海外トイレ取材 1
ヨーロッパの美術館のトイレについて
浅子佳英(建築家、タカバンスタジオ)
ニューポート・ストリート・ギャラリー(Newport Street Gallery/ロンドン、2015)
カルーソ・セント・ジョン設計による現代美術家デミアン・ハーストのギャラリー。ここもまた、舞台美術の制作工房だった古い建物をリノベーションしたもので、既存の建物の隣にのこぎり屋根の建物を新築して全体を繋げている。その結果、内部には切り妻、寄せ棟、のこぎり屋根が並び、既存の梁も含めて真っ白に塗られた現代的なアートギャラリーである。
ギャラリーのトイレは、授乳スペースの設置や車椅子への対応などがなされている一方、すべてのトイレに男女の区別がない。一組の男女が隣に並んだピクトグラムがすべてのドアに取り付けられている様子はとても新鮮だ。いわゆるLGBT対応の新しい取り組みであり、トイレのピクトグラムひとつでも、その思想を表現することができることを証明している。
クレーラー・ミュラー美術館(Kr_ller-M_ller Museum/オッテルロー、1938)
国立公園内にある豊かな自然に囲まれた美術館。建築は平屋のガラス張りで、緑に溶け込むように建っている。展示室にはゴッホを中心に素晴らしいコレクションが惜しげもなく並んでいる。この美術館だけは最近つくられたものではないが、見たことのないタイプのトイレだったので紹介したい。ただ、面白かったのはトイレ自体ではなく、トイレ内の物のレイアウトである。通常あるはずの洗面器の前に鏡がなく、ハンド・ドライヤーが並んでおり、鏡は背面の壁に別途取り付けられているのだ。通常とは逆のレイアウトだが、これならハンド・ドライヤーに移動するまでのあいだに、濡れた手から滴る水で床を濡らすことはなくなるし、鏡の前で髪をセットする人(髪型を直す男性は結構いる)で渋滞することもない。これが最善のレイアウトだとは思わないが、常識だと思っているトイレの些細な部分にすら、まだほかの可能性も残っているのだとハッとさせられた。
アムステルダム国立美術館(Rijksmuseum Amsterdamm/アムステルダム、2004-13年大規模改修)
映画『みんなのアムステルダム国立美術館へ』(2014)でも話題となった、市民の強い要望により、建物の中心を自転車道が貫通することになった美術館。もともとは地下へのアプローチとして使用するはずだった部分の大半が自転車道になったせいで、エントランスはごく小さな風除室があるだけだ。映画を観た時はさすがにやりすぎではないかと思ったが、実際に訪れてみるとその控えめな感じもけっして悪くはない。というか、むしろ良い。なにより内部空間は、既存の意匠を活かしつつも、美術作品を展示する場所として、とても丁寧にデザインされていた。
そして、興味深かったのが、トイレも通り抜けられるようになっていることである。一般的にトイレは、地下に置かれたり、フロアのなかでも最奥の見えない所に設けられることが多い。行き止まりをなくし、通り抜けられることによって、通常は暗いトイレが文字通り風通しの良い場所となっていた。大量の人が来た際の混雑の暖和にも一役買うだろう。
もうひとつ良かったのが、トイレとは別に用意された、廊下に面したアルコーブ状の半クローズなおむつ替えブースである。最近はトイレブースのなかに折り畳み式のおむつ交換台が用意されているが、いざ使ってみると、片手で子どもを抱っこしつつ、空いたもう片方の手でなんとか狭いドアを開け、さらに片手でおむつ交換台を壁から取り出して、ようやく子どもを寝かせることができるわけで、両手が塞がった状態では実際には使いづらい。このブースなら子どもをサッとベッドに寝かせたあと、隣に鞄のなかのものを広げて作業できるので非常に楽だろう。そしてなにより廊下に面していれば夫婦が一緒に使うことができる。
思想家の東浩紀は『ゲンロン0──観光客の哲学』(ゲンロン、2017)のなかで、グローバリズムの浸透によって世界中がつながった現在では、かつてのリベラリズムは急速に影響力を失い、リバタリアニズムとコミュタリアリズムしか残されていないと説いた。現在の美術館は、まさにその葛藤がわかりやすいかたちで表出している場所だと言える。数日間だけの特別な時間を過ごす観光客と、日常の暮らしを日々続けている地元民では、その利害が相反することも多い。アムステルダム国立美術館は、まさにこの問題が表出し、紆余曲折がありながらもその葛藤になんとか答えようとしていた。なにより、国立美術館のエントランスホールから、その真上を自転車がひっきりなしに通り抜ける様子が見えるというのは、ほかの街では見られないとてもアムステルダムらしい光景であり、その光景は、地元の人々の利便性を最大限確保することがそのままそこでしか体験できない場所を生み出すという、現代の観光のひとつのかたちだと言えるだろう。
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公開日:2017年07月20日