海外トイレ事情 13
ブラジル、サンパウロ ── 巨匠建築家たちのパブリック・トイレ
大庭早子(建築家、大庭早子建築設計事務所)
サンパウロの街を歩くと、誰がブラジル人で誰が旅行客なのか、多人種すぎて判断が難しい。戦前からのイタリア系、ポルトガル系、ドイツ系、日系、アフリカ系、アラブ系移民に加え、最近は中国や韓国のアジア諸国から、またボリビアやペルーからの移住も多い。そんなサンパウロでは、自己紹介の時に、どの国の血が混ざっているかの自慢話になることがある。
サンパウロの一般的なパブリック・トイレはというと、貧富の差が激しく治安の悪い南米の国の例に漏れず、地下鉄やバスターミナルの公衆トイレは、所有感がないため、紙がないどころか、便座までない。 トイレットペーパーを流せないので、個室の中は汚いゴミだらけだ。一方で、個人宅には、戸建でもアパートでも、一人につき1個くらいあちこちにトイレがあって、最低でも週2回、裕福な家庭なら住み込みで掃除婦を雇って、いつも綺麗に保っている。
しかし、サンパウロに住むパウリスターノたちが好んで集まる公園や公共施設では、異なる人種のなかで生き抜いてきた移民精神の名残なのか、彼らは自分の居心地のいい場所を見つけるのが天才的で、まるで自分の家にいるようにくつろいでいる風景をよく目にする。そして、それらの場所に付随するパブリック・トイレは、その延長にあり、愛着が持たれ、綺麗に保たれている。
今回約2年ぶりにサンパウロを訪れたが、相変わらずパウリスターノに人気の巨匠建築家が残した名建築とそのトイレをいくつか紹介したい。
01. イビラプエラ公園(オスカー・ニーマイヤー、1954)
イビラプエラ公園の中央には、アメーバのように各文化施設をつなぐ巨大な屋根がかけられている。その白くどっしりとした大屋根の下には、移動する人、小さい屋台で商売をする人、ナンパをする人、特に立柱のあいだをスケートボードやローラースケートで遊ぶ若者が多い。そのピロティ空間に四周をド派手なグラフィックアートに囲まれたパブリック・トイレが設置されており、若者が集まっておしゃべりをする格好の居場所となっている。
02. サンパウロ美術館(リナ・ボ・バルディ、1969)
パウリスタ大通りは、毎週日曜日午後には歩行者天国となっており、ブラジル・ワールドカップ(2014)前の連日の大きなデモ行進が行なわれたほか、世界最大のLGBTsのパレードも毎年開催されている。そんなパウリスタ大通りの中央に位置するサンパウロ美術館(MASP)は、宙に浮いていて、その下を行き交う人々に日影や雨宿り場所を提供するだけでなく、骨董市、デモの集合場所、サーカス、屋外シアターなど、まさしく市民の広場として機能している。2015年に展示空間が、リナ・ボ・バルディによるオリジナルの(ガラスのイーゼルに固定した絵画を地域も年代も知名度も関係なく一斉に並べる)形式に戻されたのと同時に、地下1階のパブリック・トイレもリフォームされた。以前はただ男女別のトイレだったが、MASPの門型フレームと同じ真っ赤なタイルに洗面スペースは男女共用、個室は男女のマークだけで区別されていた。リナという偉大な建築家の思想を守りつつも、新しい価値観に敏感に反応している。
03. サンパウロ大学建築都市学部棟(ジョアン・ヴィラノヴァ・アルティガス、1969)
ジョアン・ヴィラノヴァ・アルティガス設計のサンパウロ大学建築都市学部棟(FAU-USP)の外周の犬走りと庭の部分の天井高は7.5m、エントランスでは天井高2.9mとスケールがグッと抑えられ、そこをくぐるとまるで巨大な木陰にいるような、天井をトップライトで埋め尽くされた、天井高13mの大きなサロンが居座っている。このサロンはMASPの広場と同じように、学生のデモやイベント、講評会、時には大学にまったく関係のない集会が開かれたりもするそうだ。そのサロンを囲むように食堂、図書館、各スタジオ、製図室がスロープで緩やかにつながっており、この建物のほとんどが外気に接している。建物のあちこちに大きなベンチが配されており、建築学生たちが思い思いの場所で議論をしたり、昼食や昼寝をしたり、読書をしたりしている。アルティガスはこの建物の設計者であるとともに、FAUの教育者でもあり、対話を重視していた。そこで彼は、ゆったりとした寸法でトイレを計画し、中にはベンチを設えた。私がトイレに入った時には、ワークショップ中のブラジル人とスイス人のチームがベンチに座って化粧をしながら英語で議論をしていた。
04. サンパウロ文化センター(エウリコ・プラド・ロペス、1979)
サンパウロ文化センター(CCSP)は、ガラス張りで鉄骨の柱と地平線のようなスラブで構成されているため、歩道のある通りから見ると隠れていて姿が見えない。敷地に接する高低差をうまく利用し、地下鉄の駅にも連結しているので、いろいろなレベルからアクセスできるようになっている。いったん中に入ると、サンパウロの文化センターとして、生き生きとした市民のふるまいが目に飛び込んでくる。彼らはなんとなく住み分けをしている。たとえば、建物の両端ではコンセントのあるガラスの仕切りに沿って大きい机と椅子が並べられているので、Wi-Fiを利用してパソコンで打ち合わせをする人、ゲーム対戦している人などがいる。少し中央に行くと、ガラスの反射を利用して若者がそれぞれのグループでダンスをしている。スラブにところどころ大きな穴が空いていて、それらはレストランに隣接した巨大な木々が育つ庭になっていたり、掘り込まれた劇場になっていたり、地下に吸い込まれるような図書スペースになっている。その合間の異なるレベルを生かして展示空間がぽつぽつと広がっていて、同じように、座って愛を語らうカップルや、議論をする学生たち、映像を見ながら昼寝をするおじいちゃんなどが自分の居場所を見つけている。そんな水平方向に広がる展示空間と市民のふるまいのあいだに寄り添うように、レンガで囲われたコンパクトな(個室3室程度)パブリック・トイレが挿入されている。目につくところにいくつもあるので、家のリビングにいてちょっとトイレに立つように、少し席を外した後、またそれぞれの居心地のいい場所にすっと戻って行く姿が印象的だった。
まだ急成長中のサンパウロは、治安も技術も教育も日本に比べると課題は多いが、公共の場所でも自分の愛着が持てる居場所を嗅ぎ分けて棲み着く生命力、建築と人のふるまいの呼応においては、学ぶところが多い。
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公開日:2017年11月29日