パブリックフロントランナーズ 5
「コンテンツ」ベースから「機能」ベースに
榊原充大(建築家/リサーチャー、都市機能計画室代表、RAD)
アメリカと日本
去年、アメリカに行ってきた。ニューヨークから入り、ヒューストン、マーファ、エルパソ、フェニックス 、サンフランシスコ、ロサンゼルス、シアトル、ポートランド 、デトロイトとめぐり、最後にもう一度ニューヨークを訪れるという旅程だった。本稿では、アメリカのパブリック・スペースの視察を通して、日本の状況と比較しながら「公共的空間」の計画や活用、課題を考えてみたい。
ニューヨークではブライアント・パークなどの公園を入念に見て回ったのだが、どこも魅力的な雰囲気で、「アメリカの人たちは街なか空間を使うということが身体化されているのだな」と、率直に圧倒されていた。私自身日本にいて「公共空間活用」の取り組みに携わることが増えてきた。愛知県岡崎市で2017年には社会実験、その後小規模社会実験の取り組みに協力し、「活用」のモデルを一度つくるだけでは波及していかない(季節の問題も大きいけど)ことを実感する。街なか空間を使いこなすには、トライアル・アンド・エラーができることと継続することが鍵なのだろう。
そういう取り組みは日本ではなかなか難しい、と思い込みがちだが、でも、と思う。日本でも花見となると、「こんなたくさんの人どこにいたんだろう?」と思うくらい、ありとあらゆる桜の下が楽しい宴会の会場になるのに、と。それほど優れた街なか空間の使用を身体化した事例が日本にもある。多分これは「みんなそうするものだ」というイメージが共有されているからだろう。お祭りみたいなものだ。
だから、とりわけ「日常における」街なか空間の使い方について日米のギャップに落ち込むニューヨーク滞在だったのだが、南部から西海岸に滞在するなかで、アメリカならどこでも公園がいい感じで使われているわけではないことを知っていく。サンフランシスコにあるミッション・ドローレス・パークのような、夏休み中の海水浴場くらい混んでいる公園は稀で、カリフォルニアはさほど公園が使われていない印象。フェニックスやエルパソは気候の問題からあんまり公園は使われていないみたいだし、ロサンゼルスのダウンタウンにあった公園なんかはホームレスが多くてそれ以外の人はあまり寄りついていなさそう……訪れた時間が悪い? 曜日......? あれ? これだとあんまり日本と変わらないのでは……。
危機感の共有、活用されないという選択肢
荒っぽいことを言ってしまうと、誰のものでもあるはずの「公共空間」を放っておくとどうなるか、は日本だろうがアメリカだろうがあまり変わらないのかも。だから、公園をはじめとする街なかの空間は「どう使うべきか」を「みんなで」考えていくというよりは、むしろ「どうなっちゃいけないか」を「利害関係者が」共有できるようにしたほうがいいのかもしれない。
うまく活用されている公園としてどこでも引き合いに出されるブライアント・パークも1970年には犯罪の温床になっていて、そこからの脱却のためにBID(Business Improvement District)組織がつくられマネジメントがなされるようになったと聞く。現実的にはブライアント・パークはニューヨークの一等地にあって、その周囲にあるBID構成企業だってNYの中心地にビルを持てるくらいの力があるという特殊例なので、仕組みはさておきそうそう真似できるものじゃない。でもむしろその「ほっとくとまずい状況になる」という危機感の共有については学べるところがたくさんありそうだ。
危機感の共有、日本においてその最たるものは災害だろうか......とアメリカ滞在中は思っていたけれど、最近は日本でも体感治安の悪さが高まっているので、いかに「クリーン&セーフ」をキープするか、は比較的共通の懸念事項と言えるかもしれない。その前提ができたうえで、対象の公園がよりよくなることによって周囲の空き物件に店舗が入りやすくなるとか、場合によっては地価が上がるとか、具体的なメリットもしっかりと追求できるようになるのが理想だ。こうした考え方を、愛知県岡崎市における情報発信の取り組みや、滋賀県のとある開発エリアにできる公園計画のための市民ワークショップで検討してみたいと考えている。
対して、「活用されない」ということの価値も忘れてはいけない。プロジェクトチームの一員として協力している京都市立芸術大学および銅駝美術工芸高校の移転敷地である崇仁地区やその周辺地域である東九条地区には、行政所有の更地が多くある。同大学主催の展覧会のために招聘された中国のソーシャリー・エンゲージド・アートの旗手である作家ジェン・ボーとの議論のなかで、フェンスで囲われた行政所有空き地は人が入れないために植物の多様性が実現しているのでは、という指摘があった。空いている土地には何かを埋めなければならない、使われていない公共空間は活用されなければならない、とどうしても思い込みがちなところに、異なる視点が差し込まれるようだった。
「都市機能」という考え方
「空いたところに何かを入れないといけない」という考え方を、「コンテンツ」ベースの考え方としたときに、「何かがあろうがなかろうがある状況が起こっているようにする」という、いわば「機能」ベースの考え方が浮かんでくる。都市を機能させるもの、あるいは都市における機能という観点で、ワークショップから施設計画までを垣根なく「都市機能」と捉え、その計画や実行、運営をサポートする主体として、2019年の5月に株式会社都市機能計画室という会社を設立した。主体の官民は問わず、芸術大学、図書館、アートコンプレックスなど、公共的な施設づくりのサポートに携わることが増えてきている。
とりわけ、近年は図書館関連のプロジェクトに多く関わっている。たとえば、建築や空間のリサーチ・プロジェクトRADとして協力した設計共同体がプロポーザルによって選定された泉大津市立図書館リニューアルのリサーチワークショップディレクション&マネジメント、明石市立図書館と進めているコミュニケーションツール「たこ文庫」の開発、図書館機能の根本的な検討がひとつの課題になっている京都市立芸術大学および銅駝美術工芸高校移転への協力や関連展覧会「still moving library」プロジェクト参画、斑鳩町立図書館聖徳太子歴史資料室らと今年で7年目を数える、地域の古写真をワークショップ形式でアーカイブサイトに収集する「斑鳩の記憶アーカイブ化事業」企画運営と、プロジェクトは多様だ。同じ「図書館」というキーワードながら、関与のレベルや期間も多様なものとなり、求められる役割も異なる。それは「コンテンツ」だけではなく「機能」の視点から見た図書館というパブリック・スペースの豊かさと相関関係にあるように思えてくる。
「建築家の職能の拡張」や、「建築に携わる役割の多様化」などが語られるようになって久しい。実際の現場でそれを体感する身として、拡張されたその職能や多様な役割は、あらかじめ「それ」とわかるようなものではない。発注者が明確にその必要性を実感しているわけでもないため、現場で見つけていきながら業務化し、ノウハウを蓄積していくしかない。「都市機能」というソフトにもハードにもなり得る対象を掲げることによって、「建築家」「ファシリテーター」「プランナー」といった個別の役割を超えた包括的な視点を提供したいと考えている。そしてその場その場で必要とされるスキルを認識しながら適切なチーム組成をおこない、プロジェクトを進めていきたい。
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公開日:2019年11月27日