海外トイレ事情 8
スウェーデン、ストックホルム ── 男女共用を可能にする国民性
森山茜(テキスタイル・デザイナー、Studio Akane Moriyama)
ポルトガル・リスボン郊外の小さな街の食堂で、トイレに行った時のことである。一番手前の入り口に「HOMENS」と書いたサインがあった。その横にはまつ毛が長いショートカットのきりりとした人のイラストが添えられている。ポルトガル語がわからない私は、「お店の人、HとWを間違えたのね (HOMENS→WOMEN’S)」、と勝手に解釈して中に入った。するとお店の人が慌ててやってきて、あなたはこっちですよ、と奥の方のドアを開けてくれた。そちらのドアには、SENHORASと書いてあった。なるほど、セニョリータっぽい語感。その脇にはフリル襟に巻き髪の女性のイラストがあった。
テーブルに戻って、ふと思った。私は男性用トイレのショートカットの人の絵を女性だと思ったのだ。
かれこれ9年近く住んでいるストックホルムでは、ボーイッシュな服装をした短髪の女性はよくいるし、長髪で中性的な雰囲気の男性もいる。警官や軍隊、警備員の制服は男女同じデザインだし、学校に男女別の制服はない。地下鉄の広告はジェンダー・ニュートラルなものが多く、典型的な「男らしい」「女らしい」偶像を公共空間に使うこと自体が避けられる傾向にある。
まず、背景としてスウェーデンのジェンダーに関する状況を簡単にお話ししておきたい。同性婚が認められているこの国では、同性愛のカップルが手をつないで街を歩いているのはごく普通の光景である。同性の両親が国の補助金を受けて人口受精により子どもを授かり、育てるケースも珍しくない。書類などで性別を選択する項目では、「男」「女」に加えて「その他/なし」という選択肢があることもある。男だから、女だから、という言葉を使うことはタブーになりつつある。国会議員の男女比率は、ほぼ半々に近い★1。両親ともに最低3カ月の育児休暇を取ることが義務づけられている ので★2、男性のグループがベビーカーを揺らしながらお茶をしている光景は日常茶飯事だ。こういった社会状況はもちろんパブリック・トイレのあり方にも影響してきている。
事例1:ストックホルム近代美術館(Moderna Museet Stockholm)
ラファエル・モネオ設計による《ストックホルム近代美術館》は、1998年の開館当時には男性用トイレと女性用トイレが分かれて設計されていた。右が女性用、左が男性用。それが突然数年前、入り口のサインが変わった。スカートをはいていたり、いなかったり、半分はいていたり、のサイン。右にも左にも同じサインがかかっているのである。どんな性別の方でもどちらのトイレでもお使いください、ということである。実際、トイレに並ぶ人の列は左右ともに男女が混ざっている。
かつてあった男性用小便器は撤去され、すべてが洋式トイレの個室のみである。ドアは外開きで、個室内に小さな手洗い場がある。また、個室を出たスペースには男女共用の手洗い場もあるが、利用者の滞在時間は短い。
美術館の受付の人の話によると、サインを変更した後もおおむね受け入れらている、とのこと。ただ、清掃の手間が前より増えたこと、また宗教的な理由により不快に感じるといった苦情を寄せられることがあるそうだ。
事例2:ストックホルム文化会館(Kulturhuset Stadsteatern / Stockholm House of Culture & City Theatre)
ストックホルム中央駅前に立地する文化会館で、大小の劇場、図書館、ギャラリー、カフェ、子どもの遊び場、チェス対局場などが入る複合施設(ピーター・セルシング設計)。1970年の開館以来、市民に大人気の場所である。
こちらのトイレも数年前に改装され、同じく男女に分かれていない。有料のため入り口に支払いをするゲートがあり、そこで携帯電話と連動したカード払いで支払いを済ませて入場する(近年のスウェーデンはクレジットカードのみで生活ができるようになってきている)。外から丸見えの共同手洗い場を囲むように男女共用の個室トイレがある。入り口にはメンテナンスをする人が常駐している。
事例3:オーリエンス・シティ・ストックホルム(_HL_NS Stockholm City)
ストックホルム中央駅地下鉄から直結するデパートで、客層も地元の人から観光客まで幅広い。こちらも同じく、男女共用の手洗所と個室のスタイル。入り口にゲートがあるが、私が訪れた時は無料であった。
スウェーデンにおいてこうした男女共用のパブリック・トイレが可能なのは、ジェンダーに関する議論が活発なことに加えて、スウェーデン人の国民性が関係しているように思われる。この国では、長い休暇を山や水辺の小さな別荘で過ごす人が多く、多くの場合、素朴な男女共用のバイオ・トイレが利用される。厳しい自然環境とともに生きていかなければならないこの国では、実用性や効率性が重視され、トイレに行くという行為もただ生理的に必要な行為であり、それ以上でも以下でもない。また、パブリック・トイレで化粧直しに立つ女性をほぼ見かけないのは、女性は化粧をするべきであるという社会的規範がこの国には存在しないのが大きいのではないかと思う。この国では、むしろ「長くつ下のピッピ」(スウェーデンの作家アストリッド・リンドグレーン著)のような大胆で型にはまらない女性像が支持されているのだ。
国によって文化的背景はさまざまであるが、それぞれの側面への緻密な考察と十分な議論が、次世代のパブリック・トイレをかたちづくっていくことに期待したい。
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公開日:2017年08月31日