パブリック・フロントランナーズ 10

「パブリック・ホーム」をアップデートする

加藤比呂史(建築家)

2020年4月、新型コロナウィルスの感染を抑えるため、外出を控える日々が続く。他者と日常的に空間を共有できていたことが、いかに豊かなものであったかを改めて考えさせられる。 芽を出し始めた菜園の野菜や、凄まじい早さで育つ庭の雑草など、自分の計りしれないものに関わることが、他者に触れられない不全感を補完してくれているような気がするのだ。

「パブリック・ホーム」

現在、筆者の自宅として使っている旧伊達医院の建物

現在、筆者の自宅として使っている旧伊達医院の建物

昨年まで住んでいたコペンハーゲンの自宅のキッチンに、よく人が集まっていた。家の一角を仕事場としていたこともあり、人の出入りも多かったのでキッチンにある裏口の鍵はつねに開いていた。そのため、親しい友人たちは日常的によくキッチンの裏口から現われた。僕が帰宅すると、すでに自宅の中に誰かがいることもあった。友人たちとは趣味や感覚が近く、自宅の一部が彼らにとって街の一部のようになっていることを、僕は心の底から楽しんでいた。完全にパブリックではないが公共性を帯びた家、すなわち「パブリック・ホーム」だ。

コペンハーゲンの自宅のキッチン

コペンハーゲンの自宅のキッチン

がらんどうにすると自分たちの場所になる

僕は2019年の春から、栃木県佐野市でまちづくりの業務に従事している。任期中、仕事の拠点や市民とのイベントスペースとして、市街地の一角にある築105年程の屋敷を使わせてもらっている。外出自粛が求められる現在、ここは僕自身の住まいのひとつでもある。この木造建築は大正時代に芸妓遊びの場で宿泊もできる待合茶屋として建てられ、戦後には「伊達医院」という町医者の住居を兼ねた診療所として使われていた。待合茶屋は公共の空間にプライベートを持ち込む場所であったし、診療所は患者さんたちにとってのパブリック・スペースであっただろう。それゆえに、建物の骨格も時代によって仕切り方などを工夫して使われてきたようだ。待合茶屋と町医者、いずれも人を迎え入れる場所を備えた「パブリック・ホーム」の原型と言えるかもしれない。室内はレトロな医療器具や家財道具が山のように残されていた。増築を繰り返す過程でさまざまな二次部材で仕上げられチグハグな部分も多くみられた。

この建物の活用の仕方について「ひとまず、みんなが気持ちよく足を踏み入れられる場所にしてほしい」という要望を受けた。そこで、この建物を僕らの仕事場として活用しつつ、同時に来訪者を受け入れられる現代の「パブリック・ホーム」としてアップデートすることにした。

[左]モノで満たされた状態の部屋2019 [右]がらんどうになった同部屋2020。

[左]モノで満たされた状態の部屋(2019)[右]がらんどうになった同部屋(2020)

得てして古い家にはモノが多い。100年以上の時間が堆積し、まるで使い古された鳥の古巣のようなところからモノを取り出し、少しずつ空間を獲得していく。物品の山を掘り進み、建物の骨格にたどり着く。宝とゴミを仕分けながら、価値があるものはなるべく残し、足りないものを補う。ひと月程かけてついにがらんどうの空間になったとき、とうとうその場所が僕らのものになったように感じた。仕事場そして住処として機能すると同時に、その場所を他人と共有するには、このがらんどうの空間が必要だと思う。

地元の人びとが、隅々まで掃除したり、汚れた土壁を塗装したりする

地元の人々が、隅々まで掃除したり、汚れた土壁を塗装したりする

そして、この屋敷に僕らが住みつき、家具や道具、植栽を散りばめる。仕事や生活に必要なものを設えて、打ち合せやイベントに使えるよう機能を付与する。初めてこの屋敷を街の人に解放したときは、何年ものあいだ閉ざされてきた空間に足を踏み入れることができ、来客者たちは高揚感を覚えているようだった。その後も再訪してくれる友人たちは、暫時アップデートされるこの場所の変化を楽しみ、掃除や塗装を積極的に手伝ってくれる人々も集まり始めた。

「パブリック・ホーム」としての茶室

室内の大部屋と庭のつながり

室内の大部屋と庭のつながり

千利休はいつ何時現われた客人ももてなすことができるよう、日々の生活をおくること。またそれを客人に悟られず、客人をもてなす謙虚さを唱えた。住み手の目線で言い換えれば、いつ何時来るかもしれぬ架空の客人という他者を受け入れることで、空間の豊かさが得られるのではないか──。僕がそう考える原点には、2018年に藤森照信氏と共同で茶室づくりに携わった経験がある。茶室の役割について、藤森氏はこうおっしゃっていた。すなわち、「小さな空間は意外な心地よさがあり、そこで他人と時間を共有すると、知らない人と友達になったり、友達とさらに距離が近くなったりする」と。自分が他者を受け入れると同時に、他者に自分を受け入れてもらえる空間が「パブリック・ホーム」なのであれば、利休の茶室も「パブリック・ホーム」のひとつなのではないだろうか。

既存の床の高さ。一部屋をかけてなだらかにして、室内、庭、公共スペースを繋げる。左奥、エントランス越しに、空地の向こう100m先の建物まで視線が抜ける

既存の床の高さ。一部屋をかけてなだらかにして、室内、庭、公共スペースを繋げる。左奥、エントランス越しに、空地の向こう100m先の建物まで視線が抜ける

外出自粛期間の生活からの気づきは大きい。がらんどうの空間と茶室。一見すると空疎な空間には、まだ見ぬ他者を受け入れる余白がある。他者を受け入れる住まいの豊かさをいかにつくりだすかを考えることが、パブック・スペースを生み出すことに自然と繋がるのだと思う。そのひとつの仮説が、「パブリック・ホーム」という考え方である。友人と楽しく過ごしているのは心地良い。植えられた植物がだんだん育ってくると嬉しい。そこには、自分だけではつくることのできない空間の豊かさがある。他者との接触が控えられているいま、僕は菜園の小さな芽や庭先の賑やかな雑草たちを眺めながら、がらんどうの空間がまた賑やかな「パブリック・ホーム」に戻ることを待っている。

外出自粛期間は、庭へのビューのみをパブリックに。少しだけ緊張感のある生活を送る助けになる

外出自粛期間は、庭へのビューのみをパブリックに。少しだけ緊張感のある生活を送る助けになる

外出自粛期間は、庭へのビューのみをパブリックに。少しだけ緊張感のある生活を送る助けになる
撮影[右下]=Kazuma Takigawa

加藤比呂史(かとう・ひろし)

1981年東京都生まれ。建築家、KANA LLC. 代表社員。武蔵工業大学(現・東京都市大学)卒業後、2004年、藤本壮介建築設計事務所に勤務。2010年にデンマーク・コペンハーゲンに渡り、COBE(建築設計・地域計画)、KATOxVictoria(ランドスケープや市民協働制作プロジェクト)、Ramboll(パブリックスペースの研究提案)に勤務。2019年より、栃木県佐野市の拠点づくりプロジェクトに参画。佐野市伊賀町での拠点づくりの傍、I-AUD(明治大学)や東京都市大学と協働した、街の骨格のアップデート研究や照明ワークショップを展開する。https://katohiroshi.com/

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公開日:2020年04月30日