海外トイレ事情 17
スペイン、バルセロナ ──
観光都市におけるトイレの苦悩
鈴木瑛貴(慶應義塾大学大学院およびミラノ工科大学大学院修士課程)
4カ月のバルセロナでのインターンシップを終え、神奈川の大学の研究室でこのレポートを書いている。「パブリック・トイレのゆくえ」というテーマでこの滞在を振り返るにあたって、まずこのテーマに含まれている「パブリック・トイレ」と一般的に日本で使われる「公衆トイレ」という言葉の意味するところの違いを考えてみたい。「公衆トイレ」と言うときには、行政や特殊会社によって設置・管理された、不特定多数に開かれたトイレのことを指しているように思われる。他方「パブリック・トイレ」は、監修者である浅子佳英氏も論じているように、商業施設や駅、その他の公共性の高い建物のトイレなども含めた、もう少し振れ幅のある定義として捉えることができる。このように似通った、しかし異なるタイプのトイレ事情を通してバルセロナを見てみると、急速な観光産業の波にさらされるこの街が直面する問題や、それに対する意識が垣間見えてくる。
公衆トイレの不足
まず、バルセロナにおいて「公衆トイレ」を見つけるのは非常に困難であることを強調しなければならない。私の記憶する限りでは、ランブラス通りのアンドレウ・ニン図書館の前の広場、国立宮殿前の噴水のエリア、グエル公園内、サグラダ・ファミリア前の公園の脇、シウタデラ公園内など、観光地内にあるもの以外に出会ったことがない。加えて、これらのトイレは有料だったり、夜間には閉鎖されたりすることも多い。ランブラス通りのものは、警備員が常駐しており、トイレットペーパーが有料である。バルセロネータのビーチには最も混雑する夏季にのみ仮設トイレが設置される。このような、ある種閉鎖的で、最小限にとどまる(あるいは、需要に対して圧倒的に不足しているであろう)状況は、交通機関や街頭のゴミ箱など、他の公共設備の充実ぶりと比べると、意外なものである。実際、著名な旅行口コミサイトなどを見てみると、なぜバルセロナには公衆トイレがないのか、旅行中どこで用を足せばよいのかといった議論が相当な数見つかる。
19世紀の法律の名残
では、「公衆トイレ」の代わりとなっているものはなにか? 先の口コミサイトで興味深い議論がされていたので、ひとつ紹介したい。1874年に即位したスペイン王アルフォンソ12世は福祉制度の改善の一端として、スペイン国内のバー・レストランのトイレは公共の利用に開放すべきという法律を制定したが、今日まで削除されていないという。実際個人の経験としても、街を歩いていてトイレに行きたくなれば、近くにある飲食店に入るというのは、大きな百貨店などのあるエリアを除けば唯一の手段であったし、地域の公会堂などで手に入る「public WC」の位置を記した地図では、それらのトイレも記されているようだ。しかし実態としては、商品を買わない訪問者に対してトイレの使用を制限する飲食店がかなり多い。とくに観光地では、トイレの扉の前や、ときには店頭にまで、商品購入者以外のトイレ使用お断りと張り紙がされていることは少なくない。「トイレは開放されているべきか?」「トイレを借りる際にはなにか買うべきか?」といった近年日本のコンビニなどでも見られる議論をするつもりはないが、ここで変化する社会と都市の問題を示唆するのは、古くに制定されたまま残された制度や地図上に示される「建前」と現実に飲食店を営む人々の「本音」との乖離である。
観光客と地元の人々の暮らし
いまや欧州屈指の観光都市となったバルセロナにとって、観光客への対応と地元の人々の暮らしのバランスを取ることは困難かつ重要な課題であることは想像に難くない。膨大な旅行者のニーズを捌けるだけの公衆トイレの設置や管理を税金で賄うことが難しいのも理解できるし、バーやレストランのトイレを開放してもトイレだけ利用する人々がなだれ込んできて商売にならないという言い分もわかる。観光地化とジェントリフィケーションなどの議論がなされるようになって久しいが、それらと同様に、トイレという誰しもが必要とする空間のあり方は、さまざまな人間が世界中を動き回る現代社会の複雑な問題を映し出す要素のひとつなのかもしれない。
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公開日:2018年01月31日