海外トイレ事情 6
中国、北京 ── 胡同のパブリック・トイレに学ぶこと
青山周平(建築家、B.L.U.E.建築設計事務所)
未来の都市像や新たな建築形式への気づきは、時に、身の回りの何気ない日常生活の洞察から生まれてくる。これまで約9年間北京の胡同★1 で暮らしているが、胡同の都市空間やそこで日々営まれる生活は、つねに新たな発見と刺激的な視点を与えてくれる。
初めて会った人に胡同に住んでいると言うと、一瞬驚いた表情に続いて、必ず聞かれるのが「家の中にトイレはあるの?」という質問だ。多くの若者が、胡同での生活に魅力を感じる一方で、実際には高層アパートに住むことを選択する理由のひとつがトイレである。文化大革命以降、雑院化★2 した現代の胡同住宅においては、比較的設置が容易なシャワーとキッチンは、半ば強引なやり方で追加されていることが多いが、トイレに関しては設置コストが大きいこともあり(近くの道路に汚水管がある場合にはそれと連結、遠い場合には中庭地下に浄化槽を設置する)、いまでも多くの住宅で設置されておらず、パブリック・トイレが市民の日常生活を支えている。
北京は、世界でも最もパブリック・トイレが多い都市のひとつであり、 現在市内全域で約2万カ所のパブリック・トイレが設置されているという(東京のコンビニは約7,300軒)。また、これまで4度の「公共トイレ革命」を経て、数だけでなく質も改善されてきた。2008年北京オリンピック前の第4次公共トイレ革命の際に制定された衛生基準のなかに、「各公共トイレ内のハエの数は2匹以下とすること」とあるのは興味深い。
特に、胡同においては、各住居にトイレが設置されていないため、パブリック・トイレは基本的に約50mに1つという高密度で設置されており(例えば、私の住んでいる南鑼鼓巷という胡同では約800mに10カ所以上のパブリック・トイレがある)、夜明けになるとパジャマ姿の住民が、紙を手に持って胡同を行き来している様子が見られる。毎朝、決まった時間に附近の住民が同じ場所に集まるので、かつては朝方にパブリック・トイレへ用を足しに行くことを「会議に行く」と表現していたそうだ。つまりパブリック・トイレは、近隣住民が必然的に、そして日常的に出会う場所でもある。以前、私たちの事務所でリノベーションした胡同住宅の施主は、家の中にトイレがあるのにもかかわらず、普段は外のパブリック・トイレをわざわざ使っていた。
胡同におけるパブリック・トイレとは、文化遺産となるような伝統建築でもないし、壮麗な現代建築でもないが、都市空間の中で最も密度の高い微小な公共空間のネットワークとして捉えることができ、小さなコミュニティを束ねる核となる可能性を持つ空間である。北京市が最近発表した最新のパブリック・トイレのコンセプト「第5空間」は、パブリック・トイレに銀行ATM、各種公共料金支払い端末、充電スポット、無料Wi-Fi、EC端末、自動販売機などの機能を付加したもので、パブリック・トイレが、「家庭」「仕事」「社交」「ネット空間」に続く5つめの空間となることを謳っている。同様に、さまざまな建築家も胡同のパブリック・トイレの可能性に関心を示している。現代中国を代表する建築家のひとりであるMADの馬岩松は、胡同のパブリック・トイレを緑化し、小公園的な機能を併せ持つことで、スラムクリアランスではなく鍼灸療法的に旧市街地全体の生活環境を改善するというコンセプトを提案している。
(MAD《微園林》2016、http://home.163.com/16/0603/17/BOLDFPVL00104JLF.html参照)
夏場の胡同では、ほぼパンツ一丁で歩いている人をよく見かけるが、そこには、認識としての「家」の範囲が実際の不動産登記上の面積を超えて溢れだし、公共空間が家化している状況がみてとれる。
大規模な都市再開発によってインフラを整備し、それぞれの住宅が、郊外住宅のようにすべての生活機能を完結して保有するという考え方とは異なった、既存の公共空間のリソースをシェアしながら、軽やかにそして開放的に住まうあり方は、われわれが未来の都市と建築を考える際にさまざまな示唆を与えてくれる。現在、福建省にて設計中の可動住居ユニットを用いたシェアコミュニティの考え方も、じつは胡同のこのような興味深いライフスタイルからヒントを得て発展させたものだ。
胡同のパブリック・トイレから、われわれの都市の未来、新たなライフスタイルの一端が垣間見えているのではないだろうか。
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公開日:2017年07月20日