パブリック・フロントランナーズ 11
徒歩圏開発モデルで、地域をメンテナンスする
山道拓人(建築家、ツバメアーキテクツ)
通勤をやめ、歩く
通勤をやめてから数週間が経過した。進行中のプロジェクトの現場に出向く回数をかなり減し、外出のほとんどは散歩や食材の買い出しだ。コンビニの店員とよく喋るようになった。以前から見知っていたが、声をちゃんと聴いたのは初めてだ。坊主頭の強面の人で、思ったより声が高かった。コロナが落ち着いたら一緒に飲みにでも行きたいくらいだ。
自宅のすぐ目の前が交差点。あっちでキャッチボール、こっちでバドミントン、そっちでは犬の散歩、BGMは上階のピアノ練習──。そんな風景がすでに日常になっている。散歩や買い物に出かけているうちに近所の商店街に昔ながらの八百屋や肉屋があることを再発見した。ほとんど屋外と言えそうな開口の広い店先は今の状況ではぴったりで、そして賑わっている。ソーシャルディスタンスという絶妙な距離を保ちながらも、道は居場所としてのパブリック・スペースと化している。
通勤していた頃を忘れそうだが、そもそも通勤というのはいつからあったのだろうか? 小林一三(1873-1957)という著名な実業家がいた。彼は20世紀初頭に、都心と郊外を結んだ路線沿いに郊外住宅地をつくり、住宅のローンシステムのような仕組みを考えた。一般人もマイホームを持てるようにしたのである。さらに小林は百貨店や劇場など目的性が高い施設をつくったほか、電車で移動して生活するという枠組みをつくり出した張本人でもある。日本の鉄道開発は、この流れに沿って展開していったと言われている。
それから100年ほど経った今、主要な駅に近ければ近いほど、土地の価値は高くなった。今日の再開発と言えば、駅・住居・商業施設・役所機能などをすべてタワーに集約させるようにして、人間を歩かせないことに注力する計画ばかりだ。改札の中も商業開発の対象になり、駅から出なくても買い物も食事もできることが当たり前になった。私自身、忙しく暮らす日常のなかでは、その利便性の恩恵を受けてきた。ただ、再開発は使い方を間違えると駅を基準点に価値を高めすぎることになり、駅から少し離れた徒歩数分の商店街やその裏側の飲み屋街、街のカルチャーを衰退させてしまいかねない。
こうした議論はここ数年来ずっとなされてきたが、半ば強制的に通勤ができなくなって歩くことが増えた今、本腰を入れて駅中心ではない開発のあり方を考えなくてはいけない。
下北沢につくる新築の商店街《BONUS TRACK》
ここで、いわゆる駅前再開発のあり方とは異なる方法をとった《BONUS TRACK》(事業主=小田急電鉄株式会社、運営=散歩社、設計=ツバメアーキテクツ)を紹介しよう。小田急線が地下化した地上部分の下北沢駅西側に「新築の商店街」をつくった。既存の商店街からは徒歩数分の距離があり、下北沢駅と世田谷代田駅のちょうど中間に位置している。建物の設計とテナントに対するエリアマネージメント(内装監理業務)をツバメアーキテクツが請負った。設計した建物は一棟が500m2程度の商業用途の建物(中央棟)、残りの4棟が100m2の程度長屋型の兼用住宅(SOHO棟)で、広場を囲むように建つ。
下北沢では近年駅近の店舗賃料が高騰していて、若く個性的なテナントが参入しづらい状況になってきている。それにより、ケータイショップやタピオカ屋が増え、個性的な商店の連なりがつくる下北沢らしい街の風景が失われつつある印象があった。
私たちは設計の与条件設定から関わった。さらなる再開発で街を大きく変えてしまうのではなく、もともとの下北沢らしさを維持しつつ相乗効果を生むように施主と協議しながら、この街区の設計を行なってきた。若いテナントが払えそうな賃料から逆算しテナントサイズを決め、周辺のボリューム感と突き合わせながらボリュームスタディを繰り返した。そのエリアで住みながら商いを行なう状況をつくるためにSOHO棟はすべて兼用住宅とした。
ボリューム感を揃えるだけでなく、周辺をリサーチし、素材やつくり方をサンプリングしながら外装を変化させ、近隣と比較して少しの抑揚をつけた。さらに、ハードのデザインだけでなく、各テナントが外装を張り替えられる部分を設けたり、リースラインを超えて屋外にはみ出せるルールづくりをするなどもした。ローカルルールを明確化することで、かえって入居者が積極的に街並みづくりに関われるようにするエリアマネージメントとしての内装監理業務である。(一般的な内装監理業務は、リスクを冒さないようにブレーキをかける役割であることが大きい。ここでは街並みに参加するように背中を押しサポートするような役割だったと言える) 。駅前にピークをつくる「商業施設」ではなく、駅間に人々の暮らしが根付くための「商店街」を設計するように意識を集中した。
《BONUS TRACK》がオープンしてから、新型コロナウイルスのためいきなりの緊急事態宣言。すぐに入居者の方々は工夫をし始めた。テイクアウトに切り替えたりトークイベントもネット配信したり。入居するお店は試行錯誤を続けながらも、今では地元民の散歩の経由点になっている。本プロジェクトは民間鉄道会社による開発だが、まさに公園や道のような公共的空間が生まれている(ソーシャルディスタンスを保ちながら)。
竣工しておしまい、ではなく、私たちは幸いにも継続的に地域に関わらせてもらっている。街の変化を捉えながらヴィジョンの構築をしたり、いくつかの建築を断続的に設計している。地域のメンテナンスをしているような感覚がある。
徒歩圏開発モデルで、地域をメンテナンスする
通勤が制限され、自宅からの徒歩圏が主な活動領域となった今、《BONUS TRACK》や《下北線路街 空き地》を叩き台に、アフターコロナの徒歩圏をどのようにつくり替えて、街をメンテナンスすればよいか。徒歩圏開発モデルと題して、いくつかのポイントを走り書きしてみようと思う(本論考ではひとまず、歩いて駅に向かい電車通勤をするような、都心近郊を想定する。郊外や田舎についてはまた別の機会に考えることにする)。
49%の余白を活用する:まず、立地や建ち方について。駅直結や駅前がベストという価値観が揺らいでくれば、これまで手薄だった駅と駅の間、商店街のその向こうなどに、まず手を入れていけばいいのではないだろうか。既存の街のカルチャーや商店街と喧嘩せず、むしろ人の流れを活性化し、相乗効果を与えるイメージだ。ひとつのエリアに機能を集約するコンパクトシティというよりは、鉄道網が発達した日本ならではの都市構造を生かし、駅間を狙う「自律分散型のエリアリノベーション」というイメージだ(参考文献によれば、日本は公共交通のサービスレベル向上にむけた公共な財源はほとんど投入されておらず、各自治体の一般会計からその1%を超えるような財源を投入している自治体は稀有だそうだ★1。ましてや駅間の地域のメンテナンスは、できるところから自分たちでやるしかないだろう)。駅から離れるにつれて、用途地域はグラデーショナルに商業地から住宅地に変わっていくが、通勤が必然でなくなった今、再考の必要がありそうだ。現状、大まかに言えば、住宅地においては兼用住宅とすれば建物の面積の49%をある程度他の用途に活用するという方法は取れる。今、都内で子供を公園に散歩に連れていく、道で遊ぶ、くらいしか選択肢がないのでその49%に店だけではなく、子どもの遊び場を入れたらどうだろう。家の中だけでなく空き地や駐車場にフードトラックくらいは呼べるし、紙芝居が流行るかもしれない。そんな実践を積み重ねていき、都心の駅間がだんだん温泉地・宿場町みたいな雰囲気になったら面白い。あるいは、通勤はせずとも、自宅よりは少し広い作業場を住宅地の中でシェアしてもいいかもしれない。この49%の使い方がその地域のキャラクターとなっていくだろう。
エリアのスケールやエレメントを参照する:次に建物について。そのエリアのスケールやエレメントを参照することで、再開発で起こりがちな空間的・規模的・意匠的断絶を避ける。駅間を狙う場合、新築とリノベを混ぜてもいい。むしろ混ぜたほうがいい。よほど老朽化した建物は建て直し、使えそうな空き家は改修する。そして少し大きな商業施設を建てるにしても、カーテンウォールではなく換気できるような窓がいい(カーテンウォールはつくるときは便利かもしれないが、メンテナンスの観点から言えば近所の大工が部分的に直す、ということには圧倒的に向かない)。そして集合住宅にしても、地面に近いほうが価値が上がるかもしれない。施設は完結したひとつの施設だと、今回のコロナの状況や震災時に利用できない可能性もあるので、小さく分割する。そして入り口も出口も集約しないようなつくりにし、街の一部になるように計画する。そしてジェントリフィケーションが起きないように家賃設定には細心の注意を払う。
役割のシフトと関係性のメンテナンス:そしてデベロッパー・設計事務所の役割をシフトさせる。あるいは職能を相互乗り入れするようなイメージだ。徒歩圏開発モデルにおいては、一回のタイミングで巨大な再開発を完遂することは推奨されない。駅間の住宅地を対象にするならば、空き地・空き家などを対象に、住宅サイズの建物を断続的につくっていくことになる。つくっては経過観察をし、足りない機能をまたつくっていく。そこではデベロッパーや設計事務所は、まさに町医者や街にとっての顧問弁護士のような存在と言えるかもしれない。そしてハードのデザインだけでなく社会構築(エリアマネージメント、ローカルルールのデザインなど)も意識する。テナントや入居者同士の、顔が見える範囲の関係性をつくる自治会組織や仕組みを構築する。沖縄の模合や、メキシコのテキオ(Tequio)など、今なお残る連帯の仕組みを、まちづくり・政治的な意思決定プロセスの参考にしたい。建物ができる前からこういった仕組みをつくれれば、建物ができたときにはすでに関係性がメンテナンスできている状態になる。今回のように非常事態に陥ったときには、エリア毎にスムーズに自律分散のライフスタイルに移行できるかもしれない。
取引の敷居を下げ公共的空間を育む:さらに開発と流通について。住宅地の開発における、つくっておしまい、買っておしまいという売り切りモデルを変えることである。ウェブ上にプラットフォームを構築したり、ブロックチェーンなどを活用すれば、こうしたモデルを変えられるかもしれない。今年初頭に南米のデベロッパーによる事例を実際に視察してきたが、住宅地開発をした土地に関して開発後に1平米単位をアプリ上で手軽に売り買いでき、上家の賃料を分配し続けるプラットフォームを実装していた。住民が家を借りるだけでなく土地の売買にも手軽に参加できるようになると、デベロッパーと共に当事者意識を持って建物のメンテナンス・地域の価値向上に積極的に参加するようになる。こんなことを日本の住宅地でもできれば、公共的空間を育むことに寄与するかもしれない。
この走り書きは緊急事態宣言が出された直後2020年4月から5月初頭にかけてのものだ。緊急事態宣言下において、活動自粛は国民の自主性に委ねられ、暮らしの創意工夫が日々SNSを紹介し合うような状況だ。まさにコンヴィヴィアル(自立共生)な建築・まちづくりを考えるタイミングだろう。それができれば人々が生きる条件をもう少し緩めることができるかもしれない。本稿ではまず都心近郊の徒歩圏開発モデルについて書いた。住宅地が温泉地のような雰囲気になった面白いと先に述べたが、これは、観光地戦略における地元をターゲットとし、家の周囲を観光してみるというマイクロツーリズムの都心への逆輸入と言えるかもしれない。そしてさらに言えば、縮退が進む温泉地にも家を構えて二拠点居住をするために鉄道を使う、という組み立てもあるかもしれない。私としては、今再び歩くことの価値を考えて、徒歩圏開発モデルの可能性をしばらく考えてみようと思う。
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公開日:2020年05月29日