連載 明日のパブリック・トイレ×パブリック・キッチン 2-2
日本の都市のなかのパブリック・キッチン──屋台、露店、マーケット(後編)
石榑督和(東京理科大学)
「路上」は人が集い沸きあがる場
元来、日本の都市の公共空間は「路上」であり、そこに現われた移動可能なあるいは仮設的な場としての屋台、露店が、そこでの飲み食いの楽しさを提供してきたことを、前稿(2018.2.28公開)では歴史のなかに見た。いまはあまり見ることができないが、かつては多くの屋台、露店が立ち並び、飲み食いの場が形成され、日本の都市の「路上」が多くの人で賑わい、建物と道路だけでは生み出すことができない状況をつくりだしていた。
しかし、現在の「路上」はどうだろうか。街なかに存在する野外の公共空間は使われていないことが多いかもしれない。そうした空間はいったいなにをもって「公共」と言っているのだろうか……。と、こうした議論はこれまでにも繰り返し行なわれてきた。
日本の都市の公共空間、とくに戦後の高度成長期以降のそれは、利用者のクレームに対処するために禁止事項が増え、本来は利用者みんなのための空間であったにもかかわらず、誰もなにも自由にはできないような空間へと変わっていってしまった。「公」の空間では「私」は自由にふるまってはいけないという空気が漂うようになってしまった。
最たる例は新宿駅西口地下広場であろう★1。ベトナム戦争反対運動や日米安全保障条約への反対運動の高まりのなかで、1969年2月から7月にかけてこの広場では毎週土曜日、反戦フォーク集会が開かれ、街ゆく人も観客として集会に加わり、多くの自発的な討論会も行なわれた。しかし、警察はこの集会を沈静化するために新宿駅西口地下広場の名称を「広場」から「通路」へ改称し、人々が「通路」に立ち止まることを禁止した。広場を追われた群衆は、新宿東口、歌舞伎町シネシティ広場、渋谷ハチ公前、池袋駅前などの広場や、その周辺の道路など、デモをするにふさわしい場を求めて副都心をさまよった。行政による公共空間の管理によって、人々が集まっておのおのそれぞれが「私」を発露できる場は減っていってしまった。
近年、公共空間利用の議論が活発だ。行政の新しい取り組みも多いが、個人のアイデアでつくられた小さなアクションにも目が向けられている。タクティカル・アーバニズムの議論はその一例であろう★2。いま再び、人が集い「路上」を楽しむ場が各地で生まれつつある。
編集者の影山裕樹は、編著書『あたらしい「路上」のつくり方──実践者に聞く野外公共空間の活用ノウハウ』のなかで、全国で取り組まれている「路上」イベントを社会的背景とともにまとめている★3。本稿では、現在の日本の都市に存在する道路、広場、公園などの野外の公共空間を、同書に倣って「路上」と呼ぶことにする。同書のなかで影山が強調するのは個人の「内から湧き上がる力」である。夜空の下で開かれる映画祭、公園で開催する結婚式、駅と電車内を酒場に変えるホーム酒場、橋の欄干をカフェ・バーに変えるテラスなどが事例として紹介されている。いずれもあたらしい「路上」は個人のアイデアや欲求から生まれつつある。ここでも野外での飲み食いは重要なポイントだ。
公共空間では「私」を出してはいけない? 否。発露すべし!!
そもそも歴史的にみて、公園のような公有地の公共空間であっても、個人や私企業が自分たちのために空間を利用することは妨げられてはいない。長年公園行政に携わった元国土交通省都市局公園緑地・景観課長町田誠は、国営公園について「明治時代からある公園にはほとんど料亭や旅館が建って」いて、都市公園は「公園という制度が始まったときから民間施設とともに」あったと述べている★4。全国で公園内にカフェが増えつつあるが、そうした私企業が公園内で営業することは近年に限ったことでなく、近代以降の歴史をみても同様のことが見られるという。
公園に限らず、公共空間の利用はもっと個人に開かれるべきである。都市プランナーの泉英明は、個人的な公共空間利用のアイデアが他者にも共有できる価値をもっているならば、そういうアイデアにこそ「公共性を付与」すべきであるという★5。公共空間を使える人にはどんどん使ってもらうほうがよい公共空間が育つ。
パーソナル屋台と「路上」へ!!
とはいえ、個人のアイデアが公に認められ、公共空間の使われ方が変わることはまだまだ稀なことである。そんななか、建築コミュニケーターの田中元子は、そもそも公共自体を自家製でつくってしまおうとしている(田中元子「国内トイレ×キッチン・サーベイ 1|パブリックの手触りを探して」参照)。その方法は「パーソナル屋台」を出して、飲み物をふるまうことで他者へ自分の公共を開くというものである。田中はこの自家製公共を「マイパブリック」と名づけている★6。田中は「公共は与えられるもの、みんなのもの」ではなく、「自分自身が公共であり、自分で公共はつくれる」という。
このパーソナル屋台は、ツバメアーキテクツが設計している。車輪付きのフレームに格納された木箱、A看板を展開すれば、どんな都市のヴォイドにもフィットし、場をつくることができる。田中さんはこのパーソナル屋台で、マイパブリックを日々つくっている。
マーケットのなかのパブリック・キッチン
前稿では建物の内部に道を引き込んで長屋形式の店舗を並べたマーケットというビルディングタイプを紹介した。道を延長し「路上」を取り込んだ建物だ。現在でも東京の郊外を歩けば木造のマーケットを目にするが、1階をマーケット形式としたビルも見つけることができる。
武蔵境にある野口ストアーもそのひとつだ。この野口ストアーの一角に、8人の会員がシェアするキッチンとお店、8K(ハチケー/8 SHARE KITCHEN MUSASHINO)がある★7。8Kは、武蔵野市の「むさしの創業サポート施設開設支援事業」に選定され、株式会社タウンキッチンが運営している。家庭を優先させながらも自分の特技を活かした「働き方」を模索する女性をターゲットに、「食」をテーマとした小商いの場として誕生した。会員は設備投資することなく、保健所の認可を受けたキッチンを使用することができる。将来店舗をもつことを想定した起業家の孵卵器を目指したものである。現在、8Kは焼き菓子屋6軒、パン屋1軒、おにぎり屋1軒によって利用されており、会員は日常的にはここで調理と販売を行ない、月に2回ほど何名かでここでマルシェを開き、またほかの場所で開かれるマルシェにも出店している。
野口ストアーの前面道路と、建物中央に引き込まれた道に対してカウンターを回し、その上部には開放できる建具を設えている。常設の店舗であるが、個人の小さな商いが「路上」と接続し、街へ出て行く可能性をもっている。
現代日本と屋台、露店、マーケット
こうして見てきたように、「路上」の屋台、露店、マーケットとしてのパブリック・キッチンは歴史的に遍在するものであり、また、いままさにその楽しさに気づきつつある人たちがいる。「路上」がうごめきはじめている。
公共空間から「私」が追い出されていったのは、高度成長期、マスメディアが一億総中流を謳い、あらゆるものが大衆を対象とした同質性の高い社会においてであった。いま再び公共空間の利用にうごめきがあるのは、高度成長期の社会がもちえていた同質性が崩壊し、多様な社会へと変化しつつあるためであろう。それは高度成長期の前、第二次世界大戦直後、闇市に露店や屋台が建ち並んだ社会に近いのかもしれない。個人のアイデアが都市を変えうるときだ。
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公開日:2018年09月28日