国内トイレ×キッチン・サーベイ 10
パブリック・キッチンの、2つめの公共性
──入居者向け食堂トーコーキッチンの場合
中村健太郎(NPO法人モクチン企画)
食堂の扉に鍵がつくわけ
神奈川県の北部、ちょうど東京都との県境付近にある「JR淵野辺(ふちのべ)駅」。そこから徒歩数分、大通りの裏道を入ったところに、少々風変わりな食堂がある。そのファサードは全面ガラス張りで、通りからでも賑わう店内がよく見える。しかしその中央には白いドアが取り付いており──なんと鍵がかかっている。
そこに現われたのは数人の若い男たち、学生のようだ。ドアに近づいたひとりが、慣れた手つきでカードキーを挿し込み、回す。ドアが開き、彼らは食堂へと吸い込まれていった。
食堂の名前は「トーコーキッチン」。淵野辺エリアの不動産管理会社、東郊住宅社が運営する「入居者向け食堂」だ。東郊住宅社の管理物件はカードキーで管理されており、それがそのまま食堂の鍵として使えるという仕掛けである。2015年の年末にオープンして以来、朝食100円、昼・夕食500円という手頃な値段で、健康的な食事を日々入居者に提供している。
じつはこの食堂、入居者でなくとも利用できるタイミングが2つある。ひとつは、鍵の所有者と同伴して店に訪れた場合、もうひとつは、その人が初めて食堂に訪れた場合である。初めて訪れた人に食堂のスタッフは加えて、「鍵を持っている人と来れば、何度でも使えますよ」と案内する。ゆえに「入居者専用食堂」ではなく「入居者向け食堂」。入居者から繋がってゆく関係性をも、食を通して育む装置なのだ。
入居者と交流したい不動産管理会社
「紹介制」の食堂とでも呼ぶべきその目論見は、大いに成功しているようだ。実際、入居者が友人や家族を連れて来店することも多く、店内はいつも賑わっている。あまりの人気ぶりに、大学でわざわざカードキーを見せびらかす学生が現われたり、物件の管理替え(不動産管理会社の変更)によって期せずして東郊住宅社の鍵を手に入れた入居者が、その喜びを思わずSNSに書き込んだり……等々、耳目を引くエピソードは枚挙にいとまがない。そこには、確かなコミュニティ・マネジメントに支えられた「パブリック・キッチン」の有様が読み取れる。
この食堂を立ち上げた東郊住宅社の池田峰社長は、構想にあたって3つの課題解決を念頭においたという。「地方出身の学生入居者の食事の問題を親が気にしていること」「他社に先駆けて取り組んできた敷金・礼金ゼロがコモディティ化したことで、会社のメッセージを伝える新たなサービスが必要になったこと」「個別に物件をリノベーションせずとも、すべての管理物件の物件価値を向上させる〈裏技〉を模索していたこと」。これらを解決する一手としてたどり着いたのが、自社で食堂を運営することだった。
その最大の狙いは、食をきっかけにした「入居者とのコミュニケーション」にあるという。日常的に入居者と会話する機会を持ち、「不動産屋と入居者」という関係をほぐして信頼関係を醸成すれば、入居者の支持は自ずと集まるのだと──。入居者とのコミュニケーションの省力化を追求してきた不動産管理業の来歴を鑑みれば、異端とも取れる発想だ。しかし、新規入居希望者の30%が知人の紹介で訪れるという驚くべき顧客満足度の高さが、東郊住宅社の戦略の正しさを裏付けている。
食堂が再編する入居者とのコミュニケーション
では実際に、トーコーキッチンでのコミュニケーションはどのように展開しているのだろうか。利用者と食堂スタッフのインタラクションに着目して分析してみたい。サービス・デザイン(サービスを、スタッフと顧客を取り巻く関係や状況を基点に改善・開発するデザイン方法論)の分野でよく用いられる分析手法、「サービス・ブループリント」を用いて、トーコーキッチンが生み出すインタラクションを可視化した。
食事を摂るというシンプルな行為が、利用者とスタッフの間に数多くのタッチポイント(接点)を発生させているのがわかる。その一つひとつが、入居者との対話のきっかけとなるわけだ。また同伴や初利用ルールで食堂を用いる利用者にとっては、東郊住宅社を深く知る機会となるだろう。それが入居後の生活をイメージさせる力は推して余りある。トーコーキッチンが、東郊住宅社への信頼にとつながるという話にも合点がいくはずだ。
他方でサービス・ブループリントが面白いのは、目には見えない「サービス」を分析するにあたり、タッチポイントのそれぞれにおいてユーザーの手元に現われる「Physical Evidence(物的証拠)」を記述できる点にある。図中に円形で示したのがそれだ。インタラクションの展開に沿って、トーコーキッチンのドア、カードキーの利用や食事を経由し、最後はドアに終わるという一連の物的証拠が残されている。ユーザーから見たとき、建築としてのトーコーキッチンが、サービス体験のプロセスに埋め込まれているのが興味深い。
経営学的に見ればこのプロジェクトの真髄は、既存の不動産管理業におけるステークホルダー同士の関係性をラディカルに組み替え、入居者・オーナー・不動産管理会社が三方良しになる利害関係を見つけ出した点に認められよう。東郊住宅社の不動産管理業はトーコーキッチンにおける入居者とのコミュニケーションを中心に編み上げられ、他社とは根本的に異なるサービス体系──インタラクションの束──を実現している。そんななかで、「鍵のついたドア」を設えたガラスのファサードが果たしているのは、ここまで見てきた一連のサービスを空間的に構築する役割だ。
私的領域への対抗としての公共性
私はここに、トーコーキッチンが担う2つめの公共性を見出したい。そこには「建築空間が公共的である」という、建築にまつわる一般的な公共性の解釈とは異なる意味合いがあるように思えるからだ。
ここで建築家、山本理顕の理路を補助線に引こう。彼は『権力の空間/空間の権力──個人と国家の〈あいだ〉を設計せよ』(講談社、2015)において、政治哲学者ハンナ・アーレントの「物化」の概念──社会的要請が物的な現われとして結実すること──を援用し、物象化した支配の道具と化した建築を批判した。物化した社会的要請は、世界から公共性を削り取り、すべてを私的(private)な──アーレントに言わせれば、他者を「奪われた(deprived)」──生へと駆り立てる。投資効率の観点から極限まで共用部を切り詰め、私的な空間を全面化してしまう大多数の賃貸アパートの空間は、山本が批判する類の建築の典型であろう。
山本の立場に並び立つことで、トーコーキッチンの見え方も変わってくる。この食堂が「パブリック・キッチン」なのは、その空間が公共的な性格を有しているからだけではない。過剰に私的な空間によって、生活を分断する装置になりかねない賃貸アパートの生活。そこに食を介した他者との交流を埋め込んでゆく実践としての「パブリック・キッチン」であることにこそ意義があるのではないか。トーコーキッチンが有する「空間」だけでなく、建築を介した「私的な空間への対抗」の側面にも、その公共性の発露が認められるのではないか。
建築を用いて、すでにある建築空間の私的な性質に対抗してゆくこと。それは私的な領域と公共的な領域の境界を柔軟に「書き換えてゆく」したたかな試みである。サービスの領域に組み込まれたファサードは、建築がモノとコトが混じり合う社会的な領域へと自ら踏み込んでいる印にほかならない。
「現代における公共性に、建築はどう関係しているか」。私にはトーコーキッチンが、このことの再考を強く促すプロジェクトに思えるのだ。
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公開日:2019年05月29日