海外トイレ×キッチン事情 3

インドネシア、バリ島 ──
慣習儀礼に伴うパブリック・キッチンの出現

阿部光葉(東京工業大学大学院修士課程)

南国リゾート地として国際的に知名度の高いバリ島であるが、観光客がいようといまいときょうもあらゆる家庭でさまざまな儀式が行なわれている。とくに山間部や観光地化の進んでいない北部では、その形式とプロセスが各村独自で比較的簡略化されずに残っている。

このレポートでは私が参与観察を行なっているバリ島の集落を中心に、相互扶助で成り立つ調理と共食の場をご紹介したい。

豚の丸焼きの供犠の準備で駐車場内から道に溢れ出してにんにくを剥く男たち
豚の丸焼きの供犠の準備で駐車場内から道に溢れ出してにんにくを剥く男たち

豚の丸焼きの供犠の準備で駐車場内から道に溢れ出してにんにくを剥く男たち
以下、すべて筆者撮影、作成

“Gotong-Royong”とパブリック・キッチン

日本の節句と同じように各国にもあらゆる慣習儀礼が残っているが、バリ島の村々ではそれが毎週のように行なわれる。規模や目的はさまざまだが、多人数による調理を伴うことが多い。

なぜこんな儀式においてパブリックなキッチンが発生するのか。理由は2つある。ひとつは供物を制作するにあたって、調理が必要であること。バリ島では豚の丸焼きや串焼き、鶏を開き焼いたものが多く、儀式によってはさまざまな動物が生贄になり、決まった調理法を行ない供物となる。それらを含め100種類以上にのぼる供物を準備するにはそれなりの人手を要する。

パブリック・キッチンが出現する流れ

パブリック・キッチンが出現する流れ

そこで2つめの理由が、それを手伝いに来てくれた大勢の人への食事の提供だ。この2種類の調理のために、“Gotong-Royong(ゴトン・ロヨン)”と呼ばれる相互扶助のシステムで親戚や近所の者が続々と集まる。これはインドネシア全域に見られる慣習で、儀式の準備はもちろんのこと、家を建てるときや村の施設の清掃など、ほかの島に移住した親戚も帰省するほど現在も集まりがよい。

例えば右の写真は、ある家族が“Potong Gigi(ポトン・ギギ)”という通過儀礼を行なった際に出現したパブリック・キッチンである。これは成人になるために歯を削るバリ・ヒンドゥーの儀式で、基本的に親族単位で行なわれる。

1カ月ほど前から準備が始まり、儀式当日近くなると、毎日100人以上の人々が手伝いに参加するのだ。そのため、1日で3頭の豚をさばき、山のような量のココナッツや菜葉を調理する。

動物の供儀を行なう場合は、夜明け前から男たちが豚などをさばき、朝日とともに女性陣がやってくる。準備の合間に食事をとる時は、決まって男性が一斉に手をつけ、そのあと女性が食事をする。通常、テーブルにもベンチにもなる長い簀子敷の台が用意され、その上で調理と食事が交互に行なわれる。

各種大鍋で煮炊きするエリア

各種大鍋で煮炊きするエリア

男性陣のあとに女性陣が食事をする

男性陣のあとに女性陣が食事をする

食材を刻むエリア

食材を刻むエリア

分棟を繋ぐ仮設の日除け

一口にバリ人と言えどもルーツはさまざまであり、祖先や集落によって伝統住居の形式も異なるのだが、そのほとんどは分棟形式である。寝食分離かどうかの違いはあれど、マジャパヒト王国(14世紀にインドネシアの大部分を支配した大国)の者を祖先にもつ南部の村々も、それより古い北海岸や山間部の村々も、母屋や穀倉、子世帯の小屋などの複数棟が敷地内に配置される。

3棟で1ユニットのBayung Gede(バユン・グデ)村

3棟で1ユニットのBayung Gede(バユン・グデ)村

また各地で住居の現代化が進み、伝統住居の隣に一般的な産業材料を使った住居を新しく建てるケースもよく見られる。

よって大がかりな儀式となれば、それらの分棟を継ぎ合わせるように仮設の日除けが一瞬で掛かり、大人数が収容可能な式場と作業場が生まれる。一見雑多に継ぎ合わされたようにも見えるこの屋根も、じつはゾーニングごとに切り離されている。最も重要な供物や祈りを捧げる神聖な場所、親戚や知り合いなど遠方からのゲストを歓待する場所、裏方として働いている者の調理場や作業場というように別れており、よそ者には掴みづらい領域の差異も屋根を見れば理解できるというわけだ。加えてこれは、儀式の細かいプロセスにおいて仮設の架構を解体する順序がその領域ごとに異なるということにも起因している。

屋根が切り離されている祭壇スペース

屋根が切り離されている祭壇スペース

仮設式場のほとんどは、竹の柱とトタンもしくはビニールシートの屋根で構成されている。竹は自分たちの土地や村内で伐採したものを使い、トタンや装飾品は一時的に借りるケースが多い。よって解体後の竹材は薪になり、そのほか余ったものはお裾分けでその場から消えていく。派手な供物もすべて食品や植物でできているので、儀式が終わると手伝ってくれた人々へ分配したり、野に捨てられたものは犬のえさとなるか土へ戻る。もちろん調理道具は持ち寄りで、男性陣は毎日鉈(なた)を腰に挿してやって来るし、切り株のまな板や椅子も近所からの借り物である。このように供物を含めてすべて使い捨てか借り物なので、これだけ儀式が頻繁にあっても住居や敷地内が物で溢れるということはないのである。

そのほかにも、バリ島にはパブリック・キッチンになりうる空間として、常設のものがある。大がかりな供儀は行なわずとも、女性陣はすべての儀式において毎回芸術的な供物を制作する。これは通常米倉の下に集まって行なわれ、米倉をもっていない家では玄関先など住居内のセミ・パブリックな場所で行なわれる。このような屋根や軒の下は来客や近所の者を迎え入れる接客空間でもあり、家族にとっては昼寝をしたりみんなで団欒するリラックス・スペースでもある。ほとんどの村人は日が昇る前から日が沈むまで、畑に出るかこのような半外部空間で時を過ごす。

米倉の下で供物を制作する女性たち

米倉の下で供物を制作する女性たち

慣習儀礼が消えつつある日本で

以上のようなパブリック・キッチンのあり方は、熱帯地域の豊かな風土といまだ根強い慣習の連帯のみが可能にする現象だと思うだろうが、われわれ日本人が取り入れるべき(取り戻すべき)点は多い。

親戚や友人、近所の者が一同に集まってともに調理や創作をすることは定期的な情報共有のきっかけであるとともに、日常のなかの芸術活動である。儀式における音楽や舞踊も有名であるが、料理や星の数ほどある供物のデザインは非常に洗練されており、継承されながらも柔軟に変化している。ここでの創作行為はある特定のアーティストのみが行なうものではなく、老若男女の日々の営みの一部なのだ。

また周辺の自然環境を維持するうえでも一役買っている。バリ島はもちろん、現在インドネシアは辺境に至るまで近代化が進んでおり、建材をはじめとしたあらゆるものが産業製品に置き換わりつつある。しかし儀式用品だけは自然素材であり続ける傾向が強いのだ。そのため、すくなくとも供物に利用する分だけはいままでの動植物を身の回りで育てておく必要がある。

そしてこのような儀礼を頻繁に行なうことは、災害時の避難生活の予行練習にもなる。仮設避難所の設置や炊き出しを短時間でスムーズに行なえるし、儀式中に主催者が親戚その他を家に泊める習慣は、避難者が一般家庭で寝泊まりすることのハードルを下げる。実際去年(2017)のバリ島アグン山噴火の際、各地に瞬時に避難キャンプが設置され、多くの人が数カ月にわたる避難生活を送ることができたのを目の当たりにした。ある村では、村の人口以上の避難民を既存の集会場や一般家庭宅で受け入れ、中央避難所では女性陣が毎日交代で数百人のための食事を用意する生活が半年近く続くこともあった。

バリ島の仮設式場にみる熟練したフットワークの軽さと、各自の持ち寄りや周囲にあるもので済ますシンプルさは、今後パブリック・キッチン的現象が多発するうえで重要なポイントであろう。

慣習儀礼が消えつつある日本では、既存のものを見直すか、新しくそれに代わる定期イベントを一定の距離圏で開催するべきだ。無宗教ならば、祀る対象(料理をふるまう対象)は上司でもアイドルでもペットでもよく、同じ意志をもつご近所コミュニティで毎回大量の創作料理をこしらえて共食してみるというのはどうだろうか。

豚の串焼きなどさまざまな食材で構成された供物

豚の串焼きなどさまざまな食材で構成された供物

阿部光葉(あべ・みつは)

1992年生まれ。東京工業大学大学院修士課程在籍。インドネシアのバンドン工科大学留学。参与観察地のバリ島プダワ村で村人と伝統形式の物見小屋を建設(第9回建築コンクール優秀賞受賞)。著書=『Rumah Bali Aga-Bali Aga House』(Omah Library、2017)

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公開日:2018年09月28日