだんと不思議じゃなくなってきてると思うんですけどね。女性が仕事をしているところに男性が来るみたいなのって、彼の周りが気にしたり、吉延のプライド的にはよく思わないのかもしれないけれど。
吉延
そういうこだわりはないかもしれません。
浅子
じゃあよかったですね。
大澤
そういうことがあってもいいし、地方のほうが生活と仕事をいい具合で公私混同できる緩さとか、グレーゾーンみたいなのはあって、別に都落ちしてるとかそういうことでもなく。
浅子
2人を見ていると、都落ち感はないですね。楽しそうですから(笑)。
大澤
結構楽しいですよって感じ。
浅子
このままずっと八戸にいる感じですか。
吉延
まあ当面は、そのつもりです。
大澤
お互いこっちが地元じゃないので、まあ親になんかあったとか、八戸を離れることがあるかもしれないなっていうのは 傍らではいつも思っているけど、まあでも当面八戸かなっていう感じ。
浅子
お二人のお話は断片的には聞いていましたが、本日改めてお聞きして本当によかったです。最後の男性が女性のところについていくという大澤さんのお話も、それについて何のこだわりもないという吉延さんのお話もとても現代的だと思いました。しかも、お二人を見ていると気負いがないというか、とても自然で楽しみながらやっている。同様に地方に暮らすことについても、強いこだわりで移住したというよりも、その時にやりたいことが一致した結果、あくまで自然に地方で暮らしている。お二人があまりに自然なので、気がつかなかったけれど、とても新しいこれからの社会に相応しい暮らし方だと思います。そういう人に支えられた、新しい八戸市美術館にぜひ訪れてほしいですね。本日はありがとうございました。
[2021年10月30日、八戸市美術館にて]
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公開日:2021年11月24日