海外のパブリック・スペースから 6
ベトナム、ハノイ──歴史とあふれだしがあるパブリック・スペース
宇佐美喜一郎(建築家、1+1>2 Architects)
歴史とともにあるパブリック・スペース
皆さんはベトナムという国にどのようなイメージを持たれているだろうか?
現在、ベトナムの主要都市は、急速な経済発展とともに都市や大規模建築の開発が進み、現代的な都市の様相を呈し始めている一方で、仏領インドシナ時代からある街並みや風景が残っているため、新旧が共存している。また、各々の都市には川や海、湖などの美しい天然資源がある。これまで私はベトナムの3つの都市(ホーチミン市、ダナン市、ハノイ市)で生活した経験があり、現在も首都ハノイ市に居住している。
ハノイ市では人々の生活が街に表出する「あふれだし」が最も顕著にみられる気がしており、それは、ハノイ市が辿ってきた歴史に起因すると思われる。よって、パブリックスペースについて考察をする前に、まずはベトナムの歴史について簡単に紐解いてみる。
革命家ホー・チ・ミンによる1945年の独立宣言(仏領インドシナからの独立)により、ベトナムは南北に分断され、北部にはハノイ市を首都としたベトナム民主共和国(ソ連と中国の支援)、南部にはベトナム共和国(米国の支援)が誕生した。その後、ベトナム戦争が起こり(1975年に終戦)、南北が統一される。ハノイ市は、独立以降ずっと社会主義国家の首都であるため、社会主義の様相をより感じることができる。また、ハノイ市は政治や外交の中枢であり、10以上の大小さまざまな湖が点在している面において、ほかの都市と異なる特徴を持っている。
ハノイ市に点在している湖の周囲には、独立や南北統一の願望の象徴として設立された公園があり、日本の昭和の雰囲気を思い出させるようなレトロな遊具や広場が充実している。一方で、そうした公園の周囲では、個人や個人の集まりが、異なるアクティビティをみせ、プライベートとパブリックの中間のようなスペースとあふれだしがある。
今回は、ハノイ市にある公園の周囲におけるパブリック・スペースをメインに、街なかのスペースでみられる人々のアクティビティやあふれだしを紹介する。また、ハノイ市を拠点とする設計事務所「1+1>2 Architects」による、あふれだしを意識して設計した教育施設を事例として紹介し、ベトナムのアーキテクトの実践も探っていこうと思う。
公園の周囲における「あふれだし」
1960年に開園したトンニャット(統一)公園の近くには、ティエンクアン湖という小さな湖がある。そこでは、以下のような人々のあふれだしをみることができる。
湖を囲うようにボードゲームを楽しんでいる男性の集まり、理容師に散髪してもらっている男性、親子で過ごす人、静かに過ごしている人や、声をあげて楽しんでいる人もみられる。人々はそれぞれのアクティビティを楽しんでいるが、ひとつの湖の周りに集まっており、そうした人々の距離間から他者の存在を尊重しながら過ごしている印象である。
1975年に開園したトゥーレ公園の周囲では、建替工事の現場の内部と外部を使い倒した露天の喫茶店によるあふれだしをみることができる。仮囲いの内側に厨房を設置し、外側にプラスチックの椅子を置いて、露天の喫茶店を営んでいる風景がある。内側の厨房をみせてもらうと、冷蔵庫のほか店主自身で設置したとみられるシンクや戸棚がみられ、工事の現場と連続する出入口もみられる。工事関係者がいたため、残念ながら撮影はNGであった。
喫茶店の店主に話を伺ったところ、彼女はこの建替工事の以前から、この場所で5年間喫茶店を営んでおり、工事のために立ち退きを求められたが、この場所が好きなので、工事中も使用させてもらうよう交渉した結果、使用の許可をもらえたようだ。これらのスペースでは緑が溢れていて日陰があり、湖のほとりは冷気によって涼しく、自然と人間の親和性を感じることができる。
街なかにおける「あふれだし」
私の好きなベトナム料理のひとつに、魚の出汁に米麺、揚げた魚を添えたBUN CA(ブンカー)という料理があり、私がよく利用をするブンカーの店では、独特なスペースの活用がみられる。隣の店を隔てて路地があり、そこでは週末は洗濯物が干されているが、平日のランチタイムの混雑時になると、既設のオーニングとテントを拡げて、食事のスペースが拡張される。そのスペースは別の屋台の商いにも使用され、ストリートに対する共有性を感じることができる。
ストリートの先にある交差点では、人々が盛んに通過・接触し、果物や野菜、肉や魚といった食べ物を扱う露天商があふれだしており、露天商は歩道に座り、建物側と車道側を使い倒している。車道では、自転車による花の商いもあり、朝と夕方はとくにあふれだしが強い印象がある。
こうした露天商は、ホーチミン市では観光スポットの周囲で多くみられたが、ハノイ市では観光スポットの有無にかかわらず、露天商が人々の生活圏にも多くみられ、どこか社会主義的な自由かつ平等な思想を感じる。しかし、実際のストリートでは、平然と歩道へのオートバイクの乗入れがあり、危険な側面もある。
街なかにあるパストゥール公園は日本の地区公園のような場所で、自宅の近所ということでよく利用する公園である。この公園には、人工知能による水の汚染濃度の算定と濾過の機能を持つウォーターサーバーや、衛生機能が整備されたトイレなどがあり、それらは、企業の投資により設置されている。このような企業によるパブリック・スペースへの投資は近年さらに行なわれているようである。しかしこうしたパブリック・スペースの整備が充実する一方で、良い景観を持つ湖の周囲や既存のストリートなどの地価が急速に上がり、既存の周辺店舗が販売価格を上げざるをえなくなる可能性があるため、人々の居心地やあふれだしが喪失しないかという不安がある。
アーキテクトの実践
ハノイ市のパブリック・スペースには多くのあふれだしがあることを踏まえて、今後失われていく可能性のあるベトナムのあふれだしを再構築することを建築の理念として掲げて実践している1+1>2 Architects(設計者: ホアン・サック・ハオ氏[創設者、チーフアーキテクト]、グエン・ヅアイ・タン氏、トアン・ナム氏)が設計した教育施設《Da Hop Education》を簡単に紹介する。
《Da Hop Education》は、ハノイ市から少し離れたホアビン省に位置し、敷地の周辺には、美しい山とロードサイドのような雰囲気がある。建物の外観や屋根の形状をはじめとする要素からは、建築とランドスケープを統合させるコンセプトを読み取ることができる。
平面計画は、グリッドのプランを基本とし、街なかでみられた人々のあふれだしを前提とした、最小限の機能を持つ教室と水まわりを配置している。また、各教室が均一な学習環境を持つことや建物内に空気が循環すること、雨水を再利用することも意図されている。
この建物は、子どもにとって安全であることを前提に、建物が周辺環境と接続する文脈を持っている。さらに各スペースには個性があり、視線が抜け、内部のスペースだけでなく外部のスペースにも活動があふれだしており、子どもの意欲を抑制するのではなく許容する創造的な教育施設である。
ベトナムは、日本と比較して子どものための教育施設やパブリック・スペースが充実しているとはいえない。公園では子どもをみかけることが少なく、危険を伴うストリートで子どもが走り回っている様子や、スマートフォンを片手に商業施設に集まる風景をたびたびみかける。実際私の友人は、母親の多くは子どもを外で遊ばせる場所が限られていることに悩みがあると教えてくれた。大小問わず子どものためのスペースが充実することは重要であり、アーキテクトによって教育施設が手がけられる意味は大きいだろう。
1+1>2 Architectsは創業15年目の設計事務所であり、元々は日本の工務店に近い仕事の形態であった。創業初期は竹をはじめとする地場素材による構法のノウハウを蓄積し、その蓄積と実践を経て技術的な知識を持つ設計事務所として展開してきた。現在は基本設計から実施設計まで、ほとんどBIM(ビルディング インフォメーション モデリング)を使用し、先進的なデザインの生産を行なっている。デザインの生産方法に関しては、日本はベトナムより遅れている印象がある。また、先に紹介した大規模な教育施設だけでなく、インフラが整備されていない地域で、地場素材による低コストで小規模な学校や住宅のデザインも手がけている。
未来のパブリック・スペースに向けて
私はベトナムの3つの都市での生活を通して、歴史が独特なあふれだしやアクティビティを表出させていると考えている。また、ベトナムの人々の意識のなかに、場を共有することに対する強い情熱があることを感じる。
ベトナムには専門家が関与しないからこそ存在する、地場の人々が時間をかけてつくりあげたパブリック・スペースの理念があると思う。しかし、これらでみられるあふれだしやアクティビティが今後、失われていく可能性があることを深刻に考えたい。
ベトナムにおいてアーキテクトという職能が生まれたのは最近のことであり、近年では小規模建築だけでなく大規模建築や公的な都市計画にも関わるようになってきた。環境や歴史、慣習の文脈を読む能力を持つアーキテクトが今後のパブリック・スペースのデザインに関与することで、長い時間をかけて持続的に使用される場が築かれていくことを期待する。
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公開日:2019年12月25日