海外トイレ事情 10
タイ、バンコク ── 雑種化する都市とパブリック・トイレ
久米貴大(建築家、Bangkok Tokyo Architecture)
バンコクはコントラストの強い都市である。
超高層ビルが次々と建設され、その裏側には寺院がひっそりと建ち、ビルの足元は無数の小さな屋台に飲み込まれ、歩道ではバイクが逆走している。そんな急激な変化の最中にあるバンコクのトイレ事情とはどのようなものなのだろうか。まずはバンコクのトイレの基本的な状況から記述していきたい。
バンコクのトイレ事情
バンコクのトイレには次の2種類のタイプがある。ひとつめは世界中に流通している腰掛式の洋式タイプ、もうひとつは日本の和式トイレと同じようにしゃがんで使用するタイ式のものである。
_ _いずれの形式も排水管が十分に整備されていないなどの理由で、トイレットペーパーを流すことはできない場合が多く、トイレの片隅にある専用のゴミ箱を使用する。洋式タイプにはお尻を洗うための手動式シャワー(私は初めて見たときは何に使うものかわからなかった)が設置されていることも多い。
また街にパブリック・トイレはとても少なく、あってもなぜか(治安の問題だろうか)鍵がかかっていて使われていないことが多い。日本のようにコンビニや駅でトイレを自由に使用できることはほとんどないので、外出先でトイレを利用する場合は、ホテル、レストラン、ショッピングモール、ガソリンスタンドを使うことが多い。そのなかでもバンコクの人々が最もよく使うのは、ショッピングモールのトイレだろう。近年バンコクでは、数多くのショッピングモールがオープンし、そのトイレは多様な展開を見せている。
これらのトイレを取り巻く状況はどのように生まれているのだろうか。この点について、バンコクの都市の成り立ちまで遡って考えていきたい。
バンコクの成り立ちとパブリック・トイレ
かつてバンコクはチャオプラヤ川沿いに建設され、複雑な運河の上に形成された水系都市であった。その後、長きにわたって導入された規制の緩い自由な都市計画のもと、都市風景は描き換えられ続け、コンクリートによってつくられる巨大な都市に発展した。このほとんどコントロール不能ともいえる都市の拡大が、良くも悪くも今日のバンコクの性質をかたちづくっている。
_ _このように、緩い計画とのせめぎ合いのなかで急速に拡大し続けてきたバンコクでは、個人発の即興的とも言える創意工夫が都市のいたるところにあふれている。例えばバンコクの交通網は、メインストリートとそこから延びるソイと呼ばれる路地から構成される。メインストリートはそれぞれの街区に接続し、街区の奥の居住区にはソイを通じてアクセスするのだが、公共交通機関は、せいぜいメインストリート沿いのソイの入り口までしか届いていない。そこから先のアクセスは自己管理された交通システムとしてバイクタクシーが担っている。
このようにバンコクでは最低限のインフラが整えられ、そこからボトムアップ的に都市を発展させていくというような構造がいたるところに見られるのである。この「ないからつくるしかない」というような精神はパブリック・トイレにも現われている。
これは2011年にタイで発生した大洪水時に提案されたパブリック・トイレの事例である。政府がYouTubeなどを通じてつくり方を提案し、それを見て一人ひとりがつくる即席のトイレである 。ここで使われるプラスチック製の椅子はバンコクであればどこでも手に入るものであり、そこに穴を開けてビニール袋を差し込むという非常に簡単なつくりのトイレである。バンコクではこのほかにも洪水に対してDIYで対応している風景が数多く見られた。パブリック・トイレとしてはかなり特殊な例ではあるが、この現状を受け入れたうえで発揮される楽観的ともいえる適応力にはいつも驚かされる。
このように、バンコクでは(トイレットペーパーを流すことができない程の)最低限のインフラの上に、多様なトイレのあり方を(半ば強引に)成り立たせている。通常であればインフラを整備し対応しそうなものだが、バンコクの人々は個別の対応で都市をかたちづくりながら住みこなす。こうして個別に設えられた状況は、人々の生活に欠かすことのできない選択の多様性を提供している。
_パブリック・トイレの状況をバンコクの都市の成り立ちを経由して考察することで、最低限のインフラのうえに成立する、ほとんど即興的とも言える多様な都市の状況を垣間見ることができた。このような状況は、これからのバンコクをどのような方向に進めていくのだろうか。今回の考察が、不確実性を孕んだ都市の今後の姿を記述するきっかけになればと思う。
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公開日:2017年09月21日