海外トイレ事情 2
チリ、サンチアゴ ── ネイチャーとつながるトイレ
原田雄次(建築家、Smiljan Radic Arquitecto)
チリのパブリック・トイレ
ぼくはいま、サンチアゴの家の近所にあるカフェのトイレ近くの席を陣取って、この国のトイレ事情について思いを馳せている。ポツリポツリと人がやってきては用を足し、混雑すると、人々は所在なさげに壁のタイルを眺めている。男女それぞれの扉には「Varones=紳士」、「Damas=貴婦人」と書かれており、この表記はスペイン語圏でもチリ独自のものだと思われるが、かといってチリのトイレでエレガンスを感じたことは一度もない。
まずはこのチリという国の基本的なトイレ事情から説明することにしよう。日本からチリにやって来て感じたのはパブリック・トイレの少なさである。いまざっと挙げてみると、トイレが用意されているのは、公園、空港、バスターミナル、図書館・劇場などの文化施設、それにショッピングモールやレストランといったところか。日本のように地下鉄駅やコンビニのトイレが開放されていることはまずない。われわれ日本人が家や職場の外で利用するトイレの大半は、こうした街中に散らばる小さな点をつなぐようなスポットではなかろうか。一方でチリの場合だと、おそらくレストランが最もよく利用される(セミ)パブリック・トイレだろう。しかしそんな最も身近なパブリック・トイレですら「レストラン利用客以外お断り」と書かれているところも少なくない。そういう意味で、チリではパブリック・トイレという概念やそれに対する愛着は薄いように感じる。
そんななかで、私がパブリック・トイレで最もチリらしさを感じるのは、長距離バスターミナルのトイレである。こうした施設ではトイレが有料であることが多く、まず受付のおばちゃんに使用料の200-300ペソ(50円程度)を支払い、4、5回巻かれたトイレットペーパーを受け取る。というのも、こうしたパブリック・トイレでは個室に紙が備え付けてあることが少ないためである。一般的には上記のように受付でもらうか、個室の外に設置されているロールペーパーから自分で必要な分だけ切り取って個室に持ち込む。これはトイレットペーパーの盗難を防ぐためである。ここチリではトイレットペーパーすらも財産とみなされるのだ
そのためチリを訪れる際は、是非トイレットペーパーを携帯されることをおすすめしたい。肌触りの良い、ダブルの高級な財産を。
風景のなかのトイレ
チリの住宅のトイレは俗に言うユニットバスが一般的で、風呂・トイレ別という日本人がこだわる間取りはこれまで目にしたことはない。チリ人がもっぱら気にするのはトイレ云々よりも共用部にBBQ場があるかとか、屋外プールが付いているかどうかとか、イベント的な要素である。実際ぼくの勤めているスミルハン・ラディックの事務所のプロジェクトでも、トイレはごくシステマチックに収められていることが多いが、そのなかでも、いくつかのチリらしい、あるいはスミルハンらしい事例を紹介しようと思う。
まず事務所のプロジェクトのトイレで最初に頭に浮かんだのは、《レストラン・メスチソ》(2009)のトイレだ。メスチソは、無垢の玄武岩を構造体に用いたスミルハンの代表的な作品のひとつだが、ここではトイレの手洗い場も同様に、ごろごろとした玄武岩を切りっ放して洗面台として活用している。この一連の岩は、彫刻家マルセラ・コレアとのコラボレーションであり、レストランのインテリアと連続するユニークなトイレ・スペースとなっている。
もうひとつ特徴的だと感じたのは、ランドスケープのなかでのトイレの在り方である。海や山など自然のなかの別荘建築は、チリ現代建築シーンにおいて重要な役割を果たしていると思うが、こうした環境においては、普段奥へ奥へと押し込められがちなプライベートなトイレ空間が周囲の自然に向かって大きく開かれている。例えば海辺の週末住宅《カサ・ピテ》(2005)では、目の前の荒々しい太平洋を眺めながら便座に腰を下ろすことができる。
また森のなかの週末住宅《直角の詩のための家》(2012)では、バスルームの窓から周囲の深い緑の揺らめきが差し込んでくる。こうした環境においては、ともに周囲から隔絶されているがゆえに、トイレという最もプライベートな空間がもはやネイチャーという名の誰のものでもないパブリックな環境とつながっているのである。チリのエクストリームな環境がもたらす孤高さからくるトイレの解放。
チリでの生活や自然環境を通して、トイレというプライベートな空間の新たな可能性を模索している。
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公開日:2017年05月30日