海外のパブリック・スペースから 2

イギリス、ロンドン──デザインの専門家が支えるプラスの循環

袴田早矢香(建築設計事務所勤務)

London is Open

2016年、 EU離脱を問う国民投票の結果を受けて、ロンドン市民たちは絶望した。ロンドンで暮らしていると、出身国、人種、宗教、性別、年齢、性的指向、何だって多様で受け入れられる、そんな楽観的な考え方と、周りの寛容さに慣れきっていた。特にEU出身者たちは、一晩でその考えが逆転する。もしかして自分たちは歓迎されていないんじゃないかという不安に直面させられた。これを受けて、ロンドン市長サディク・カーン氏が「London is Open」 キャンペーンを発表した。ロンドンはオープン。誰にでも。今までも、これからも。

イギリスにおけるパブリック・スペースの歴史

産業革命の後のイギリスは機械の導入によって生産性が向上し、多くの工場経営者たちは巨額の富を築きあげた。そのようななかで、実業家ロバート・オーウェン(1771-1858)は「pleasant manufactory(快適な工場)」という思想を掲げ、労働者たちの労働環境の向上に取り組むことになる。オーウェンがスコットランドのNew Lanarkで実践した労働時間の短縮、労働者への教育、野外に設けたレクリエーション・スペースは、モデル・コミュニティとしてイギリスの各地に広がった。このときにすでに、屋外のパブリック・スペースが人々の生活、健康の向上に直接つながることが認識されていた。1800年代初期に始まったこの考え方が、その後のイギリスにおいてパブリック・スペースに対する意識の基盤をつくったと言えよう。東ロンドンにあるヴィクトリア・パークもその流れを引き継ぐ公園で、19世紀半ばに完成した。

Victoria Park

ヴィクトリア・パーク
(以下すべて筆者撮影)

Victoria Park

冬のヴィクトリア・パーク

昨今のパブリック・スペース

最近開発されたパブリック・スペースの多くは、ディベロッパーによって開発され、管理されている。住民やテナントだけでなく、誰でも利用することができる。St. Pancras駅の近くの広場、Granary Squareや、ロンドンオリンピックで選手村として利用され、今はソーシャルハウジング(団地のようなもの)とプライベート所有、賃貸の混ざった集合住宅地となっているEast Villageなどがそれにあたる。新しく開発された集合住宅は、ルーフトップ・ガーデンや、グリーン・スペースがあると高く売れるため、ディベロッパーたちもその価値を見直し、マーケティングに利用するようになった。行政がパブリック・スペースの提供を建築許可の条件としていることもよくある。現在建設中の BIG and Heatherwick StudioによるGoogleの新社屋や、商業高層ビルWalkie Talkieの中のSky Gardenなどは民間の開発によって建物内にグリーン・パブリック・スペースが提供される例である。

Granary Square

Granary Square

East Village

East Village

行政が管理するパブリック・スペースに対して、これらのパブリック・スペースは「privatised public space」と呼ばれ、一見しただけでは前者と区別がつかない。しかしそれらの多くが独自のルールを掲げ、監視カメラや警備員が訪問者の行動をチェックしている。普通に遊んだり休んだりしている分にはいいが、抗議活動やインタビューなどをしているのが見つかると、連れ出されることもある。前に述べたEast Villageにはいくつも小さな公園が点在しており、誰でも利用することができるし、見た目は普通の公園と変わらない。民間の管理なので清掃、セキュリティはよく行き届いている。住民が支払わなければならない管理費は高いようだが。

East Village、民間の管理が行き届いている

East Village、民間の管理が行き届いている

もうひとつ、昨今のパブリック・スペースの議論のなかで耳にするのが「Beautification」という言葉。ただパブリック・スペースを多く提供すればいいという議論から、パブリック・スペースは美しくなければいけないという、量から質への変化である。

文化施設内のパブリック・スペース

最後に、ロンドンのパブリック・スペースを語るうえで忘れてはいけないのが、文化施設内のパブリック・スペースである。イギリスでは、国立の美術館、博物館の常設展への入場料は無料である。これは1997年に当時の労働党政権によって再導入された方針である(企画展は有料)。本来入場料で得られる収入を政府の予算で支えることによって、誰でも無料で中に入れることができたのだが、近年、その予算の削減にどの施設も悩まされている。そのようななかで、減った収入を賄うため、施設内のパブリック・スペースの質を向上させることで訪問者数を伸ばし、ミュージアムショップやカフェ、レストランを通じて収益を増やすという取り組みが多く見られる。筆者は2016年から、Barbican Centreという文化施設のホワイエの改善プロジェクトに関わってきた。もともとコンサートホールやシアターの付属でしかなかったホワイエを、そこを目的に訪れたくなるような場所にすることを目指すプロジェクトである。各エリアにキャラクターを与え、それに見合うような新しい家具を配置し、空間の美しさを保つためにするべきこととしてはいけないことをまとめたスタイルガイドを作成した。少しずつだが、訪れたくなる空間になってきている(残念ながらプロジェクトは非公開)。

Barbican ***クレジット確認***

Barbican Centreのホワイエ改善プロジェクト

また、Tate Modernや、大英博物館にも広い屋内のパブリック・スペースがある。

Tate Modern

Tate Modern

Tate modern turbine hall

Tate modern turbine hall

パブリック・スペースから生まれる価値

前に述べた「パブリック・スペースは投資する価値がある」という考え方を証明するのがGreater London Authority(大ロンドン庁)がコミッションした「Natural capital accounts for public green space in London」というレポートである。それによると、行政が公園に1ポンド投資することで得られるロンドン市民に還元される利益は27ポンドだという。この利益には身体的・精神的健康の向上、住宅価値の上昇などの経済効果、環境利益(気温上昇を抑えること、二酸化炭素の削減など)が含まれる。パブリックな公園のおかげで、ロンドン市民たちは医療費を総額9億5,000万ポンドも削減できているという。イギリスは国民保険サービス(NHS)によって医療が賄われており、医療費は政府負担なので、国民、もしくは長期滞在者が病気にかからないことによって国が受ける利益はとても大きいのだ。これは行政側がパブリック・スペースに投資する十分な理由と言える。

オープンスペースが人々にもたらす利益

オープンスペースが人々にもたらす利益

以上のように、ロンドンは開かれている。パブリック・スペースによって。それは行政や経営者が、パブリック・スペースのもたらす利益を理解し、ストラテジーレベルでその向上に励み、デザインがもたらす付加価値が理解されて、そこに投資がされているからだ。上述のどのプロジェクトも、アーバンデザイナー、ランドスケープアーキテクト、建築家というデザイン専門家によるインプットがあったものである。ロンドンから学べることは多い。

袴田早矢香(はかまた・さやか)

慶應義塾大学環境情報学部、東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修了(大学院在学中ウィーン工科大学へ交換留学)。2009年からロンドン在住、建築設計事務所勤務。

このコラムの関連キーワード

公開日:2019年08月28日