パブリック・スペースを創造する 3

〈ひとり空間〉の時代に移動はいかに可能か

南後由和(社会学者、明治大学) 聞き手:浅子佳英(建築家、タカバンスタジオ)

都市の〈ひとり空間〉、地方の〈ひとり空間〉

浅子

ありがとうございました。とても興味深いお話でした。まずは、最後に話が出た「コミュニティとコミュニティの隙間」について伺います。これを聞いて思い出したのは、『ひとり空間の都市論』でも触れられていたイーライ・パリサーの〈フィルター・バブル〉です。今や忘れつつありますが、インターネットやブログ、そしてSNSが台頭しはじめたころは現実空間のさまざまな問題を乗り越える新たな場所としてよいイメージで語られることが多かったですよね。ブログやツイッターを読んだ人が知識をアップデートし、フィードバックを介して発信者自身もアップデートできるというように、相互にポジティブな刺激を与え合う場として語られていました。そしてその発信者はこれまでのマスメディアや有名人に限らず、誰もがおこなくことができるという点も重要視されていた。有名なのは梅田望夫さんの『ウェブ進化論──本当の大変化はこれから始まる』(ちくま新書、2006)です。しかし、近年インターネットやSNSの負の側面も次第に目に見えるようになってきた。そして〈フィルター・バブル〉とは、検索やSNSにおいて自分が見たくない情報を遮断し、都合のよい情報だけを手に入れる、あるいは好きな人だけに囲まれて暮らすことへの欲望を強める状態のことを指します。こうした環境は検索履歴などから勝手にサジェストされつくり出される。「あなたが欲しい情報はこれです」と検索のアルゴリズムが教えてくれて、ツイッターのタイムラインのように自分用にカスタマイズされていきます。極端な例ですが、ネトウヨと左翼が見ているタイムラインはまったく違うので、世界には自分と異なる考えの人がいることさえ忘れてしまうことだって容易に起こり得ます。互いにフィルターに囲われたバブルの中で、違う世界を見て生きている。このような現状認識のなか、今は異なるコミュニティとコミュニティの隙間をどうつなぐのかという問題を考えていかなければならない。南後さんの問題意識はそんな現状も念頭に置かれたもののように感じました。

南後

おっしゃる通りです。SNSの普及によって、同じ趣味や価値観を持つ人同士のマッチングの精度が向上しました。その一方で、従来の物理的な都市空間が内包していた異質な他者との遭遇可能性や偶発性は減退するようになりました。このことは、異質な他者を排除することにも向かいがちです。こうした分断はSNS拡大による負の側面だと言えます。

浅子

トランプのような大統領が出てきたことも、その分断と関係があると言われています。〈ひとり〉と〈みんな〉の対比のお話は、離脱と共有の両方が可能な状態をつくり出すことが大切だという話ですよね。例えば、どこも村社会だった以前の社会は生涯同じコミュニティに属するので共有することは容易な一方、一度離脱するともはや復帰は難しくなる。逆に、現代の都市では単独で居ることは容易になった一方で、共有することが難しくなっている。コミュニティといった言葉が最近頻繁に取り沙汰されるのは、そのような両極端の状態しか選択肢がないためではないでしょうか。南後さんが挙げられていた事例が興味深かったのは、〈ひとり〉にもなれるけれど、ほんのひとときを誰かと共有しているかのような感覚をも体験できるようなものばかりだったことです。南後さんの関心はこの2つをスイッチできる装置をどうすれば都市に埋め込めるかというところにあるのではないでしょうか。

南後

そうですね。都市において〈ひとり〉でいる状態と〈みんな〉でいる状態をスイッチングできる空間や制度が、どのように担保されているのかについて考えることが重要だと思っています。その切り替えは、都市にかぎらず、都市と地方との関係にも当てはめてみることができるのではないでしょうか。今日は都市の話に限定しましたが、近年はモビリティの変化もあり、多拠点居住のようなかたちで都市以外にも複数の拠点を持つ人が増えてきています。都市では近隣コミュニティとの関係性を持たないようにしている人でも、地方では多様な人間関係を築くことに積極的な場合がありますし。

浅子

一方で、タイトルだけで中身を読まない人からすれば、〈ひとり空間〉は都市の話で地方には関係ないと受け取られかねないなと思ったんですね。しかし反対に、地方のコミュニティの話ばかりしていたのでは、都市の人からは自分たちには関係ない話だと受け取られてしまうので、分断はさらに大きくなっていく。だからその2つを分けて考えるより、同じ現象として捉える方がはるかに生産的です。地方でも〈ひとり〉になれる状況をつくり出せる装置や技術があるのか、またそこにはどのようなリスクがともなうのか、ひとりと群衆と同じように、やはり都市と地方も個別にではなく、両方読み込むべきだと感じました。都市部でも孤独が自明のものと捉えるのではなく、他者と何かを共有しているかのように感じられる装置や仕掛けはもっとあっていいし、都市と地方もどこかでつながっているはずなのだから一体的に考えるべきとだという思いを強くしました。

個室化の進展と顕在化する世帯内単身者

浅子

もう1つ、「移動」の視点も重要なポイントですね。地方の住む伝統的な共同体から解き放たれた個人が独り立ちして都市に移動した後、会社に勤めたり家庭を持つことで再び別のコミュニティに埋め込まれる──、こうしたモデルが近代の典型だったとすると、それが当てはまらなくなっていったのが後期近代だと思います。そして、『ひとり空間の都市論』を再読して気がついたのは、〈ひとり空間〉を単独の事象としてみるのではなく、ひとり空間の変遷というかたちで長いタイムラインで見てみると、ある個人が近代を経て子どもという新たな個人を生み出し現代に至るという長いストーリーとしても描けるということです。

例えば、1970年代以降、東京でも木賃アパートが増加し、地方から出てきた単身者がそこに住み始める流れがあります。木賃アパートは個室ながら風呂やトイレが共同だったことで個人的な空間でもあり、集団的な空間でもあったと言えます。それが80年代に入るとワンルームマンションが主流になり、完全に個室化する。これと時期を同じくして、カラオケや個室ビデオが登場します。地方から出てきた個室を持つ人たちが、都市のなかにも〈ひとり空間〉を求めるようになっていく。さらに80~90年代にはこうした都市居住者が郊外に家を建て、自分たちの子どもにも個室を与えるようになった結果、個室化はますます進みました。そして、2000年代以降は家族と同居する単身者(世帯内単身者)が顕在化します。つまり、70年代以降の居住空間としてのひとり空間は木賃アパート→ワンルームマンション→郊外型マイホーム→実家と移り変わっていく。このように〈ひとり空間〉だけに注目することで逆に社会の変化が鮮やかに浮かび上がってくる。まさにビルディングタイプの変遷が〈ひとり空間〉の登場を導いたことがよくわかります。

そして、ここからが質問であり、〈ひとり空間〉への批判でもあるのですが、僕は世帯内単身者が増えたことにとても興味を引かれます。かつては地方から都市への物理的な距離のジャンプ=大きな移動もあれば、扶養から独立して企業に勤め、やがて家族を持つ社会の構成員になるという社会的階級のジャンプもありました。しかし、世帯内単身者は実家に住み続けるために物理的な移動はなく、多くの場合は社会的な立場にも大きな変化がありません。ライフステージにおける移動がまったくないと、他者の存在を想像することが次第に難しくなっていくのではないか。そして他者を知る機会がなくなると思想の保守化にもつながりかねない。〈ひとり空間〉には諸刃の剣のような一面もあるのではないでしょうか。この社会でどうやって個人を開き、拡散させていくべきかを考えなければならないように思います。

南後

世帯内単身者については『ひとり空間の都市論』では十分に扱うことができていませんが、今後その数はさらに増加していくだろうと思います。かつての若者の引きこもりが長期化し、高齢者の親と50代の子どもがともに孤立していく、いわゆる「8050問題」も取り沙汰されるようになりました。また、多くの世帯内単身者が親と住んでいるであろう郊外の住宅はますます維持が難しくなります。こうした空間のゆくえについて知恵を出し合う必要がありますが、例えば、郊外の戸建住宅をストックとして活用し、一階を地域に開いたり、シェアハウスとして使ったりといった事例も出てきましたね。

浅子

もちろんいろいろな案があるとは思いますが、郊外の住宅を地域に開こうとか、シェアハウスとして供出しようというポジティブな発想は、そもそも都市で1人で暮らせる人のものだと僕は思うんですよね。むしろ僕が関心を持っているのは、実家やその周辺から出られなくなっている世帯内単身者が、もう一度「移動」を経験できる装置や機会をつくれることができないかということなんです。

〈ひとり空間〉とコミュニティをつなぐもの

浅子

なぜこんな話をするのかというと、最近読んだ本にショックを受けたからです。それはアメリカの政治学者ロバート・D・パットナムが著した『われらの子ども──米国における機会格差の拡大』(柴内康文訳、創元社、2017)です。その前にパットナムについて簡単に紹介しておきます。彼は、『孤独なボウリング──米国コミュニティの崩壊と再生』(柴内康文訳、柏書房、2012)という著書で有名です。『ひとり空間の都市論』のなかでも触れられていたかと思います。パットナムによれば、ボウリングはもともとアメリカのコミュニティの象徴で、昔からみんなが集まって興じる遊びの定番でした。しかしあるとき、ボウリング場に1人でやってくる客が増えている実態が明らかになった。パットナムは社会でいったい何が起きているのかと調べ始めます。そうして彼が発見したのがソーシャル・キャピタル(社会関係資本)の喪失でした。教会や学校をはじめとしたコミュニティは、じつは個人主義をベースとしたアメリカ社会にとって大きな資本なんですね。資本と言うとお金や不動産を連想しがちですが、それだけではありません。例えば、病気や失業のときに助けてもらえる社会関係の有無は、自分の生活に大きく影響します。パットナムはこうした資本が社会から急速に失われているのをつきとめ、警鐘を鳴らしたわけです。

『われらの子ども』は、その続編のようなものにもなっています。ここでパットナムはアメリカ中の家族を取材し、彼らの様子を物語風に描きました。なかでもとても印象深いのが、郊外の一軒家に住む母親と娘の話です。教育熱心なこの母親のセルフイメージは裕福ではないけど貧しくもないというものです。そして現在の地位を自らの努力で得たと思っている。だから自分の子どもにもそうしてあげなければならないと考え、教育に力を入れる。その努力はかなりのもので、小さな子どもの頃は仕事をセーブして読み聞かせをする。大きくなってからも成績が悪かった際に教育委員会に訴えたり、推薦をとりつけるために校長に直談判までする。実際、彼女の子どもはよい大学に入学するのですが、その一方でダウンタウンの路上をうろつく娘と同い歳ぐらい黒人の男の子を見て、彼が進学できないのは彼や彼の両親の努力が足りないからだと、その母親は漏らすんですね。

もしかすると、これを聞いてもなにが問題かわからない人もいるかもしれませんが、要は格差が世代を超えて再生産されてしまっている。そしてそのことに自覚がなく、男女や人種差別が克服しつつある影でアメリカン・ドリームはなくなりつつある。アメリカン・ドリームが重要なのは1代で逆転するチャンスがあり、それを希望だと人が信じられたからです。こうした母親が生まれたのは、コミュニティが衰退し、周囲に自分とは違う環境の人が見えない状態になり想像力も失われてしまったからだとパットナムは述べています。そして、今の日本も似たような状況になりつつあるのではないでしょうか。同じ学校に裕福な子どももいれば、貧しい家庭の子どももいるという状態を経験していないと、こういうことは起こりうる。この本のなかでパットナムは社会のすべての子どもたちを自分たちの子どもだと考えるべきだというメッセージを発しています。その意味で『われらの子ども』という書名はとても示唆に富んでいる。〈ひとり空間〉は有用な反面、大きな分断も招くおそれがあると思うんです。〈ひとり空間〉でその恩恵を受けるのと同時に、移動を通してほかの世界を知る機会もつくらなければならないんじゃないか。

南後

人種や宗教や性などの多様性(ダイバーシティ)にアメリカのほうが富んでいますが、パットナムの本でも書かれているように、そのアメリカでも、個人と国家のあいだにある中間集団が希薄化しています。日本はよりシビアな状況でしょう。他方で、僕が〈ひとり空間〉に関心を持つ理由には、同質化への違和感もあります。日本にこれだけ〈ひとり空間〉が浸透しているのは、同調圧力から逃れたいという欲求の裏返しであると言えるかもしれないからです。ただし、日本の〈ひとり空間〉の実態を見ると、その空間的形態やそこでの振舞いがどれも似通っていて、新たな同質化が起きていることは皮肉です。

浅子さんがおっしゃるように、〈ひとり空間〉とコミュニティのいずれにおいても、モビリティについて考えることは重要ですね。コミュニティ間を移動して、複数のコミュニティと濃淡さまざまな関係性を持つことを含めて。その一方で、移動できる〈ひとり〉は強い〈ひとり〉なので、移動をめぐる格差について考える必要があります。

郊外住宅は、日本の鉄道依存型都市が生み出した典型的な風景でした。職場までの通勤時間が長くても郊外の庭付き戸建住宅を所有することが戦後日本の核家族の理想とされ、「住宅双六」の上がりとされました。都市の駅前に見られるカプセルホテルのような「ひとり空間」も、終電を逃したサラリーマン向けの宿泊施設として創業したという点で、鉄道依存型都市が生み出した、もうひとつの典型的な風景です。このような風景は、交通というモビリティと働き方やライフスタイルが合わさって形づくられてきました。鉄道依存型都市のモデルを否定する必要はないかもしれませんが、今後はこれまでとは異なるモビリティや移動の速度から、新しい働き方やライフスタイルが生まれる可能性があるのではないでしょうか。

新宿区役所前カプセルホテルのインテリア

新宿区役所前カプセルホテルのインテリア
提供=東陽メンテナンス

SNSが導く〈中間空間〉の変化

会場

会場1

世帯内単身者は移動しないというお話がありました。物理的な空間のなかでそれを解決するヒントになるようなものはありますか? 例えば、アニメの舞台となった地域が特定され、ファンがその場所を詣でるといった文化があります。あるいはインターネット上ではニコニコ動画や2ちゃんねるにも、視聴者に移動を促す側面があるように思います。物理的空間でもこうした移動を促すものはないでしょうか。

浅子

僕はずっとショッピング・モールに興味があって観察をしてきました。なぜなら移動や異なるコミュニティ間の接点になる可能性を感じているからです。そして、「家族」という複数の世代をひとまとめにしたグループが訪れる場所でもあるからです。バンコクのショッピング・モールでは高級ブランドの店舗と、地元の人が普段通う総菜屋が同じ建物の中で共存していて、観光客と地元の人が出会う空間になっている。彼らが実際にそこで交流するといったことは起こらないかもしれませんが、とはいえ、同じ建物内の同じエスカレーターで移動するだけでも、何かしら働きかけるものがあるのではないかと思いました。ちなみに、今のニコニコ動画にはかつてほどのコミュニティ横断性がないような気がします。物理空間とインターネットの違いはわかりませんが、新しい空間やサービスをどんどん考え、実現することには可能性があるように感じています。

バンコクのショッピング・モール

バンコクのショッピング・モール「ターミナル21」の巨大な吹き抜け
撮影=浅子佳英

南後

これまでの日本の鉄道依存型の都市では、駅という「点」をつくり、それをつなぎながら「線」を引き、その周辺で「面」として住宅地をつくる開発手法が一般的でした。しかし、モバイルメディアやソーシャルメディアが普及した現代では、人の移動は必ずしもこうした点→線→面の構造に規定されるわけではありません。たとえ駅から離れていても、口コミなどで評判の場所があれば人は足を運ぶように、点から点へとダイレクトに移動する、新しいモビリティのあり方が見られるようになりました。情報空間はスケールフリーで拡張し、物理距離を無効化する傾向にありますが、それを一定の地理的スケールの範囲に埋め込んで持続的なものにしていく方法を工夫するなど、情報空間と物理空間の重なりのローカル化に何らかのヒントがあるのではないでしょうか。

会場2

冒頭で都市部では〈中間空間〉が〈ひとり空間〉化しているというお話がありました。かつて人の交流の場であったはずの〈中間空間〉とは、具体的にはどんな場所だったのでしょうか。

浅子

昔こそきちんとした交流場所が設けられていたというわけではなく、また、そうした場所が今は完全に消えてしまったわけでもないのですが、先ほどパットナムの話をしたので僕自身が体験したアメリカの例を出すと、僕は大学生の夏休みに1カ月半ほどオクラホマの梨園に住んでいたことがあるのですが、現地で仲良くなったスケートショップに集まるようなな若者でさえ、日曜日になると教会に行っていました。当時はアメリカにおけるキリスト教はここまで生活に溶け込んでいるのかと驚きましたが、現在はかなり減っているとのことです。他にもPTAの集まりやこども会、会社の野球大会など、わずらわしいと思われて消えていったものが中間領域として意外と効いていたということはあるような気がします。

南後

例えば、SNSがなかった時代のサロンを考えてみると、かつては「とりあえず」そこに足を運び、顔見知りになるまでに相応の時間やプロセスが必要でした。しかし、今は「あらかじめ」SNSによって、そこがどういう場所で、どんな人が集まっているのかを知ることができます。最近は、オンラインサロンも普及しています。サロンという交流の場自体は昔からありますが、その開き方や閉じ方が変わってきているように思います。

評論家の宇野常寛さんが『日本文化の論点』(筑摩書房、2013)のなかで、インターネットの普及によって、地理と文化の結びつきが希薄になったと指摘しています。実際、裏原宿のストリートカルチャーのように、かつてはその場所特有の文化が色濃くありましたが、地理と文化の結びつきが希薄になる一方で、一定のサイズ以上のハコ型施設があれば、どの地方でも同じようなイベントをして集客できるようになりました。しかし、作家の平野啓一郎さんが『私とは何か』(講談社、2012)で、対人関係ごとの複数の自分を〈分人〉と呼んだことに倣えば、〈分人の空間化〉に光を当てること、例えば、複数の地域と多様な関わりを持つことは、文化を再びローカルな文脈に埋め込み、地理と文化が新たな結びつきを持つことにつながるかもしれません。

浅子

地理と文化が希薄になった話も〈分人〉の話も大変良く分かります。というのも実は西澤徹夫さんと現在進めている《八戸市美術館》で、まさにそのことを設計の最初期に議論していたからです。《八戸市美術館》では、ホワイトキューブというニュートラルな空間だけを用意して、そこであらゆる展示に対応するという方法はとっていません。そのかわりに映像展示向けのブラックキューブや、展示ケースをもったケースギャラリーやその場で制作のできるスタジオなどをホワイトキューブと等価に見えるように並べています。それは現代のアートが多様になったことへの建築家からの具体的な解答であるのと同時に、〈分人〉のようにひとりの人間がさまざまな面を持っているということへの、空間からの解答でもあるのです。そして、それは宇野さんの言う、サイズさえあれば場所や空間は問題にならないという現状へ解答でもある。

現在、問題はわりとはっきりしていると思うんですよ。格差の固定化や、排外主義は問題だし、多様性や寛容性をどうやって持ち続けることができるのかということはそれぞれの分野で誰もが考えていると思う。ただ現状は、「コミュニティが大事だ」、「中間領域を考えなければならない」というフレーズだけが独り歩きして、具体的な策はありきたりのものばかりという状況が続いているように僕には見える。ひとり空間の都市論が興味深かったのは、ひとり空間に焦点を絞ることで、コミュニティや社会の問題を逆照射する機能があったからです。シェアハウスは、コミュニティを生み出すから大事だというありきたりの見方を超え、シェアハウスはひとりにもなれるし一緒に過ごすこともできる、両者を行き来する技術だと捉え直すことができる。

そして今後についていえば、学びや遊びが重要になると考えています。再生産する場所、具体的には子どもをどう生みだし、育てていくかということを考えれば、必然的に遊びや学びを考えなければならない。それは〈われらの子ども〉という本当の子どもだけではなく、東浩紀さんが『ゲンロン0──観光客の哲学』(株式会社ゲンロン、2017)のなかで述べていたようにスタッフや観客なども含んでいる。だからこそ21世紀は、比喩ではなく、具体的に遊ぶということを真剣に考える時代になると思っています。どんなものだって、遊びにはなるし、学びにもなる。「遊びや学びが誘発される場所とはどのような空間なのか」という問いに答えることが、建築家として重要になってくるのではないでしょうか。そして、この問いはまさに南後さんが研究しているコンスタントと密接な関係があるでしょう。とはいえ、時間が来てしまいました。続きはまた別の場所で議論させてください。本日はありがとうございました。
[2020年1月30日、発酵するカフェ 麹中にて収録]

南後由和(なんご・よしかず)

1979年生まれ。社会学者、明治大学情報コミュニケーション学部准教授。東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。東京大学大学院情報学環助教などを経て現職。専門は社会学、都市・建築論。著書に『ひとり空間の都市論』(筑摩書房、2018)、『商業空間は何の夢を見たか──1960~2010年代の都市と建築』(共著、平凡社、2016)ほか。

浅子佳英(あさこ・よしひで)

1972年生まれ。建築家、デザイナー。2010年東浩紀とともにコンテクスチュアズ設立、2012年退社。作品=《gray》(2015)、「八戸市新美術館設計案」(共同設計=西澤徹夫)ほか。共著=『TOKYOインテリアツアー』(LIXIL出版、2016)、『B面がA面にかわるとき[増補版]』(鹿島出版会、2016)ほか。

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公開日:2020年03月30日